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第42話

(ユリウス=アトリー)

 私は目の前の男性を見上げる。

 揺れる緑の長髪。

 柔らかな雰囲気。

(聖魔のオラトリオに登場する攻略対象の1人で、大人びた雰囲気のあるエルフキャラ)

 聖王国を舞台に、聖女ノア=アリアを主人公に据えた物語。

 そして、エレナ=イヴリスが悪役を務めた物語。

 その中で彼はノアと共に戦うキャラクターとして登場していた。

(この世界はノアが王子アレンと結ばれるトゥルールートだから、たしかに彼は聖王国を離れてエルフの里に帰っているはずだけど……)

 私がこの世界に現れた直後の状況から考えて、この世界はアレンルート――いわゆるトゥルールートをたどっている。

 そのエピローグでは、ユリウスはエルフの里に戻ると語っていたはずだ。

(まさか、私たちが転移された場所がエルフの森だったなんて)

 たしかにリュートは転移先がわからないといっていた。

 だがまさか、ピンポイントにここへ飛んでしまうとは。

(って、そんなことを考えてる場合じゃない……! 彼らにとって、私の印象なんて最悪に決まってるじゃないの……!)

 最悪、彼の手で殺されてもおかしくないレベルで。

 それだけのことをエレナは彼らにしでかしてきたのだから。

「おや。珍しいことがあるのですね」

 柔和な態度。

 それさえも恐ろしい。

 身をすくめている私だが、ユリウスの視線は私の背後へと向けられていた。

「その男性を守っていたのですか?」

「あ……え……」

 どう答えるべきなのか分からない。

 下手に応えてしまえば、ソーマにも飛び火してしまうのではないか。

 そう思うばかりで、私は口ごもることしかできない。

「貴女が国外追放になったのは知っていましたが、まさかここを次の拠点に選んでいたとは思いませんでした」

 彼はそう語る。

 普通に考えて、魔王を討伐したメンバーの故郷に私が逃げ込むなんてありえないだろう。

 少なくとも、私だったら正気を疑う。

 事情を知らないユリウスから見ると、私がそんな狂人に見えているわけだ。

「いくらエルフが俗世に疎いとは言っても、さすがに貴女の悪名を知らないほどではないのですがね」

 嘆息するユリウス。

 たしかにエルフはあまり人間と関わらないと言われている。

 自分の悪評が知られていない可能性に賭けてここを訪れた。

 そんなふうに思われてしまったのだろうか。

 ……というか、そんなエルフにも悪評が蔓延しているエレナはさすがというべきか。

「えっと……あの……」

「診せてください」

「……はい?」

 私が応えきれずにいると、ユリウスが手を差し出してきた。

「そちらの男性です。この騒ぎでも起きないということは、ただ眠っているわけではないのでしょう?」

「……はい」

 その提案は願ってもない話だった。

 正直、私の診断なんてアテにならない。

 多少なりとも知識のある人に診てもらいたいというのが本音だった。

「ついでですが、貴女も看ますよ」

 ――擦り傷ができていますよ。

 ユリウスが頬を指で示す。

「へ……?」

 思わず頬に手を当てた。

 ……ちょっと痛い。

 この洞穴に転がり込む過程で、どうやら擦りむいたらしい。

 緊張で傷みにまったく気付けなかった。

「まあ、とりあえず彼のほうが先ですが」

 そう微笑むユリウス。

 彼の手を借りながら、ソーマをなんとか穴の外まで引き上げる。

 そして、もう一度ユリウスが手を伸ばしてくる。

「?」

「1人では上がれないでしょう?」

 私がきょとんとしていると、ユリウスはそう言った。

 正直、穴の中に放置されるのかと思ったのだが。

 どうやら私も引き上げてくれるらしい。

「……ありがとうございます」

「いえ。構いませんよ」

 数分ぶりに戻った地上。

 私は彼にお礼を言うものの、彼は特に気にした様子はない。

 ……いっそ、もっと憎々しげに扱われたほうが楽なのだけど。

 むしろ変なプレッシャーを感じてしまう。

「なるほど……」

 私がそんなことを考えている間も、ユリウスはソーマの体を確認していた。

 呼吸に脈拍。

 それらを確かめる手際は手慣れていた。

「どう……ですか?」

「正直、よく分かりませんね。傷を負っているわけでも、魔術的な攻撃を受けたわけでもない」

 不安げに問いかけると、ユリウスがそう答える。

「私の目から見ても、普通に眠っているようにしか見えない。普通に考えれば、時間が経てば起きるはず――としか言えませんね」

「そうですか」

(体に異常がないっていうだけでも喜ぶべき……なのかしら?)

 ユリウスは長命種のエルフというだけあって、知識人としての側面を持つ。

 そんな彼の診断なら信じてもいいのだろう。

「それでは次は貴女です」

 ユリウスが私へと向きなおる。

 思わず肩が跳ねてしまった。

「頬を見せてください」

「は……はい」

 指示に従い、頬を差し出す。

 ――いきなりビンタを食らったりしないだろうか。

 まあ、それくらいのことはしてしまった自覚があるけれど。

 もっとも、彼のビンタを食らったら首が飛ぶのだが。

「終わりましたよ」

 そんなことを考えている間に、治療は終わったようだ。

 ほんの一瞬のことだった。

 彼にとっては擦り傷なんてその程度のものなのだろう。

「あ……ありがとうございます」

 とはいえ助けられたことはまぎれもない事実。

 私は彼へと頭を下げる。

「……………」

 それに返ってくるのは沈黙。

 しかも微妙な表情。

 ……不穏すぎる。

 いっそ感情的に怒鳴りつけて欲しい。

 きっと半泣きになってしまうだろうけど、そのほうがずっとマシである。

 妙に大人な対応をされることが怖くてたまらない。

「あの……?」

 居心地の悪さに耐え切れず、私は挙動不審になりながら口を開く。

「やはり、どうにも重なりませんね」

 それに返ってきたのはユリウスのため息。

 彼は肩をすくめ、頭を左右に軽く振っている。

「貴女が使い物にならなくなった同行者を守ること。擦り傷を負っても騒ぎ立てないこと。私に礼を言うこと。そのすべてが、私の知るエレナ=イヴリスとは重ならない」

 そう告げるユリウス。

 彼は、かつてのエレナにかなり手を焼かされてきたはず。

 そんな彼にとっては、今の私は違和感の塊だろう。

 なにせ私はエレナ=イヴリスではないのだから。

「追放されてからの過酷な生活が貴女を変えたのですか?」

 そう問いかけてくる。

 家を追われ。

 聖王国から離れ。

 そんな過酷な環境が、エレナを変えたのか。

 ある意味であれば、一番ありえそうな話だ。

 そう納得したからこそ、私は次の言葉に面食らうことになった。

 なにせ――


「それとも――貴女の魂が別人と入れ替わっていることが原因ですか?」


 ――彼は、真実を言い当てたのだから。


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