目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第127話 サラとリーゼロッテのカキ

 家出常連のリーゼロッテに連れられて、サラはローレル邸のメイドに見つかることなく街へ出た。


「ねえ、本当に大丈夫なの、リー……」


 リーゼロッテはサラの唇を人差し指で押さえた。


「ピオニーよ」

「ピ、ピオニー、大丈夫なの?」


 サラは見つかったとしても、サラが光の聖女だと知る者は少ない。

 しかし、リーゼロッテは違う。

 オーランド王国唯一の王女が、護衛もつけずに街に来ているなどと分かると大騒ぎになる。


「だから、大丈夫よ。今までこの変装を一度も見破られたことがないもの」


 そう言ってリーゼロッテはサラの手を引いて、迷いがない足取りで歩き始めた。

 大きな屋敷が連なる貴族街から、雑多にひしめき合う平民街へ軽やかに歩く。

 向かい風に潮の香りを感じたサラは、海に向かっているように感じた。

 リーゼロッテは採れたてのカキを食べに行くと言っていた。そう聞いていたから、森か果樹園に行くものだと思っていた。

 もしかしたら、海に近く塩分を含んだ土の方がカキは甘くなるのだろうか?

 干しカキなら、乾燥した山風の方がいい感じに甘さが凝縮するのだけれど。

 まあ、今日はリーゼロッテに付き合うと決めたのだから、素直に従うことにした。


 そう決めたサラは、街や人々の様子を楽しみながら、リーゼロッテの背中を追いかける。

 潮焼けした浅黒い肌の多いベラルギーの人々とすれ違うたびに、リーゼロッテの正体が発覚してしまうのではないかと気にしていたが、誰も二人を気にする様子は無かった。

 驚いたサラは、小声でリーゼロッテに言った。


「ピオニー、本当に誰も気が付かないわね」

「ね、わたしの言った通りでしょう、リリー」


 リーゼロッテはドヤ顔でサラに笑いかける。

 確かに桜色の美しい髪が特徴的であるリーゼロッテが、まさか真っ黒な髪になっているとは誰も思わないだろう。

 そんなリーゼロッテは足を止めた。


「さあ、着いたわよ」


 そこは美しい海が見えるレストランだった。そこは普通のレストランとは違って、オープンテラスになっており、そのテーブルの上にはそこで調理ができるように炭置きと網が用意されていた。

 オーランドにはないスタイルのレストランに、サラは興味津々の様子で聞いた。


「ねえ、カキを食べる前に、ここで食事をしていくの?」

「いいえ、ここでカキを食べるのよ」


 リーゼロッテは店員に案内されながら答えた。

 果物を焼くと甘みが出る物もある。焼きリンゴなどその最たるものだ。もしかしたら、ベラルギーではカキを焼いて食べるのだろうか? どんな味がするのか、サラは未知の味にワクワクしていた。


「ねえ、ピオニーは良くこの店に来るの?」

「時々よ。お兄様が家に居ない時に、時々ね」


 そう言いながら、手慣れた感じで注文をすませる。


「特にカキのシーズンが始まるこの時期にサラを連れてきたかったの。本当は冬の間は来たいのだけど、冬はお兄様も王都にいることが多いから、悩ましいのよね」

「え!? カキのシーズンは秋でしょう。冬だったら干しカキでしょう」

「リリーって、料理があんなに上手なのに、カキの旬も知らないのね。まあ、オーランドには海が無いから仕方がないのかもね。あっ、来たわよ」


 サラが反論する前に、それはやって来た。

 炭によって温められた網の上に、黒い物が表面についているおおきな白い塊が置かれた。

 サラはその塊をフォークでつついてみると、硬かった。これはいくら焼いても食べられないだろう。そもそもカキを食べに来たはずなのに、店員が持って来たものはカキと似ても似つかないものだった。


「ねえ、ピオニー?」

「何?」

「私たち、カキを食べに来たのよね」

「ええ、そうよ」

「これは何?」

「これがカキよ。しかして、リリーってカキを見るのが初めて?」


 リーゼロッテは焼き加減を気にしながら、サラの疑問に答える。


「カキって果物のカキじゃなかったの? 木に生えている」

「ははは、違うわよ。海のミルクと名高いカキのことよ」

「へー、これがベラルギーで言うカキなのね」


 サラはカキの殻をいつ柔らかくなるのか気になって、フォークでつついていた。

 しかし、どう考えても食べられるようになるとは思えなかった。


「きゃっ」


 じっと見ていたサラが驚きの声を上げた。

 カキの殻が開いたのだ。そして中の海水が煮立ち、潮の香りが立ち上る。

 ここに来て、サラは初めて自分の勘違いに気が付いた。


「ねえ、これってもしかして貝の一種なの?」

「ええ、そうよ。何だと思ったの? 海のミルクって言ったじゃない」

「まあ、そうなんだけど……それで、これってどうやって食べるの?」

「これはね」


 皮の手袋をつけたリーゼロッテは、カキの殻の間にナイフの刃を器用に差し込むと殻をこじ開けた。そこには白く、丸々太ったカキが現れた。

 するとリーゼロッテはレモンをくいっとかけると、カキを口に運んだ。


「うーん、美味しいわ」

「こうするのね。あ! 外れた」

「あ、熱いから気をつけて」

「ええ、分かったわ。レモンを絞ってっと」


 初めてのカキにサラは興奮ぎみで齧り付いた。

 その熱さにハフハフしながら食べているサラを、リーゼロッテは少し不安そうに見ていた。


「美味しい」

「良かった。まだまだあるからどうぞ」


 リーゼロッテはサラの様子に満足して、自分の目の前のカキに向き合った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?