魔王サタナス様がやわらかく微笑むと、アマリアは花が咲くように笑い、頬をほんのり赤く染めた。
――アマリアさん、魔王様のことが好きなんだ。
「アマリア、今日はもう遅い。明日になったら来なさい。余はここで待っている」
「ほんと? ……なんだか、サタ様、いつもと雰囲気が違う……。もしかして、ついに私の“魅了魔法”が効いたのかしら? ふふっ、だとしたら……サタ様はもう、私のものね。ふふふ、ふふふふふ……」
――魅了魔法!?
ひぃっ……! さっきまで乙女だったアマリアが、急に怪しい人になった。その笑みに背筋がゾクリとする。隣のアール君はというと、もふもふの毛を逆立て、牙を剥き、シャーッと威嚇音まで発していた。
(おお……アール君の“シャー”初めて聞いたよ)
魔王様の一言でご機嫌になったアマリアは、「早朝、またサタ様に会いに来るわ!」とランタンと槍を手に取り、スキップしながら鼻歌交じりに去っていった。
ようやく訪れた静寂。
嵐が去った――そんな表現がぴったりだ。
「ふう……アレも結局、あの“奇妙な聖女”と変わらんな。なぜだ? なぜ、あれほどまでに余に執着するのだ……?」
魔王様は首をかしげる。
――ふふ、それはその麗しさと、魔王様がこの世界の“隠しキャラ”だからでしょう。
それに、アマリアは小説に登場する“変人聖女”の子孫のはず。おそらく私と同じ“転生者”。
原作では、初代聖女と魔王様は人里で出会い、惹かれあった。
けれど魔王は“世界を滅ぼす存在”。聖女は“勇者パーティー”の一員。
使命のため、彼女は涙ながらに魔王を封印した――そう書かれていた。
でも……なんというか。小説より、アマリアの方がキャラが濃い。
彼女なら学園に入っても騒ぎを起こしそう。まあ、もう会うこともないだろうし、気にしないでおこう。
――私は、別の目的があるのだから。
「ようやく静かになりましたね。魔王サタナス様、先ほども申し上げましたが、お願いがあります」
「うむ。あの娘のせいで、話が途中になっていたな。して、願いとは?」
私は深く息を吸い、魔王様に毒草のこと、そして魔法都市サングリアで倒れたパパたちのことを説明した。
「……うむ。毒草に倒れた者たちは、かつての余の部下――元四天王たちか。そうか……余がいなくなって三百年。魔族国では“魔族総選挙”が行われ、新たな魔王が誕生したのだな」
「はい。……でも、ママが言っていました。魔族は一度“主”と決めた相手には、ずっと忠誠を誓うものだと。
だから――お願いします。魔王の座を降りてください。でないと、パパたちが……他のみんなが助からなくなってしまいます!」
私は魔王様に深く頭を下げた。
「……わかった。勇者との戦いが終わり、三百年も経った今となっては、魔王の座などどうでもよい。すぐにでも“よいぞ”と言いたいところだが……この鳥籠の中にいる限り、余にはそれすらできぬ」
サタナス様はガシャンと檻の鉄格子を鳴らした。
「つまり、この鳥籠から出られれば、魔王の座は降りられるのですね?」
「その通りだ」
と、優雅にうなずいた。
「だが――この檻は、あの初代聖女が作ったもの。余の魔力が満ちていれば、こんなチンケなものなど一瞬で破壊できる。だが今の余は、魔力の大半を失っておる。これでは……どうにもならぬ」
「魔力が戻れば、出られる……。じゃあ、レンモンのシュワシュワでも飲めば元気に――って、ねぇ、アール君」
彼の方に顔を向けた瞬間、アール君が突然私に飛びかかってきた。
「きゃっ!」
私は鳥籠まで押し倒され、背中をぶつけた。ガンッと音が鳴る。
「アール君? いきなり、なにするの!」
「すみません……でも、エルバ様の魔力を魔王様に譲ってください。足りない分は、僕が差し上げます」
「え……?」
アール君はまっすぐ私を見つめた。
「三百年前……僕は戦闘に向かないとされ、勇者との最終決戦の地“シーログの森”に行けなかった。だから、魔王城でみんなの帰りをずっと待ってた。……けど……誰も帰ってこなかった。百年が過ぎても契約が切れなかったのは、どこかでサタナス様が生きてるって証。探して、探して……やっと、お会いできたんです」
「……それならそう言ってよ、アール君。あなたは私の――大事な家族の願いなんだもの。それに、魔王様に出ていただかないと、パパたちが助からない。……でも、どうやって魔力を――」
「余が知っている。遠慮なくいくぞ!」
話の途中で、鳥籠の中からスッと魔王様の手が伸び、私の頭をがっしりと掴んだ。そして――長い爪が、ぷすりと頭皮に刺さる。
「ぎゃっ! いたたたっ! 爪、刺さってますって! 引っ込めてぇ!」
「すまぬ……魔力が戻っておらず、爪を自在に収納できぬのだ」
「そんなのあり⁉︎」
涙目の私に、さらに追い打ちが。
「おお……魔王様の魔力が戻っていく! 僕の魔力も、どうぞ!」
アール君が私の背中に飛びついた――ぐさっ。
「ひっ……!」
頭には魔王様の爪。背中にはアール君の猫の爪。しかも、身隠しローブ越しに貫通してる。
「――もう、信じられない! 君たち! 爪、伸びすぎぃ!!」