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14-8: A Vow Beyond Failure(失敗の向こうの誓い)

濁流の音が、少しずつ遠のいていく。

視界は揺れ、耳の奥でノイズが混ざるような感覚が続いていた。

体が、動かない。 でも、生きていた。

どれくらい時間が経ったのかもわからなかった。 ただ、ぼんやりと空を見上げていた。

「……いたぞ! 灰島!」

誰かの声が聞こえた。

「っ……無事か!?」

その声に、肩に手が置かれる。

「バカ野郎……! 一人で全部抱え込みやがって」

秋月一馬だった。額に泥と血をつけながらも、どこか安堵した顔だった。

「……秋月……」

「お前が動いてくれたおかげで、誰も倒れずに済んだ。……だから、ありがとう」

その言葉に、胸が熱くなった。

「状況は……?」

「黒磯は離脱済み。ゲートは安定範囲内にある。離脱フェイズに移行可能」

静かな声でそう告げたのは、三輪蓮だった。 彼は周囲の地形とデータをすでに把握していたようだった。

「脈は安定してる。意識もある。歩行補助は必要だが、転送には支障なし」

冷静に分析する声が頭上から聞こえる。 フレイヤ・リンドストロムが、俺の状態を確認していた。

「フレイヤ……」

「無茶をして、倒れるのは計算外よ」

その言葉は厳しかったが、内に優しさを秘めていた。

「よく戻ったな」

重いハンマーを担いだまま、サーラ・ヴァンハラが歩み寄る。 唇の端に笑みを浮かべながらも、その目は鋭く周囲を見渡していた。

「お前の背中、ヒリついてたぜ。今度は前に出すなよ?」

冗談交じりだが、それは彼女なりの労いだった。

「灰島……もう戦わなくていい」

イーダ・ニールセンが、黙って隣にしゃがみこむ。 一言だけ。だが、その言葉の芯に迷いはなかった。

「……みんな、来てくれたんだな」

震える声でようやくそう言うと、誰もが黙って頷いた。

「ゲート、安定。転送可能範囲へ到達」

イーダが端末を操作しながら告げる。

「任務は……失敗か」

呟くように言うと、三輪が口を開いた。

「だが、お前が“あそこで踏みとどまった”ことは、次に繋がる」

静かに、確信のある声だった。

「……次、か」

誰ともなく歩き出す。

崩れかけた岩場の向こう、薄い光の帯が揺れていた。 それは、帰還の道標だった。

「行こう」

最後に、もう一度だけ川辺を振り返る。 黒磯の姿はなかった。 ただ、かすかに残る足跡だけが、彼が確かにそこにいた証だった。

「――次は、絶対に」

そう心の中で呟いた。「次こそ、必ず……連れ戻す」

そして、ゲートをくぐった。

* * *

視界が真っ白になる。

一瞬の浮遊感。

そして――現実。

「っ……!」

体が、跳ねるように起き上がった。

白い天井。 見慣れた天蓋の下。

ここは――クレイドル。

「戻った……んだ」

喉の奥が焼けるように痛い。 呼吸が浅く、胸が痛む。 だが、全身が確かに“現実”を感じていた。

ガラス越しに、複数のスタッフが慌ただしく動いている。

その中で、誰よりも早くこちらに向かってきたのは――

「灰島くん……」

早乙女美月だった。

「……無事で……よかった」

「黒磯には……逃げられました……」

「ええ。あと一歩だった」

彼女は唇を噛みながらも、言葉を選んでいた。

そのときだった。

「灰島賢」

重たい声が、部屋を満たした。

龍崎指令。 モニター越しでも、部屋の空気が張り詰めた。

「命令違反だが……なにがあったかは、聞こう」

俺は一瞬だけ躊躇し、それからすべてを話した。 黒磯の変化、水上凪の裏切り、そして……自分がどう動いたかを。

話し終えると、龍崎は長く黙し、やがて顔を伏せた。

「……そうか」

その目はわずかに伏せられたままだった。

「審議する」

「龍崎指令」

俺は、言葉を切らずに続けた。

「……あなたは、何かを知っていたんじゃないですか」

部屋の空気が、一瞬凍りついた。

龍崎は目を細めた。

「不確定要素は、知識としてはカウントしていないだけだ」

「……!」

その言葉に、早乙女美月も明らかに目を伏せた。

(……美月さんも知っていたのか)

俺は、息を吸い込んで拳を握る。

「……でも、俺は後悔してません」

「それでも、罰は罰だ」

龍崎が、モニターの操作を一つ打つ。 新たなファイルが転送されてきた。

「ある任務を受けてもらう――これは、SENETの“拡張戦域”に備えるための強化訓練だ」

「……訓練?」

「君は、SENETの構造の一端に気づいた。ならば、次に進むには……“それを理解できる力”が必要だ」

俺は、言葉を失った。

「……理解、できる力って、なんですか」

「世界は、すでに境界を越えつつある。矢神臣永を封印した神逐の光も、黒磯風磨の新たな力も、すべては“SENETという構造が拡張を始めた兆し”だ。つまり、このゲームは、ひとつの節目を迎えている」

重々しい沈黙のあと、龍崎は静かに続けた。

「君を、南アフリカサーバーへ派遣する。ガドラ・ホリシャシャ・エンコシ。彼が君の指導官だ」

その名を聞いた瞬間、早乙女美月が小さく息を呑んだ。

「……ッ!」

龍崎は一度目を閉じた。

「彼は矢神のかつての戦友であり、“最強”に最も近く、このゲームを理解している人間だ。今の君に必要なのは、力だ。そして、世界の成り立ちを理解し、その上で戦えるプレイヤーになることだ」

俺は、息を吸い込んだ。

「……わかりました。行きます。必ず、強くなって帰ってきます」

龍崎は、頷いた。

「そうしてくれ。矢神が戻る前に、君たちが“矢神の役割を超えていく”ことが、今は必要なんだ」

その言葉は、命令ではなかった。

――願いのようにも聞こえた。


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