「ただいま」
「お帰りなさい」
家に帰り着くと、彼女がスタスタと玄関まで出てきてくれた。
夏音は、「ごはん、早く作りすぎちゃった」と言って、約束していた夕ご飯を配膳してくれた。帰宅して誰かが出迎えてくれるっていいな。一人暮らし二年目にもなるとこういう些細なことが嬉しく思う。今日はハンバーグらしい。バイト終わりで空腹だった僕は、美味しそうな匂いに即座にやられてしまう。
「今日さ、バイト先に新人さんが入ってきたんだ」
「へえ、良かったわね」
「ああ。前より活気が出そう」
「女の子?」
夏音は、からかうような、それでいてどこか探っているような調子で問う。
僕はこういう時、彼女の真意を測りかねて何と答えれば良いか迷う。
沢田さんと似たようなからかい方をされているのに、夏音に言われるとドキッとしてしまう。それはきっと、かつて彼女と一度別れるにいたった“あの原因”のせいであることは間違いないのだが。
「女の子。でも、きみが心配するようなことはないから安心して」
夏音に対して、僕はどこまでの安心材料を発すれば良いか分からない。
「なになに、友一ったら。私、そんな心配してないってば」
クスクスと、彼女は笑いながらそう言ってくれた。その言葉に僕もほっと安心して胸を撫で下ろした。
「それより早くご飯食べようよ。冷めちゃうし」
「実は僕も、そうしたいと思っていたよ」
タイミングよく、僕の腹の虫が鳴いた。
「いただきます」
作り立ての温かいご飯に、他愛もない会話。それだけで僕はとても満たされた気分になる。それはきっと彼女も一緒で、鼻歌を歌いながらお茶碗にご飯をよそっていた。
昨日と同じようにテレビを点けて夏音の作ったご飯を食べる。今日のテレビはクイズ番組だ。
「絶品ハンバーグだな、これは」
「そうでしょ! ハンバーグは自信あるのよ」
僕が褒めると、彼女が嬉しそうに頬を染める。そんな彼女がつくづく可愛いと思う。それにしても本当に夏音のハンバーグは美味しくて、何個でも食べられそうだと思った。
高校生の頃から成績優秀だった彼女は、クイズ番組を見ながら出演者の誰よりも早く、回答を導き出す。そんな彼女とクイズ番組を見ていると、とてもじゃないが勝てる気がしない。というか、これは夏音と一緒に見るものじゃないなと苦笑した。
『次の問題です。江戸時代後期の尊王思想家で「寛政の三奇人」の一人とされた人物は——』
「あ、これは僕にも分かる。高山彦九郎だろ」
「わ、早い」
「僕にだって文系の意地というものがあるのさ」
「う~悔しい。よくそんな人知ってるわね」
「実は京都の三条大橋の側に高山彦九郎の銅像があるんだ。御所に向かって頭を下げている姿の像だから、みんな“土下座像”って呼んでるけど」
「あら、そうだったのね。土下座像って面白い」
「だろ。僕も初めて聞いた時は笑っちゃったよ」
高山彦九郎像のある場所はよく待ち合わせ場所にもなるので、京都に住む人にとってはかなり馴染み深い。
テレビを見ると案の定、解説の中で通称“土下座像”が紹介されていた。
高山彦九郎問題が終わると、次は英語の問題になり、今度は圧倒的に夏音の方が強かった。
クイズ番組を見ながらご飯を食べ終わり、テレビの方も丁度番組が終わった後のCMの時間になったため、僕は「ごちそうさま」と手を合わせてから立ち上がって食器を洗いに行く。
夏音は「私が洗うよ」と言うが、流石にご飯を作ってもらった手前、洗い物ぐらい僕にやらせてくれないと男の名が廃る。
僕はシンクに置いてあった調理器具と、二人分の食器を洗い終え、食卓に戻る。クイズ番組の後、次の番組が始まるまでの間の5分間にニュースが流れていた。
『ニュースの時間です。7月29日午前2時28分に東京発大阪行きの夜行バスが——』
「お疲れ、洗い終わったよ」
『……この事故では多数の死傷者が発生しております。意識不明の重体である女性の身元は、現在公表できないとのことです……』
僕が夏音に声をかけた時、彼女はニュースが報道されているテレビ画面を見つめてぼうっとしていた。