お目が高いと何度も言ってきたけれど、
本当に宝石の価値をわかっている人は、
なかなかいないものだなと思う。
さて、私はとある宝石商。
宝石をカットして形にしたところまでのものを売り歩いている。
この宝石に装飾をつけることにより、
さらに価値が増すというものだ。
大きな宝石などは、
貴族や王族と呼ばれるものであったり、
あるいは大富豪と呼ばれるものであったり、
そんなものたちが地位を示すようなものに仕立て上げられる。
いわゆる、権威の装飾品であり、
それにふさわしい宝石が必要というわけだ。
大きな宝石は価値があり、
さらに、美しくカットされたものには価値があり、
濁りのないものに価値がある。
また、特定の光をあてると不思議な色に輝くものも価値がある。
宝石はそれだけで希少性が高く価値があるけれど、
私は特に価値のある宝石を取り扱っている。
私の宝石を見せると、
皆口々に素晴らしいという。
お目が高いと私は言う。
皆、大きさや輝きなどを褒めたたえる。
そのうえで、宝石に価値をつけて買い求めていく。
私の宝石の本当の価値がわかっていないなと私は思う。
私の持ち込む宝石は、
別の世界とつながっているものだ。
大きな宝石の中に世界があり、
その世界を意のままにできる力を持つことができる。
ある意味、神になれるものなのだ。
この世界の王族や貴族や大富豪などで満足しているものには、
この宝石の本当の価値がわからない。
この世界を意のままにしていると思っているようだけど、
この世界すら、誰かの宝石の中の世界であることに気が付いていない。
世界は無数の宝石の数ほどある。
宝石の中には世界がある。
選ばれたものだけが、宝石の中へと行ける。
宝石に選ばれたものは、
尽きることのない幸福を感じることができる。
全てが満たされ、何不自由なく、心地よく、
全ての望みがかなえられる、
そんな、完全な世界が約束される。
宝石の価値はそこにある。
輝いているだけの宝石だと思うのならば、
本当に輝かしい幸福が見えていない。
宝石の中の世界に選ばれていないのだ。
私は時々、この世界の適当なところに宝石を転がす。
宝石商としての取引の場で、
高額で取引されていないので、
落ちている宝石は、
おそらくはガラスと勘違いされることと思う。
私はそれを狙っている。
この世界を動かしていると信じ込んでいるものではなくて、
私の宝石の本当の価値を見出すものが、
宝石に選ばれることを願っている。
この世界も狭くはないから、
それこそ確率は低いかもしれない。
宝石は価値を知るもののもとに行くべきだと私は思っている。
この世界では、勘違いしたものにしか宝石が行かない。
ならば私は宝石と出会わせるために宝石を転がす。
運命というものがあるとするならば、
宝石に選ばれたものが宝石を拾うかもしれない。
私も縁があって宝石商をしている。
宝石の中の世界を渡り歩いて、
いろいろな世界の宝石を転がしている。
宝石の価値を知るものはやはり少ないけれど、
本当の宝石の価値を知り、宝石と結ばれたものは、
その世界で幸せになる。
私は完全に宝石の価値を知れたわけではない。
宝石それぞれに違う世界や価値があり、
それらすべてを縁で結ぶことはできない。
だから宝石は面白い。
私は無駄に長い命を持て余して、
宝石と誰かを結ぶことをしている。
それが私と言う宝石商の仕事であり、私の楽しみだ。
私の命は、宝石が完全に劣化して壊れるくらいの長さがある。
いろいろな世界の種族を見てきたけれど、
このくらい長く生きる種族はあまりいない。
私は長い命を楽しく過ごすべく、
宝石の世界を渡り歩いて、
宝石と誰かを結ぼうとしている。
長く生きているといろいろなことがある。
宝石と結ばれたものもいた。
真の幸せを手にしたものもいた。
その場に出会えると嬉しいものだ。
次はいつそんな幸せに出会えるだろうか。
宝石の価値をわかってくれる存在を求めて、
私はのんびりと宝石商を続ける。
まぁ、時間はいくらでもあるんだ。
巡り巡って誰かに行きつくこともあるだろう。
宝石は、転がっていくものだからね。