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第371話 最悪の一手

「…こ、のぉっ!」


 何度目になるか解らない狛の攻撃で、人食いの怪物が吹き飛ばされた。次第に集まってきた怪物の数は十体ほどだが、そのどれもがどんなに痛めつけても立ち上がり、牙を剥いてくる。いかに補心符で恒常的に霊力を搔き集めていても、新月で元々弱っている今の狛には厳しい相手だった。


「はぁっ!はぁっ!こ、これはちょっと、キツイ…かも」


 狛は肩で息をしつつ、迫る怪物達を睨みつけた。既に補心符は五枚焼き切れて、残りは五枚である。最悪の場合は給霊符を使って狗神走狗の術を使うしかないが、この後に待ち受けている常世神との戦いを考えると、それは避けたい所だ。ちなみに、補心符は周囲に存在する霊力を集めてくれる霊符なので、一度に複数枚使っても効果はない。


 「こうなったら…!」


 単なるパンチやキックと言った攻撃では、いくら威力があってもこの怪物を倒しきる事は出来ない。そう判断した狛は、少ない霊力をてのひらに集中し霊波として放つスタイルに変えた。霊力の消費は大きくなるが、高密度の霊波による攻撃は桁が違う。霊力に弱い妖怪ならその身が消し飛ぶだろう、どうせジリ貧になるのなら狛はそれに賭けるしかなかった。


「はあああああっ!」


 全身に回していた霊力を右のてのひら一点に集め、それを叩きつける。流石に不死の怪物と言えどその威力には耐えきれなかったのか、霊波が当たった場所は消し飛び、再生はしない。すると、怪物は苦悶に満ちた声で絶叫し、それを見ていた他の怪物達もわずかに怯んだようだった。


「……いける!」


 たったの一撃で意識を失いそうになるほど霊力を消耗したが、狛はその威力と抜群の効果に希望の光を見出していた。これで怪物の頭を消し飛ばせば、いくら不死身と思しき怪物でも倒しきれるだろう。狛は気力を振り絞って、逆に怪物へ向かっていく。


 そんな狛の作戦は功を奏し、一匹…二匹……と怪物は倒れていった。だが、油断は出来ない。ここで一瞬でも気を抜けば、狛の方が耐えられないだろう。何せ補心符で供給される霊力をギリギリまで消費してしまっているのだ。狛は気力を振り絞り、更にまた怪物を薙ぎ倒してみせた。


「あ、あと…少しっ……!」


 ズキズキと痛む頭と揺れる視界に耐えながら戦い、怪物は残り二匹まで減らす事が出来た。既に呼吸は乱れ、全身が悲鳴を上げているようだ。限界は近いが、敵の残りもあと僅かである。狛は最後の力を集中し、怪物に飛び掛かった…だが、しかし。


「えっ……!?」


 その瞬間、補心符から供給される霊力が、完全に途絶えた。今起動している補心符は残り二枚の内の一枚で、起動したばかりだ、消耗して焼き切れるには早すぎる。考えられることは一つしかなかった。


「土地の霊力切れ……ま、街中だから!?」


 そう、補心符は周囲の空間に浮遊している霊力を集めて放出する霊符だ。当然、空間にある霊力を使い切ってしまえば効果は自ずと消えてしまう。ここが墓場のような霊場ならば別だが、単なる街中ともなると、空間に浮遊している余剰霊力はそう多くないのである。

 そもそも、霊力は魂そのものが持つエネルギーだ。空間に浮遊している余剰霊力は、生きている人々から僅かに漏れた霊力だったり、浮遊霊や雑霊から漏れたもの、もしくは墓場のような人の思いや魂、それらの念が残り易い場所でなければ、自然に存在するものではないのだ。それを補心符は強制的に集めている、しかも一枚やそこらならまだしも、狛は一か所から移動せずに八枚以上の補心符を使ってしまっていた。そこまでやれば、一時的に周辺の霊力が切れるのは無理もない話であった。


「まずっ……!?」


 霊波による攻撃が失われたことを、怪物達は本能で察したようだ。敵は残りたった二匹…しかし、霊力を失った狛には抗う術がない。その上、それまでギリギリで保てていた肉体の限界が一気に押し寄せてくる。――そして、怪物達は牙を剥いた。






 その頃、神子神社付近の路上では避難してきた神奈達と、小鮎親子と猫のネネを連れた猫田が偶然にも鉢合わせた所だった。


「猫田さん!」


「おお、神奈と…メイリーだったか。無事みたいだな、狛も喜ぶぜ。……しかし、随分大所帯だな?」


「メイリーを助けに行って、そこから神子神社までの間に住んでいるクラスメイトを集めてきたんです。家に立て籠もれる子を除いて……それより猫田さんは、どうしてここに?狛は…一緒じゃないんですか?」


「ああ、ちょいとヘマをしちまってな。狛とはぐれちまった…その先で、に会ってよ。襲われてたから助けて、これから桔梗ん所に連れてくとこだったんだ。その後狛を探しにいくつもりでよ」


「は、はぐれたって…!狛は無事なんですか!?一体どこに!」


「落ち着けって!アイツだってガキじゃねーんだ。ヤバかったらじっとしてる……は、ず!?」


 そこで猫田と神奈が感じたのは、狛の霊力が激しく弾けた気配だった。新月で力を発揮できない狛が、これだけの力を使うということは狛の身に何かが起こったに違いない。その気配の方向を見ると、狛の霊力が放つ青白い炎のような光が立ち昇っていた。間違いなく、狛がそこにいるのだ。


「狛…っ!」


「ヤベェな、何かあったか…!」


 事情を察しているのは猫田と神奈の二人だけで、他のクラスメイトやメイリー、そして小鮎親子は何が起きているのか解らず、ただ青い光に見入っている。それにより、その青い光に照らされた大きな影が飛んでいくのを、その場にいた全員が目撃していた。


「ちっ…!」


 猫田は舌打ちをして、真っ先に狛がいる方向へ走り出していた。それに後れる事なく、神奈もまた猫田の後を追う。神奈が駆け出した事で、状況が解らないながらもクラスメイト達もそれに続いた、当然小鮎親子もだ。

 そして、彼らは見た。普段、学校で見せる狛の姿とは全く違う、蒼白い霊気を身に纏い、狼の尾と耳を生やして戦う狛の姿を。




 この機に乗じて襲い来る二匹の怪物達に対し、補心符が機能しなくなった狛は対抗する術を失っていた。このままでは確実にやられてしまう…そう直感した狛には他に手段はない。視界がブラックアウトする寸前に狛は給霊符を発動させ、そこに溜め込まれていた膨大な霊力が一気に狛へと流れ込む。それによってイツとアスラが目を覚まして、狛は人狼へと変化していった。


「……えいっ!」


 人狼化した狛は、霊力を溜めた尾を思いきり振り回す。その威力は怪物達の上半身を容易く消し飛ばすほどのものであった。その迸る霊力が光の柱のように天へと伸び、窮地を脱した狛だったが、その心中は複雑だ。何度も言うように、給霊符は虎の子…文字通りの切り札だったのだ。これを使ってしまった以上、この霊力を使い切れば、狛はもう戦う力を完全に失ってしまうだろう。少なくとも、今夜一杯は。


「どうしよう、ここで給霊符を使っちゃうなんて……っ!?」


 その時、狛を押し潰そうとするように、巨大な影がその頭上から落ちてきた。狛は咄嗟に跳んで避けたが、そのサイズはかなりのものである。突如として現れたその怪物は、車二台分は幅のある道路を埋め尽くすような、大きな芋虫の姿をしている。大きさこそ違うが、それは大口真神の記憶の中で見た、あの常世神の姿に瓜二つだ。


「いつまでも抵抗する小虫が居ると思えば……貴様か、犬神の娘よ。数百年前に視た通り…忌々しいが、これも因果というものか。貴様という存在を消す為に、これまでにも色々と手を尽くしたのだが、な」


「な、何…私を、知ってるの…?」


 常世神に似た芋虫状の怪物から聞こえたその声に、狛は聞き覚えがあるような気がした。だが、どこで聞いた声なのかは思い出せない。それでも、その声は酷く不快で、まるで内臓をかき回されているような気持ちの悪さを感じる。すると、芋虫の頭がパックリと割れて、その中から毒々しいまでに血の赤に染まった人間の上半身が現れた。それはあの大口真神の記憶の中で見た、常世神を呼び出そうとした信者達…その中心となっていた神子の父親であった。


「あなたは……?!」


「ほう、この顔に見覚えがあるか?さては、宇迦之御魂神ウカノミタマに吹き込まれたか。だが、これは数ある我がおもての一つに過ぎぬ。……このように、な」


 男の言葉と共に、男の顔はグニグニと肉が蠢きその形を変えていく。悍ましく、かつ醜悪な音を立てて出来上がったその顔は、たっぷりの髭を蓄えた老人…志多羅神そのものだった。狛は志多羅と直接出会っていないので面識はなかったが、彼がいくつもの顔や姿を使っていたのだろうという事は、よく理解できた。歴史上、志多羅神という神がどのような神であったのか、はっきりとした情報が残っていないのはそれが理由だったのだ。定まった一つの形を持たない神……それこそが、『無貌の志多羅』と自称する志多羅神の本性だったのである。


「あなた、人間じゃ…」


「そうだ。儂は神でありながら、人や妖…その時々で様々なモノに成り変わり現世に干渉してきた。貴様の父親に呪いをかけ、貴様の母を死に追いやったのもこの儂よ。残念ながら、あと一歩の所で貴様が産まれてしまい、目的は果たせなんだがな」


「っ!!」


 その言葉を聞いた瞬間、全身の血が沸騰したように血気が沸いた。全ての元凶がこの男の手にあると聞かされたようなものだ。亡き母の無念と父の悔しさ、そして兄の苦労……様々な思いと感情が狛を押し包む。そして更に、志多羅は狛を煽る様に言葉を続けた。


「常世神の命を受け、現世に降り立って十数年後…上洛した儂は思惑通り、八幡の末席に加えられることとなった。そこで神の託宣により未来を視たのだ、貴様という存在が常世神復活の障害となるその兆しをな。しかし、神となって未来を覘いたまでは良かったものの、八幡は人の側に立つ善神だ。そこに加えられた以上、儂は表立って貴様の祖先に危害を加える事は出来ぬ……迂遠な計画ではあるが、どうにか貴様が誕生せぬよう、打てる手を打ってきたのだが…やはり、簡単に未来は変えられぬということだろう。だが、貴様も儂の計画の役には立ったのだぞ?」


「え?」


「貴様があの猫田という妖怪に出会ったことで、計画は大きく進んだ。邪魔者となる人間達は先んじて、ささえという組織に集めて一網打尽にすることができたし、長らく隙を見せなかった宇迦之御魂神ウカノミタマの尻尾を掴む事も出来た。なにより、あの槐という人間が愚行に走ったのも、貴様や貴様の兄への羨望が遠因よ。総じてみれば、貴様は良い手駒だったと言ってもよい」


 「そ、そんな…そんな……!う、ああああああっ!!」


 思いもよらぬ事実を突き付けられ、狛は滾る怒りと憎しみに突き動かされるように飛び出した。そして、渾身の力を込めて、怪物と化した志多羅の身体をその爪で引き裂く。


「ククク……貴様の怒りは心地良いが、これは我が分け身…いくら壊した所でどうにもならぬ……さぁ、絶望の淵に浸るがよい…」


 志多羅の身体はその言葉を残して、グズグズと溶け落ちて消えた。狛の中に芽生えた昏い感情はまだ燃えたままだ。そこへ……


「狛……」


 事情を知らぬクラスメイト達を引き連れて、猫田や神奈達がやってきた。怪物の血に塗れたまま、怒りに震えるその姿に誰もが言葉を失い、恐れを湛えた目で狛を見つめていた。

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