私は根無し草。
生まれる前からずっと旅をしている。
私は、国を持たない者たちの中で生まれた。
定まった国もなく、ここが家と決まった建物もない。
いつでも移動できる家のようなもので生活し、
町から町へ旅をして、
その町で、他の町から仕入れたものを売ったり、
また、旅で磨いた技術で対価を得たり、
あるいは、歌や踊りを披露したりする。
生まれてから死ぬまで旅するさだめ。
私たちには故郷がない。
私たちは生まれついての根無し草だ。
風が向く方向に流れていく。
どこへでも旅する根無し草だ。
いろいろな国を見てきた。
いろいろな文化があった。
そこに暮らす誰かにとっては、
その場所が故郷なんだろうなと思う。
故郷に生まれて、それからどこかを旅していても、
心の始まりは故郷にある。
故郷があるものは、故郷からすべてが始まっている。
生まれた場所というものは、特別なのだろうなと思う。
世界中どこであろうと、
そこで生まれればそこが誰かの故郷だ。
そこで育てば、さらにしっかりと故郷を感じられるかもしれない。
生まれ育った場所を離れるとき、
故郷が特別だったと感じるのかもしれない。
故郷を離れていても、ルーツはいつでも故郷にある。
そして多分、故郷を持つ誰かが死んだときには、
魂は故郷に帰ってくるのだろうなと思う。
きっと魂は、ただいまと言って帰ってくるのだろう。
私たちには故郷がない。
私たちなりの伝統はあるけれど、
私たちの文化を持った国はない。
私たちは旅先で死んだときに、
魂はどこに帰るのだろうか。
故郷のない私たちは、最後にどこに帰るのだろうか。
最後にただいまという場所はどこだろうか。
私たちはどこに帰ればいいのだろうか。
私は旅の道の上で、
風が吹くのを感じた。
私たちは風の向くままに旅をしているけれど、
では、その風はどうして吹いているのだろうかと思った。
足を止め、目を閉じて風を感じる。
風は旅人だった。
私はそう感じた。
生まれてから死ぬまで旅をした旅人だった。
私たちとつながっている、私たちの前の旅人だった。
私はなんとなくわかった。
根無し草の私たちは、最後は風に帰るんだ。
どこにでも行ける風に帰って、
死んでも旅を続けるんだ。
風になって、私たちとともに旅を続けるんだ。
そうか、それならばと私は思う。
風が吹くところはすべて私たちが帰る場所だ。
旅ができる場所はどこでも私たちの故郷だ。
国は無いかもしれないけれど、
私たちにはどこも故郷だ。
根無し草はどこにも行ける。
世界中が私たちの故郷だ。
私はまだ旅の途中。
生きている限り旅をして、
死んでもなお風になって旅をする。
家も国も無いかもしれないけれど、
私たちはこの世界全てが故郷であり、
どこに向かってもいいんだと感じる。
私たちは旅をする。
風が向く方向に向かって、
町から町へ。国から国へ。
国を持たない私たちのことは、
歴史というものに残らないかもしれない。
どこにも残らない私たちというもの。
けれど、私たちは死んでも風になって旅を続ける。
私たち全てが死に絶えてしまっても、
私たちは風になって旅を続けていって、
この世界を故郷として吹き続ける。
文化なんて残らないかもしれない。
私たちが私たちとして生きた証なんか残らないかもしれない。
物も記録も残らなくていい。
旅にはみんな重すぎて邪魔なだけだ。
やっぱり旅は身軽な方がいい。
私たちは風が吹くように身軽に生きて、
どこまでも旅をして風になる。
風はどこを目指しているだろうか。
私たちは限りなく身軽な風のように生きる。
どこでも私たちの故郷。
何も残らないかもしれないし、
どこで生まれたかも定かではないけれど、
少なくともこの世界のどこかで私たちは生まれたのだから、
私たちはこの世界が故郷だ。
根無し草の私たちは風に吹かれてどこまでも。
故郷の世界を旅して歩く。
笑いながら。歌いながら。
どこまでもどこまでも。
ただただ、風の吹くままに。