いつの間に物語を書いていたのだろう。
この物語は誰にあててだろう。
そんなことがたまにある。
私の物語は、
私が書いたもの。
それはゆるぎないはずなんだけど。
ときどき、
たくさんの物語の中で、
記憶にない物語がまぎれている。
この物語はいつの間にかいたのだろう。
誰にあてて書いたのだろう。
何を表現したかったのだろう。
続きはあるのだろうか。
私は、その物語を最初異物とする。
でも、私以外がこの物語を書くこと、
そっちの方が納得いかない。
いや、私が書くと、とてもしっくりくる物語なのだ。
私の、物語なのだ。
もしかしたら。
時間軸の違う私か、
あるいは、住んでいる世界の違う私が、
この私にあてて書いた物語かもしれない。
だとしたらそれはとても自然で、
間違いなく私が書いたのだと落ち着く。
記憶になくても私の物語。
私という存在は、
記憶だけが構築しているわけじゃない。
いくつもの私がいるのかもしれない。
いくつもの私が、それぞれに私としていて、
ときどきこうやって、
物語を残すのかもしれない。
これは物語。
そう、
私の物語。
私たちの物語。
記憶に残っていないかもしれない。
けれど、私はここにいて物語を書いた。
そして、私はいずれこの物語を読む。
そうして私たちは回っていく。
記憶だけがすべてじゃない。
認識できる範囲がすべてじゃない。
物語はそういうすべてじゃないことの入り口。
きっと、誰にとっても。