「真紀奈」
「早かったにゃしね」
廃ビル近くまで辿り着けば、目立たない位置から監視者のように身を潜めている真紀奈がいた。
流石の真紀奈と言うべきなんだろう、マレビトムラへ突入はせず出入りをまずは観察してくれていたようだ。
「あの二人は?」
「別方角からの監視に回してるにゃ。心配しなくてもあちきの合図抜きで突入するにゃって言ってるにゃしよ」
「心配してないよ」
「……にゃふふ。そうにゃしか」
機嫌良さそうに目の前を真紀奈の尻尾が揺れた。
「出入りは?」
「少なくとも到着してからは誰もにゃい。けど、カズにゃしか? 犬稀人のおっさんは人間一人の出入りがあったと思うって話にゃしよ」
「……鳴の匂い、覚えてもらってたら良かったな」
「護衛として仲間にしたわけでもにゃし、出雲鳴と関わる位置にいたわけでもにゃし。そこまで先見性を持ってにゃんて動けにゃいにゃ」
フォローが沁みるけれど、浸ってる場合じゃない。
どうする、べきか。
「あちきが先に突入するにゃ?」
「一人で先行させる理由がないって。先生が絡んでるなら、俺の動きも予想されてるだろうし。入るなら一緒にだ」
「そうにゃしね……けど――」
「言わないでくれ。甘いのかも知れないけれど、俺にとって高尾高美って稀人は、この世界に二人といない先生なんだよ」
真紀奈の何か言いたげな目はまだ先生と呼ぶのかってあたりだろう。
決定的な何かがあるまでは、いや。
決定的な何かがあっても、俺はきっとあの人を先生だと呼び続けるし、思い続ける。
「だって言うのに」
「ああ、行く」
「タカミが居たのなら、きっと」
「戦うことになる、んだろうな」
そんな予感はある、むしろ確信に近い。
敵としてではなく、ただただお互いが歩もうとしている道にある障害物を取り除くためだけに。
「辛いにゃ?」
「どう、だろ。実感がないってだけかもしれないでも、不思議と……大丈夫だよ」
大丈夫と言えば大丈夫になる。
あぁ、真紀奈。そんな心配そうな顔をするなって。
「じ――わぷっ」
「それ以上は言うなって。多分、お互い憎しみがあっての衝突じゃない。お互い別に理由がある。それもきっと、酷く自己都合ばかりを優先させた、誇れるわけもない理由が」
自己都合だからこそ、譲れない。
稀人が自分の欲望から目を背けたら何が残るって言うんだという話だから。
「……うー」
「なんだよ」
「ともちゃん以外に撫でられるの、嫌いにゃし」
「そっか」
それでもいつの間にか撫でていた手を払われることはなく。
頬を染めたまま、何かを耐えながらも受け入れてくれた。
「ありがとう。じゃあ、そろそろ」
「行くにゃしか」
二人揃って頷きあう。
「仁」
「うん?」
「仁は、タカミの相手だけを考えるにゃしよ。辿り着くまでの道は、あちきが作ってやるにゃ」
「……頼もしいよ」
まるでそこまでに何かあるとわかっているかのような。
あぁ、いや。
わかってるんだろうな、誰よりも俺たちの中で。
「頼んだ」
「任されたにゃ」
そうして二人で揃って、廃ビルの中に入っていった。
慣れ親しみがまだ残る地下への扉を開ければ。
「……まだ夜って言うには、早いよな」
「んにゃ。前のルールがまだ生きているにゃら、幻界が発動している時間にゃしね」
かつての緑豊かな幻想は欠片も見られず、ただただあって当たり前のビル地下が目の前に広がっていた。
「仁、タカミの部屋は覚えてるにゃしね?」
「もちろん、だけど……って、あぁ」
そして、ここでは向けられないと勝手に思っていた、思いたかった敵意というものが伝わってくる。
つまるところ。
「あちきらは、敵にゃしか」
「みたい、だな」
ここの生活を脅かす存在と認識されてしまったわけだ。
「心が痛いにゃしか」
「言うまでもなくな」
「あちきもにゃ」
「……うん」
当たり前、だろう。
稀人全てが俺たちの動きを迎合しているなんて思いあがったつもりはないし、今もそうだ。
先生が作ったマレビトムラは、日の当たる世界を自ら拒絶した稀人にとっては楽園だった、そういうことだ。
そんな先生と道を違えたって言うのなら、邪魔者であり自らたちの生活を壊す者として排除しようとするのは当然の話だから。
「まきにゃー」
「……んにゃ」
痛みを堪えながら慎重に進んで行けば、不意にいつか一緒に料理を作った子供――あぁ。
「そういう、ことだったのか」
「あちきも、驚いたにゃ」
あどけない声、一緒に笑い合った時の笑顔をおぼえている。
でも。
「なんで? なんで? なんで?」
「子供も、幻だった、ってことか」
部屋からのっそり出てきたのは、小さな狐だった。
そしてそんな小さな狐を庇うかのように現れたのは、ちゃんとした大人の稀人で。
「……どうして? どうして壊そうとするの?」
壊れてる。
そんな風に思った。
「どいて、下さい」
「嫌よ。退けば長野君、あなたはボスと戦うでしょう?」
「はい。きっと、戦うことになるんでしょうね」
「やめてよ。私、もうこれ以上何も失くしたくないの、壊したくないのよ、お願い」
自分の子を守る母親、とでも言うのだろうか。
……俺は、そんな温かさを知らないから想像するしかできない。
でも、想像するだけでも、俺が今からすることは本当にやっていい事なのかと不安をかきたてる。
「……やっぱり仁は、優しすぎるにゃし」
動きを止めてしまった俺の前に、真紀奈はため息を一つ、肩を竦めながら立って。
「仁は戦いに来たにゃ。それは別にここを無くすために来たわけじゃにゃい」
「真紀奈? どうして? あなたもボスと一緒にいてたじゃない。私達と一緒にここを、この子たちを守っていたじゃない。どうして?」
「いい加減呪いから解き放たれるべきにゃしよ。その上で現実を見るにゃ。見て、それでもこの幻想に生きていたいのにゃらそれでいいにゃ」
呪い。
真紀奈が言う呪いって言うのは、何だろう。
言語化は、できない。
でも、多分俺も真紀奈も、解き放たれたからこそこうしているんだろうな。
「選ぶことの大切さを知るにゃし。選ばされたまま生きるにゃんて……そんにゃの死んでるも同然にゃしよ」
「わけ、わからない……わかんない、わかんないよ!! 真紀奈っ!!」
「仁っ!!」
飛びかかってきた、見知った稀人を抑えながら真紀奈は俺へと。
「っ……任せるっ!」
「行ってくるにゃしっ!! 今度は! ちゃんと獲物をしとめてくるにゃしよっ!!」
あぁ。もちろん。
狙った獲物は、必ず仕留めるよ。