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第57話 隠された誓い

 俺にとって当面の課題は、マルティナの隠し事とエルフの情勢のふたつだろう。それで、どちらを優先すべきかと言えば、まあエルフの方だよな。


 マルティナの隠し事には、なんらかの大きな狙いがある。それは分かる。だから、放置しすぎれば嫌な形で爆発するだろう。それでも、一歩ずつ時間をかけてマルティナの心を解きほぐすべきだ。


 転じて、エルフの問題は対応を間違えればデルフィ王国を滅ぼす。その上、スタンという防波堤が失われている。下手をしたら、今すぐに攻めてきても何もおかしくはない。


 ということで、俺のやるべきことは大きく分けてふたつだと認識している。エルフの情報を集めることと、自軍の戦力を拡大することだ。


 エルフの情報に関しては、あくまで指示を出すだけ。そして、今は待っている段階だ。そして戦力の拡大だが、これも大きくふたつに分けられるだろう。


 まずは、今ある戦力を最大限に活用できる形にすること。例えば、兵の訓練や武器の購入など。もうひとつは、新しい戦力を手に入れること。徴兵や技術開発などが挙げられるだろう。


 いくつかの方向で進むべきだと認識しているが、今すぐやりたいことは決まっている。それは、アスカという切り札を最大限に活かすための状況づくりだ。


 まず間違いなく、アスカの強さを知った敵は正々堂々と戦おうとしない。毒でも人質でも分断でも、あらゆる戦術を駆使するだろう。その中で毒への対抗策は、俺のすぐそばにある。宮中伯にして猛将のサレンだ。


 サレンは、毒を癒やす魔法を持っている。だからこそ、今のうちに仲を深めておきたい。いつかアスカが毒に侵された時、対応できるように。


 ということで、サレンとの話の場を用意することにした。俺の部屋に呼び出して、ふたりで話をする。まあ、護衛としてアスカは横にいるが。今は、来るのを待っているところだ。


 ノックの音が届いて、俺は返事をする。すると、サレンは部屋に入ってきた。ざっくばらんに切り揃えられた青い髪から、強い意志を感じる瞳が覗く。猛将と呼ばれるだけのことはあると思える目つきだ。


 そのままサレンは頭を下げて、俺の前に座っていく。そして、話が始まった。


「僕を部屋に呼び出したってことは、僕を求めているってことだよね。女としてというのなら、まだ早いんじゃないかな?」


 そんな事を言ってくる。まっすぐに目を合わせてきているので、冗談かどうか判断しづらい。とはいえ、サレンを抱くために呼び出したわけではない。俺は、真っ当にサレンとの距離を縮めようと考えているのだからな。


 俺が権力を用いて手籠めにしてしまえば、決して信頼は手に入れられない。そうなってしまえば、サレンは俺のために魔法を使ってはくれないだろうな。だからこそ、真摯に向き合う必要がある。今の考えが打算そのもので、真摯とは程遠いとはいえ。


 さて、どう返答したものか。冗談なら、話が早いのだが。そうだな。サレンを高く評価していると伝えようか。それでいて、親しみやすさも演出できれば理想的だ。


「俺にサレンを飼いならすなんて、できやしないさ。だからこそ、サレンは優れた将たり得るんだろうな」

「僕を飼いならす気概があるのなら、それはそれで楽しいと思うけれどね。でも、殿下の魅力は別のところにあるよ」


 そう、笑いながら言っている。ある程度は、好意を持たれているはず。やはり、サレンの妹を助けた甲斐はあるのだろう。メリットなんてなくても助けた価値があると思うくらいには、リネンは魅力的だった。もちろん、サレンだって好きになって当然の子だ。


 俺としても、これからはリネンと仲良くしていきたい。だから、サレンとの関係が悪くならなそうなのは、魔法の件を抜きにしてもありがたいことだ。


 そうだな。サレンの考える俺の魅力は、できれば知っておきたい。自覚できれば、長所を伸ばすこともできるかもしれないのだから。そして同時に、サレンが重要視するものを知ることができる。今後の関係を考えれば、大事な質問になるだろう。


 言い回しに気をつけつつ、俺はサレンに目を合わせて問いかけた。


「どんなところが魅力なのか、教えてくれないか? サレンにとってもリネンにとっても、魅力的な存在でありたいんだ」

「やっぱり、僕の体が目当てなんじゃないの? なんてね。リネンを命がけで助けてくれたこと、聞いているよ。その優しさだけは、どうか失わないでほしい」


 じっと俺を見つめながら、サレンは真剣な様子で告げてきた。俺としては、自分が優しいだなんて思えない。これまでの日々で、ずっと打算で生きてきたのだから。だとしても、俺は優しさを演じ続ける必要がある。


 サレンの好感度を抜きにしても、優しい人だと思われることは利点が多い。そんな考えの時点で、本当の優しさではないにしろ。ただ、やはり大事なことだ。人からもらうばかりの人間は、まず嫌われる。俺は、誰かに何かを与えられる人間であるべきなんだ。


 そして、できることなら優しい人間でいたいのは、本心でもある。単純な話だ。人を傷つけることも、打算にまみれることも、疲れるだけなのだから。


 俺は本音と打算を交えながら、サレンに答えを返した。


「ああ。俺は、リネンの望むお兄ちゃんでいたい。きっと、とても難しいのだろうが」

「僕だって、難しいことは知っているよ。だけど、信じる。だって、苦しい局面でリネンに向き合ってくれた気持ちは、無くなったりしないはずだから」


 そっとアスカにも視線を向けながら、サレンは語る。アスカはただ、無表情のままだ。きっと、俺が優しさを持つことができれば、サレンだけでなく、アスカの心も溶かせるのだろう。もしかしたら、マルティナだって。


 ただ、俺がリネンを励まし続けたのは、自分の命を守るためだった。リネンが恐怖に負けて暴れてしまえば、俺は死んでいたから。そんな俺に、どこまで本当の優しさが持てるのだろうか。少しだけ、疑念がよぎった。


 それに何より、サレンも語る通りに、とても難しい。王宮には陰謀や欲望が渦巻いている。そんな中で、ただ優しいだけの人間は食い物にされるだけだ。だからこそ、どうしても打算的に生きてしまうのだから。


 だとしても、俺は優しくする努力だけは続けるべきなのだろう。今サレンが評価してくれているのも、少なくとも表面的には優しかったからだ。だから俺は、優しさを心のどこかに持ち続けよう。きっと苦しむのだろう。迷うのだろう。それでも。


 分かっている。俺の一番近くにいるユフィアは、優しさを食いつぶす存在だと。優しいからと評価などしないと。だから、打算で生きるのが楽なのだろう。そうすることが、ユフィアに好かれる道筋にも近いのだろう。


 だが、俺は決めた。その決意を言葉にするために、俺は深呼吸した。そして、サレンに向き合う。


「ありがとう、信じてくれて。その期待を裏切らないように、努力する。だから、俺に手を貸してくれないか? 俺達の未来を切り開くために」

「構わないよ。きっと、エルフに警戒しているんだろう? 実際のところ、最近はエルフの被害を受けたという報告が減っている。けど……」


 それは嵐の前の静けさだ。サレンが言葉にせずとも、伝わった。大きな動きのために、力を蓄えているのだろうな。だから俺は、まっすぐに頷く。そんな俺に、サレンは手を差し出してきた。


 俺はサレンと握手しながら、未来に向けてひとつの誓いをした。きっと、俺はエルフを大勢殺すのだろう。それでも、少しでもエルフを救うのだと。エルフという種族と手を取り合う未来に、わずかでも近づくのだと。


 偽善かもしれない。自己満足なのかもしれない。だとしても、優しさを失わない未来の一歩になるはずだ。そして同時に、デルフィ王国を滅びから遠ざける道筋でもあるはずだ。誰にも告げる気はない決意を、俺はただひとり固めていた。

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