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第27話

 ――この人が、魔王サタナス様。


 月明かりの差し込む静寂の部屋で、魔王様は優雅に紅茶を口にしていた。


 糊のきいた白シャツに黒のスラックス。艶やかに流れる長い黒髪と、深紅に煌めく瞳。頭に誇り高く生えたツノは、威厳の象徴のようにそびえ立ち、ただそこに在るだけで圧倒的な存在感を放っている。


 その鋭くも静かな視線が、私たちをとらえた。


「ふむ……外にいたのはお前たちか。よくぞここまで来たな」


 凛とした低い声が、夜気に溶けるように響いた。

 思わず息を呑む私とは対照的に、アール君は一歩前に進み、膝をついて深く頭を垂れる。まるで忠誠を捧げる騎士のように――いや、それ以上に、胸に迫る何かをこらえるように。


「……うぅっ、お会いしたかった……魔王サタナス様。僕は、ずっとあなた様を探しておりました。そのお姿……なんと、おいたわしや……!」


 顔を上げたアール君の瞳から、堰を切ったように涙があふれ落ちる。

 それは静かなものではなかった。止めようもなく流れるその涙に、彼の想いの深さがにじんでいた。


「お前は……ふむ、名が出てこぬか。そうか、“新たな主人”がいるのだな。……余と別れて、もう三百年にもなるか」


「はい。今の主人は、隣におりますエルバ様。かの魔王軍最強の四天王――タクス様のご息女です」


「ほう、タクスに娘が……それは実に興味深い。あやつとは、また酒でも酌み交わしたいものだ。……ほかの者たちは?」


「ヌヌ卿を除き、皆“サングリア”という魔法都市に身を寄せております。しかし……新たな魔王が魔族の国に現れ、毒草の呪毒によって、彼らは……」


「……そうか」


 サタナス様が持つティーカップが、わずかに揺れた。


「ここまで来て、余を探したと? ……ふむ。三百年、魔王の交代時か。だが、余はこの塔に囚われたまま、正式な退位すら果たしておらぬ」


「はい、そのとおりにございます」


 アール君が重大な事実をさらりと言ってのけたのに、会話はごく自然に続いていく。

 この調子なら――本当に、サタナス様は魔王の座を降りてくれるかもしれない。

 そんな淡い希望が芽生えた、まさにそのときだった。


「……フウッ。しばし待て。厄介なものが来たようだ」


 魔王様が小さくため息をついた、その瞬間――


「バタン!!」


 私達がいる塔の最上階の部屋の扉が、弾け飛ぶように開き。


「誰だぁッ!? あたしのサタ様に手を出す、不届き者はッ!!」


 怒声とともに、部屋へと飛び込んできたのは。

 花柄のパジャマ姿、金とも桃ともつかないピンクゴールドのふわふわした髪と、長いまつ毛に彩られたピンク色の瞳の聖女アマリア・リルリドル。


 彼女は、まさに小説の表紙に描かれていた、ヒロインそのままの姿。だが、その愛らしい顔は今、怒りに歪み、鬼のような形相で部屋を見回していた。


「おかしい……サタ様以外、誰もいない!? そんなはずない! 大昔、大聖女様が仕掛けたトラップ、すべてが作動したのに……逃げられるはずがないし、この灯り、誰が出したぁッ!?」


 本来なら月明かりしか差し込まないはずの薄暗い部屋が、いまはライト魔法の光に照らされ、罠で崩れた壁や床までもが、くっきりと浮かび上がっている。


「隠れたって無駄よ、泥棒猫! あたしのサタ様は、誰にも渡さない!!」


 怒りのはらんだ声が響きわたり、アマリアは狂ったように部屋の隅々まで探し始めた。


 ――ひぇ、怖い。


 でも、姿消しのロープのおかげで、私たちの姿は彼女に見えていない。もし見られていたら間違いなくアマリアは、まっさきに私に飛びかかってきていたはずだ。


「おかしい? ……どこにも、いない? そんな……トラップの多さに驚いて逃げた……のか?」


 戸惑いと苛立ちを滲ませた声に、魔王サタナス様が静かに言葉をかける。


「どうした、小娘? そんなに可憐な髪を乱し、息を荒げて……」


 まるで、いま気づいたかのような穏やかな口調。


「えっ……えええ!? も、もう……サタ様ったら、リアを心配してくれたの? ふえぇ……だ、大丈夫? 怪我してない? リア、サタ様のことが心配で、急いできたんだよ……?」


 アマリアの様子が一変した。

 怒気をまとったオーラは跡形もなく消え、目をうるませながら、上目遣いで鳥籠の中のサタナス様を見る。


「余は無事だ。だが……アマリア、目の下にクマがあるぞ。まさか、また夜更かしか?」


「ふぇ……!? サタ様が、リアのこと……心配してくれてるの!? う、うふふ……だ、だいじょうぶ! リアは夜更かしなんてしてないよ? いま、ちょうど寝ようとしてたところだったもん……」


 あれほど、鬼気迫る形相で飛び込んできた少女が、わずか数秒で乙女の笑顔へと変貌。あまりの豹変ぶりに、アール君と私は、思わず出そうになった声を、慌てて手で押さえた。


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