深度S。
死の森。
暗く澱んだ空気。
血のように滲んだ空。
ひどく歪に曲がった木々たち。
そして、その森から溢れ続ける骸骨と死体たち。
「臭い臭い臭い臭い!」
「うるさいわよ!」
タレアが悲鳴をあげて逃げ出せば、クトラが顔を顰めて水鉄砲を撃つ。
骸骨と動く死体……スケルトンとゾンビだ。
強さはそこまででもない。
それこそ深度Eとかでも出てくるようなモンスターだ。
だが、その強さは違う。
スケルトンもゾンビも軽快に動き、力強く攻撃してくる。
なにより数が多い。
「臭いのは私が相手するから、あなたは骨を相手しなさい。お似合いでしょ!」
「骨だけなんていらないし。そういうあんただって、海に流れてくるので臭いのにはなれてるよね!」
「腐肉なんて食べないわよ!」
二人は口喧嘩しながらゾンビとスケルトンを倒していく。
クトラは水弾を雨のように乱射し、タレアは素早く動き回ってスケルトンを薙ぎ払っていく。
「初めてのダンジョンなのに、動揺してないね」
「そうね」
そんな二人の戦いを俺とスラーナは少し離れて様子を見ていた。
村に遊びにきたクトラとタレアにこれまでのことを説明して、今度ダンジョンに行ってみると言うと、二人も参加を望んだ。
少し悩んだけど、どうせ俺たちが見つかっても問題なんだからいいかと連れていくことにした。
二人とも気配を消すのは得意だし、俺たちも協力したのでダンジョンポータルまで問題なく移動することができた。
それからこっそりと深度Sのダンジョンに入ったのだけれど、さすがに中がどんなものなのかまで探っている暇はない。
出たところ勝負で入ってみれば、死の森だった。
無限にゾンビを吐き出すと広大な森を見渡す。
気配は森の中にびっしりと詰まっており、まるで虫の巣のような雰囲気だ。
クトラとタレアはギャアギャアと悲鳴を上げながら戦い続けている。
「どうしよう?」
「まだ大丈夫みたいだから、もう少し様子を見ましょう」
「え? そうなの?」
「うん。ついでにこのダンジョンの仕組みをたしかめるのにちょうどいいでしょ」
けっこう厳しいなぁ。
「なに?」
「なんでもないです」
スラーナの視線がきつい。
心の声が漏れたかも。
森から溢れるゾンビとスケルトンは、クトラとタレアに集中する。
それは俺たちが気配を消しているからなんだけど……問題にしているのは、その出現の仕方だ。
ゾンビたちが出てくるのは、森の一部からだけだ。
あんなにひしめいているんだから、もっと他の場所から出てきてもいいのに。
俺は、気配を消すのをやめて、二人とは別の方角から森に近づいた。
「タケル?」
「ちょっと試してみたい」
そう言って刃喰を抜く。
俺の気配を感じ取ったらしく、森のざわめきが増して、中からゾンビたちが溢れてきた。
「やっぱり、そういう動きだ」
森の全体からではなく、近づいてきた気配に近い場所からだけゾンビたちは飛び出してくる。
だけど、中の気配は減った様子はない。
近づいてくるゾンビたちを刃喰で薙ぎ払いながら、タケルは考える。
森に潜んでいる気配と、森から飛び出してくるゾンビたちの気配は、別物だ。
これがどういうことなのか?
それを考えながら、斬り続ける。
「本気は出さないの?」
「やりすぎると人間の動きを忘れそうだから」
変化した後の力は強力だけれど、必要でないなら使いたくない。
属性を覚えたけど、使い方がわかった後はあまり使わなかったのと一緒だ。
術理技をもっと覚えたかったのもあるけど、それにばかり頼ると、肝心の基本的な実力が落ちてしまいそうな気がする。
「それはそうかも」
スラーナも納得したようで、姿を見せると弓を構えてクトラたちの方を手助けし始めた。
それからまたしばらく同じようにゾンビやスケルトンを斬り続ける時間が続く。
「うん、わかった」
そしてようやく、結論が出た。
「これ、時間の無駄だね」
「そうね」
「え? そうなの⁉︎」
「なんでわからないの?」
「わ、わかってたし!」
変なテンションになって、悲鳴を笑い声に変えて戦っていたタレアだけが俺の結論にびっくりしていた。
「というわけで、一度退こう。撤退」
俺の宣言で、みんなでジリジリと森から距離を取っていく。
俺たちが森から離れていると、ある段階でゾンビたちは追いかけて来るのをやめて、森に戻って行った。
さらにもう少し距離を稼いでから、休憩することにする。
クトラに出してもらった水で喉を潤し、弁当を食べることにする。
大きなおにぎりが二つと、鳥のもも肉を焼いたもの。
これを食べたら残りは干し肉とかの保存食だけになるので、できれば次の食事時ぐらいまでには終わらせて帰りたい。
「それで、なにかわかったの?」
「ううん。たぶんだけど、ゾンビとかをいくら倒しても意味はないよね」
「それはわかっているわよ。問題はその先」
「それなんだけど、もしかして森自体が敵の本体なんじゃないかな?」
「ふうん。なるほどね」
「え? え? どういうこと?」
「臭いのと骨が森に住んでるんじゃなくて、森が臭いのと骨を飼っているってことでしょ」
わからなかったタレアがクトラに聞く。
クトラはわかってくれたみたいだけど、その説明を残念ながらタレアは理解しなかったみたいだ。
「……なに言ってんの?」
「ううん。いいから森で骨でも追いかけていなさい」
「なんでよ!」
そんな二人の喧嘩を見ながらおにぎりを食べる。
隠れていた漬物を齧ったから、口の中で味が変化した。
うん、美味い。
「近づいたら攻撃してくるのがあの距離だから、森だけを攻めるならこの辺りから試してみる?」
スラーナが食事中のこの場所からの攻撃を提案してくる。
「そうなると、スラーナとクトラの独壇場だね」
もちろん、本気を出せばそんなことはない。
ないのだけれど、今回はあくまでも人間の姿を維持し、人間の姿だけだったときにできることで解決できるようにしたい……という思いがある。
だから、この距離から攻撃ができるのはスラーナの弓と、クトラの水魔法だけとなる。
「だけど、森は大きいから矢を撃ったり水を撃ったりするだけもね。決定打にはならないんじゃないかしら?」
理解しないタレアを放置して、クトラがこちらに疑問を投げかける。
「よくわかんないけど、森を倒さないといけないなら、燃やせばいいじゃない?」
タレアがそう言ってもも肉を齧った。
「そう。まぁ、そうなんだけどね」
タレアの言うことはもっともだ。
だけど、ここには火を扱えるものはいない。
タレアは風というか、最近は速度とか雷とかに寄ってきているし、クトラは水だ。
スラーナは風。
そして俺は斬る。
「たぶん、普通の火を投げ込むだけとか効かないだろうなぁ」
ちょっとぐらいの火なら、ゾンビたちが一斉に駆け寄ってその腐肉で押し潰してしまいそうだ。
それならどうするか?
結論は、みんなが食べ終わった時に出た。
「「「「じゃあ、木を全部倒そう」」」」
そういうことになった。
火で燃やせないのなら、森が森である理由をなくしてみるしかない。
森とはつまり、木々の密集地帯なのだから、そうでなくしてみようというわけだ。
「じゃあ、スラーナとクトラが外側から、俺とタレアが中からってことで」
ゾンビたちの出方次第では、俺たちが木を切る余裕なんてないかもしれないけれど、その時はその時で、囮役とか盾役とかに徹すればいい。
とにかくそういう作戦で動いてみる。
「タレア、あんまり離れないようにね」
「ふふーん、あいつらの動きはもうわかったし!」
休憩を挟んで元気になったタレアと森に近づくと、やはりゾンビとスケルトンが飛び出してくる。
その群れを掻き分けるように刃喰を振り、強引に森の中へ入っていく。
タレアは正面から戦う気はなく、一つ跳躍するとゾンビたちの頭を蹴って先に行く。
「……まぁいいか」
離れないようにと言ったばかりなのにと思ったけど、これぐらいならまだ大丈夫だからいいかと思い直す。
なにより、木々があった方がタレアは戦いやすいだろうし。
その証拠に、一足先に森に入ったタレアの辺りで、木々が破裂するような音が連続でした。
タレアが足蹴にした結果、幹が破裂して倒れているのだ。
風を纏ったタレアの移動速度はかなり速く、そして立体的な動きを得意とする。
木々を足場にした立体的な戦い方になると、それはもうすごい。
ゾンビやスケルトンがどれだけたくさんいようとも、タレアを捕まえることはできない。
動き回るタレアの余波でゾンビたちは吹き飛ばされ、倒れる木々に押しつぶされていく。
俺が森に到着した頃には、倒れており重なった木々によってちょっとした壁ができていた。
「どうよ!」
「うん、すごいよ」
「へへぇ、タケルに褒められた」
タレアの嬉しそうな声が破壊音の中から聞こえてくる。
そうすると、別の場所でもっと激しい音が響いた。
クトラだ。
彼女が生み出した大量の水が、俺たちとは別の場所に流れ込み、木々を根ごとひっくり返していく。
「うわぁ、クトラが悔しがってる。やーいやーい」
そんなタレアへの返答は、濁流の水音だった。
生み出された大量の水がより激しく森の内部に食い込み、土石流となって森を食い荒らす。
あーあー、荒ぶってる。
この二人は、相変わらず喧嘩するほど仲がいいを体現して止める気がない。
スラーナの方は冷静に矢を連射し、森の様々な場所の木を倒している。
そんなことをしていたら手持ちの矢がすぐに尽きてしまうと思うだろうけど、いまスラーナが使っている矢は、彼女の魔力を固めた物だ。
役目を終えればすぐに形を解き、スラーナのところに戻っていく。
だから、撃ち放題だ。
破壊の音は激しいので、矢一本で木一本というわけもなく、もっとたくさんを巻き込んでいるだろうことはわかる。
「こっちも負けてられないな」
「タケルは、スラーナが頑張ってると負けん気を出すし」
少し責めるようにタレアに言われて、たしかにそうかもと納得した。
「もっとうちらも見るし!」
「見てるんだけどなぁ」
「足りないし!」
「ええ……」
戦いながらそんなことを言うのだから、本当にゾンビたちの対応に慣れてしまっているのだろう。
モンスターと戦うというよりは、ただの伐採作業……いや、そんな言葉でいうのも烏滸がましい自然破壊行為にしばらく勤しんでいると、ようやく動きがあった。
激しい地響き。
「うわっ、大変」
「退避しよう」
「うん」
地面が揺れては、さすがにタレアも自在に跳び回るというわけにはいかない。
足元を掬われたゾンビたちは揃って転がっている。
その上を、二人で駆け抜けて森から再び脱出した。
森から脱出すると、スラーナたちも近くにやってきた。
「どう?」
「見ればわかるわ」
スラーナが言い、クトラも頷くので振り返る。
森全体が大きく隆起しようとしていた。
生乾きの茶色い土がバラバラと落ちていき、木々の根が剥き出しになる。
その下から姿を見せようとしているのは……薄汚れた灰色に近い白の骨だった。
「でっか!」
タレアが叫ぶのもわかる。
森の下に隠れていたのは、巨人の骨……巨人のスケルトンだ。