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19、リフレイン


 その後も赤レンガ倉庫の中のたくさんの店を回ってウィンドウショッピングを楽しんだ。しばらく歩き回ったところで、天羽さんが「ちょっと疲れたね」と言うので、赤レンガ倉庫の中にある人気のパンケーキ屋で休憩することに。


「ね、これすごい! 甘酸っぱくてふわっふわ!」


 「疲れた」という先ほどの言葉はどこへやら、イチゴとベリーソースの乗った可愛らしいパンケーキを前に、彼女は子供みたいにはしゃいでいた。


「ふふっ」


「ん、なんで笑うの?」


「だって、きみがあまりにも楽しそうだから」


「私だって楽しむ時は楽しむ人間よ」


「そうだったな。きみは他の同級生の女の子たちと全然違わない、ただの普通の女子高生だ」


「水瀬君、分かってるじゃない」


 傲慢かもしれないが、僕は自分だけが彼女をちゃんと理解してあげられている気がして嬉しかった。

 彼女は皆が思っているような“愛想がなく、勉強だけに一生懸命になっている人”ではない。確かに頭が良くて、容姿端麗で、絵も上手くて、異性からの人気が高いという、完璧な女の子に見えるかもしれない。


 けれど、家族や友人との人間関係に悩んだり、大好きな絵画でもトラウマから赤色が使えなかったりと、人並み以上にたくさんの苦しみを抱えて生きている。

 その上で目の前の楽しい出来事に心を躍らせてはしゃいだり、わくわくしたりと、色んな顔を見せてくれる。そんな彼女に、どうして「愛想がない」なんて言えるだろうか。


 彼女と出会ってから今までの間に、相手の表面的な人柄だけでなく、相手と心を通わせることで、その人の真の姿を知ることができるのだと分かったのだ。


「う~ん! 最高に美味しい~」


 口に一杯のパンケーキを頬張りながら、幸せそうに微笑む彼女。彼女は時々、アイスティーにシロップやらミルクやらを加えて、それをストローでかき混ぜる。カラランという、氷がグラスにぶつかる音が、楽しそうな彼女の様子にマッチしていた。


 そんな彼女の様子を見ながら、僕も目の前のパンケーキを口に入れた。彼女のものとは違い、バターが乗っただけのシンプルなパンケーキだ。それなのに、十分すぎるくらい甘く、いつの間にか僕の心の中もとろけるぐらい甘く幸せな気分で満たされていった。


 辺りが暗くなるにつれ、みなとみらいはたくさんの家族連れや、恋人たちで溢れるようになった。夜の闇に反比例するかのように、街頭や観覧車の光がより一層輝き出す。ここにいる誰もが大切な人たちと会話を弾ませていて、この世で辛いことや悲しいことなんて、何一つ感じなくて済むような気さえする。


 赤レンガ倉庫の中をひと通り歩き終えた僕たちは、その後も買い物を楽しんだり、大きな観覧車に乗ったりして、今日の小さな旅を満喫した。

 最初は自宅の前で傷ついて震えていた彼女を不安から遠ざけるために、無計画に始まったお出かけだったのだが、気がつくと僕の方が心の底から今のこの状況を楽しんでいた。


 まったく、きみはすごい。

 いつの間にか、他人を自分のペースに乗せて、しかもそいつを幸せな気持ちにさせるなんて。


「すっごい楽しかったね!」


 観覧車から降りると、天羽さんが大きく伸びをしながらそう言った。

 海の見える広場でひと休みしながら腕時計を見ると、時刻は午後8時20分。残念ながら、高校生の僕たちはそろそろ家に帰らなければならない時間だった。


「今日は急にこんなところまで連れて来てごめんね」


「なんで謝るの」


「いや、なんかさ。強引に引っ張ってきちゃったから、ちょっと悪かったかもって思って」


「そう言う割には水瀬君だって結構楽しんでたじゃん」


「……おっしゃる通りでございます」


 僕があまりにも腰を低くして答えるものだから、彼女は必死に笑いをこらえている様子だった。そんな彼女を見ていると、なぜ自分にこれほど行動力のあることができたんだろうと、突如として湧き出た勇気がおかしくて、笑いが込み上げてきた。


 まったく、本当にわけが分からない。

 こうして二人で横浜まで来て、まるでカップルみたいにはしゃいでいるなんて。

 笑い合う僕らの視線が、互いの真ん中で交差する。彼女のことを、このまま独り占めしたい。そんな衝動に駆られていた。


「水瀬君、今日は私のこと探しに来てくれてありがとうね。あのまま家の前でずっと一人ぼっちでいたら、本当に壊れてしまったかもしれない。でもこうして水瀬君が私の手を引いてくれたおかげで、私、ちゃんとお母さんと向き合えるかもって今なら思えるの。根拠は全然ないけどね。たまには考えすぎずに、正面からぶつかってみようと思う」


「そうか、それなら良かった。僕なんかでもきみの役に立てたのなら、これほど嬉しいことはないよ」


 天羽さんは本当に強い人だ。

 “他人を信じられない”という人が、正面から人とぶつかろうと思えるなんて、並大抵の勇気じゃないと思うから。


「頑張れ」


 陳腐な言葉が僕の口からこぼれ落ちた。けれど誰かの背中を押すのに、これほど単純明快に応援する気持ちを伝えられる言葉は他にない。


「ありがとう」


 ふと隣を見ると、彼女は今にも泣き出しそうな表情をしていた。

けれどそれは悲しみではなく、喜びから来た表情だとはっきり分かった。


「あのね、水瀬君。もう一つだけ水瀬君に言いたいことがあるの」


「ん、なに?」


 彼女は恥ずかしそうに目を反らしながら、僕の耳にそっと口を近づけてひとことひとこと大事そうに言葉を紡いだ。

 その言葉を聞いたとき、僕の気分がどれほど高揚したか、きっと説明しなくても分かってもらえると思う。

 僕は、自分の顔が次第に熱を帯びていくのを感じた。身体も全部熱い。彼女を想う気持ちが弾けて、僕の全身から溢れてしまいそうだった。




「じゃあ、また明日ね」


 高揚した気分のまま、みなとみらいをあとにした僕らは、横浜から東京まで電車で戻った。僕はいまだ冷めやらぬ興奮を抑えながら、彼女を家の前まで見送っていく。


「ああ。お母さんと、ちゃんと話してきて。もしまた暴力振るわれそうになったら、僕に電話して。すぐ駆けつけるから」


「うん、分かったわ」


「それじゃ、明日の文化祭の終わりにまた会おう」


 彼女が家に入って行くのを見届けた僕は、ようやく一人、自分の帰路についた。

 きっと大丈夫。

 彼女はとても強くて優しい女の子なんだから。

 それに、これからは彼女の身に何か起こったとしても、僕がすぐに助けに行けばいい。

 初夏の爽やかな夜風に吹かれて歩きながら、僕は彼女の健闘を心から祈り続ける。

 耳には、先ほど横浜で彼女がくれた一番大切な言葉が、何度も何度もリフレインしていた。




 “……水瀬君が好き。”



【第2章 告白 終】

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