結局誰のペースでもなく、
自分のペースで行くしかないよね。
マイペースマイペース。
学生時代、みんなに合わせることが苦手だった。
僕は得手不得手の幅がものすごくあったので、
得意なものは、かなり先まで出来たけれど、
苦手分野は、下から数えた方が早いくらいダメだった。
平均ってことがなかった。
みんなの平均的な速度というか、
勉強をものにしていく速度というか、
いわゆる平均的な勉強のペース的なもの。
それに合わせることがことごとくできなかった。
僕のペースはものすごくめちゃくちゃだった。
平均的でなかったので、
みんなも合わせづらかったと思う。
なんとなく、腫れ物扱いされていたなと思う。
僕は特殊だったんだろうな。
僕はいまいち対人関係も上手く行かない。
この感覚をどう伝えていいかわからないけれど、
他人の感情を上手く共有して我が事のように思うことができない。
あなたはそう思うんだね、そうだねで終わってしまう。
感情の共有が上手く行く人は、
あなたはそう思うんだね、それは喜ばしいことだね、私も嬉しい。
そんな風に広げることができるんだと思う。
感情の共有が上手く行く人は、
その感情がネガティブでも広げることができて、
たとえば一緒に怒ることもできる。
あの人の言ってること理にかなっていないと私も思うんだ、
なんか嫌だよね、と、話題を広げられる。
僕はそれができない。
あなたはあの人が嫌いなんだね、そうなんだね、
それで終わってしまう。
本当にそれで終わってしまうんだ。
興味がないのかもしれないけれど、
あなたはあなた、別の人だから、
僕と同じことを考えるわけないと思っていて、
安易に、同じことを考えているよと、同意をするよと、
そんなことができない。
だって別の人間だもの。
脳だって別だから、考えていることが同じことはあり得ないし、
感じている感情が同じだということはできないと思っている。
このあたりも、感情のペースが違うと思っていて、
他人の感情の波のペースに、合わせることができないんだと思っている。
それだから、対人関係は上手く行かない。
本当に、合わせられないんだ。
そんな、いろいろ上手く行かない学生時代を越えて、
社会人になって、会社に入って、
対人関係はあいかわらず壊滅だけど、
仕事は黙々とできるのでとりあえず居場所はあるし、
お給料も出る。
誰の陰口らしいものにも共感できないものだから、
仲間はいないけれど、
誰の悪口も言わない人となっているらしい。
一人でできる作業をとにかく黙々とできるので、
他人のペースを気にする必要がない。
与えられた仕事は自分のペースでやればいいから、
平均に合わせる必要もない。
それがものすごく楽だ。
わからなければ調べればいいし、
できる人のペースに合わせる必要も、
できない人のペースに合わせる必要もない。
マイペースにできるってこんなに楽だったんだと思う。
学生時代はペースを合わせるのにしんどかったけれど、
今は自分のペースで生きていけるのでかなり楽になった。
誰かのペースに合わせたとしても、
僕の人生は僕が生きるものだし、
僕の人生は僕のペースで生きるのが一番生きやすい。
また、このペースで生きなくてはいけないと言われたとしても、
その生き方の責任を取ってくれる人はいない。
あなたのペースはこうだから、
こんな風なペースで生きなくてはいけないという人がいたとしても、
そう生きなければこうなってしまうと、
僕の人生の責任を取ってくれるわけじゃない。
ある程度ペースを合わせた方が、
社会の中の形としては生きやすいかもしれないけれど、
僕は僕のマイペースが生きやすくて、
平均からはみ出しているマイペースで生きていくのがいい。
どうせ周りは適当なことを言ってるのだから、
僕は僕に合ったマイペースで生きる。
やっぱり他人にはうまく共感できないんだよね。
得手不得手の幅はあいかわらず大きいけれど、
僕は僕のペースをつかめて生きている。
結局誰のペースでもなく、
僕のペースで生きていく。
マイペースマイペース。