「矢神さん、いつまで寝てるんですか」
静かな病室で、誰に向けるでもなく、俺はそう呟いた。
薄暗い照明の下、冷却ポッドの中に横たわる矢神臣永――その姿はまるで戦いを知らない少年だった。
ガラス越しに見える顔は穏やかで、傷ひとつない。
だがその肉体には、数えきれない戦いの記録が刻まれている。
医療班の報告では、生命活動に異常はない。
ただ、意識だけがゲーム内に“とどまって”いるという。葉奈と同じだ。
だが、ここで俺は思った。
葉奈はあの時、水上といた。
つまり、ゲーム内で本人を取り戻し、ログアウトさせられれば、助かるのではないだろうか。
「なんて、成れない推理だけど……あってるかな、矢神さん」
答えは、当然返ってこない。俺はゆっくりと椅子に腰を下ろし、拳を膝に乗せる。
「俺、わかんないです。黒磯のことも、この世界のことも……」
あいつとの再会、そして決別。 仲間を救うと誓った俺に、刃を向けてきたかつての友。
「俺は……まだ何も、終わらせられていない」
喉の奥が焼けるように痛んだ。言葉にすれば、悔しさが滲む気がした。
「俺、明日から南アフリカに行くんです。最前線――というより、最深部かもしれない」
ポッドに反応はない。でも語らずにはいられなかった。
「黒磯を止められなかった。水上凪の正体も知らなかった。俺は、弱かった」
手をガラスに当てる。
「でも、もう一度立ち上がります。ガドラさんのもとで強くなって、今度こそ、すべてを守ります」
ポッドの向こう。眠るその人に、誓う。
扉が静かに開く。振り返ると、そこに立っていたのは――遠野美雪。
「賢くん、来てたんですね」
「ああ。なんとなく、気になってな」
彼女は隣に腰を下ろし、穏やかに矢神のポッドを見つめた。
「……目を覚ましてほしいよな。この人がいてくれればって、何度も思った」
「うん。でもね、賢くん。矢神さんが今ここにいないなら……今度は、私たちが立たなきゃいけない」
「……そうだよな」
「うん。私たちが、矢神さんの意志を背負って――ううん。それだけじゃない、私たちの意思で、戦うの。それで、全部取り戻そう」
「……ああ」
俺は頷いた。胸の奥にあった重石が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
「賢くん。私は、もう泣かないって決めた」
その目に涙はなかった。覚悟だけがあった。
「みんなを取り戻そう」
* * *
翌朝、日本支部のブリーフィングルーム。
壁面の戦況モニターには、今回の激戦記録が映し出されていた。
龍崎指令と早乙女美月が並んで立っている。
「……準備はできています」
俺の言葉に、龍崎はうなずいた。
「任務の一環として、君は今日から、南アフリカ訓練サーバーに接続される。越境アクセスの手続きは完了済みだ」
「指導者は……ガドラ・ホリシャシャ・エンコシで間違いないですね」
「ああ。生半可なプレイヤーではないぞ」
「ええ。覚悟はできています」
「ならば話は早い。アクセスの準備を始めよう」
龍崎はそう告げると、静かに背を向けた。
残された俺に、美月さんがそっと笑いかける。
「あなたなら、きっと超えられる。あの人に、届くって信じてるから」