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第19話:人形

A.D.2160 5/12 16:51

タルシスⅣ-Ⅱ 宇宙港Dブロック

エアロック内


「んんんー……」


 少女はバイザーを外して、煩わし気に頭を振った。黒い髪が無重力のなかで踊り、張り付いていた汗が四方に散っていった。


 エアロック内部には退避命令を受けた兵士たちが集合している。彼女もそのうちのひとりだった。


 作戦目標はクェーカーを名乗る女性の抹殺。同時にギデオン・ブランチャードの捕縛だったが、結局どちらも果たせないまま封鎖突破船の脱出を許してしまった。


 彼女たちにもはや死を恐れる感性など残っていないが、さすがに生身のまま宇宙船のロケット噴射を受けるわけにはいかない。しかも、管制室を抑えているにも関わらず無理やりバックドア経由でメインゲートを開けられてしまった。


「さすがは封鎖突破船というだけはあるね」


 近くにいた兵士が、馴れ馴れしい口調でそう言った。別に少女に向けて言ったわけではない。独り言だ。


 さらに言えば、彼自身の意思から出た独り言ですらない。


「ギデオン・ブランチャードには逃げられてしまったが」


「まだ機会はある。彼のことだ、カサンドラを放ったままにはできないさ」


「すぐに次の手を打つとしよう」


 一人の人間のセリフを、複数の人間がリレーのように繋いでいく。まっとうな自意識を持った人間が見れば明らかに異常な光景であろう。


 だが、彼らは自分の口や脳髄を他者に貸し出すことに一切抵抗が無かった。


 頭のなかにいる、それぞれのマインドに焼き付けられたマリア・アステリアの姿が、彼ら本来の言葉や行動より優位となって表れていた。


「EB-788、797、809は『サイレン』に搭乗。グリフォンと共同してカサンドラを防衛するんだ」


 隣にいた一兵卒の命令を受けて、少女は一瞬だけ固まった。


 美羽、とあの青年は自分の名前を呼んだ。


 頭の片隅、鼓膜のすぐ近くでその音が反響している。美羽という名前の響きがいつまで経っても消えない。


 気色が悪い、と思った。


「788」


 別の兵士が、マリア・アステリアそのものの呼びかけ方で言う。少女は「了解」と答えた。


 エアロックに詰めた兵士たちがぞろぞろと移動を開始する。彼女もまた、その流れのひとつとなって隣のドックへと向かった。


 停泊したタルシス宇宙軍巡洋艦の内部には、788、797、809各人の機体が搭載されている。すでに艦の発進準備は終わっており、いつでも追撃に出られる態勢だった。


 ロッカールームでボディスーツを脱ぎ捨て、バレット・フライヤー専用の白いパイロットスーツを取り出す。


 病的なまでに白い裸身には、腕と言わず脚と言わず、あらゆるところに手術痕が隠されもしないまま残っている。強大な加圧に耐えるため臓器から筋肉に至るまで人工物に置き換えられていた。


 手首に走る傷跡を見るたび、自然と少女は指先でそこをなぞってしまう。


 最低限の栄養素だけで十分に動けるため、脇腹にはあばら骨がわずかに浮き上がっている。鏡越しに自分を見る習慣は無いが着替える時には必ず目に入る。


 今までそのことを嫌だと感じたことは無かった。一緒に出撃を命じられた97も109も似たようなものだ。たぶん性別は違うのだが、どちらが男でどちらが女なのかという区分分けすらどうでも良くなっていた。それは彼や彼女にしても同じだろう。


 何も考えなくて良い。


 出すべき答えは全て頭のなかにいるマリア・アステリアが下してくれる。


 行き先を決めるのに迷う必要は無い。いつも明確な指さしが、自分の行く場所に向かって伸ばされている。


 だから自分の両側に血塗れの死骸が転がっていても気にならない。マリアの声は全ての恐怖を掃ってくれる。古代の聖人が、明日のことについて思い煩うなと説いたように、彼の言葉にだけ従っていれば己の一切の悩みから解放される。


 もとより、自意識などというものがあったところで幸せになれる保証など無いではないか。


 考えて、自分の目で世界を見る。


 そうすると、この世界がどうしようもなく醜く残酷であることが分かってしまう。戦争という現実を直視するくらいなら、何も考えない方がずっと幸せだ。


 少女には、世界の空が崩れて、暗闇が全てを吸い上げる光景を再び見る勇気は無かった。


 だから、惑わさないで欲しかった。


「美羽」


 797と809が出て行った後も、まだ788は準備を完了していなかった。ヘルメットを手にしたまま、ぽつりと先ほど聞いた名前を口にする。


 脇腹を撫でる。生命維持機能を持たせたスーツの上からでも、がりがりに痩せていることが分かる。


 ふと、口のなかに甘いような酸っぱいような味が広がった気がした。果物のようで、だがしっかりと塩気が混ざっている。舌から鼻にかけて香ばしい香りが抜けていく。そんな記憶が微かに残っている。昔はよく口にしていたのだろう。


「んんんー……」


 やにわに788は両指を左右の外耳に食い込ませた。


「んんんー!」


 力任せに引き下ろされた爪が耳の皮膚を抉った。手の勢いは止まらず、耳を掻いてそのまま首筋まで下りていく。左右両方、血が出ることも痛みが走ることも一切気にせず、何度も繰り返し掻き毟る。


「788。何をしているのかね」


 そう口にしたのは、彼女自身だった。両手の指先、黒い髪に血を吸わせていた当人が、自分自身の口から出た言葉で動きを止める。なぜなら、マリア・アステリアならばそう言うだろうから。


 788は自傷行為を止めた。すでに艦は動き始めている。早く機体に乗らなければならない。


 血塗れの手にグローブを嵌め、出血の続いている頭にヘルメットをかぶる。痛みはじんじんと続いていた。


 その痛みは、頭のなかに反響する「美羽」という名前を消してくれなかった。


 苛立ちとわずらわしさを引きずりながら、788は格納庫へと向かった。

庫内では4体のバレット・フライヤーが、搭乗者が現れるのを待っていた。


 そのうちの3機、BF―04V『サイレン』は、タルシス宇宙軍が自機主力量産機として開発を決定した機体である。バレット・フライヤーとしての基本的なフォルムは03シリーズと変わっていないが、推力系や内部機構を見直した結果、一回りスリムになっている。


 それゆえに、反対側の3機分のスペースを占有している大型機の姿が、一層威圧的に映った。


 人間の肩の付け根にあたる箇所から、一対の巨大なコンテナ・スラスターと、それを補助する小型のスラスターがまとめて生えている。脚部スラスターも大型化しており、今は着陸脚を展開してしっかりと格納庫の床を掴んでいた。


 そして頭部にあたる箇所は、頭のうえに別の頭が覆い被さり齧りついているかのような異形である。上下の両の頭にはそれぞれ無数のカメラ・アイが備えられており、感情の見えない無機質なデザインも相まって、見る者に本能的な恐怖感や嫌悪感を与える。


 その機体の上に立っていた青年が、788の姿を認めるなり、真っすぐに彼女のもとへと飛んできた。


「遅かったな、788!!」


 がっしりとした鳶色の髪の青年に立ち塞がられ、一瞬788は身体をびくりと震えさせた。表情は人形のように無機質だが、肉体は本能的な恐怖を覚えていた。


 そんな脅えを敏感に嗅ぎ取り、グリフォンはずいっと顔を寄せた。


「なんだ、またやったのか、お前?」


 ヘルメットを鷲掴みにして、無理やり自分の方を向かせる。バイザーに微かに血が飛び散っていたが、それが青年の顔色を変えることは決してない。


「大佐。そろそろ使い物になりませんよ、これ」


「そういうな、グリフォン。彼女の腕前は悪くない。君の良い助けになるだろう」


 その言葉は、当の788自身の口から出ている。自分のものでない言葉を喋っている時だけ、彼女の顔には微笑が浮かぶ。無論、その笑顔も彼女自身のものではない。


 だが、彼女のなかに構築された「マリア・アステリア」ならば必ずこのように言うだろう。このような顔をするだろう。


 そこに788の介在する余地など無い。


 彼女はただパーツとして動いてくれれば良いのだ。


「大佐の言う通りだと思うよ、788。お前はまあ、そこそこだ。俺についてこれるだけ他の道具型より使える。もうしばらくもってくれよ。な?」


 ヘルメット越しにグリフォンは彼女の頭を撫でた。そこには侮蔑も嘲笑も一切ない。確かに愛情と親愛が籠っている。


 しかしそれは、大工が愛用のアンマーを、理髪師が鋏を手入れするのと同じ種類のものであって、人間に対して向けるものでは決してなかった。


 そして彼女もまた、そのように扱われることに対して不満は一切抱かなかった。


 むしろ居心地の良さすら覚えた。何も考えず、やれと言われたことだけを淡々とやればよいのだから。


 それだけにどうしてグリフォンの姿に身体が怯えたのか、その理由だけが分からず戸惑ったまま、彼女はコクピットに乗り込んだ。

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