【Side クゥン】
食後。
執務室にて。
「領主様――」
「閣下――」
「女神様――」
今日も今日とて女神様はお忙しい。
けれど、人の波は午前中の早い段階でパタリと止んだ。
あらかじめ、そうなるように仕事量を調整していたからだ。
「一緒に来てもらえる、クゥン君?」
「かしこまりました、女神様」
「クゥン君?」
女神様の、少しだけ
上目遣いに見つめられ、オレの胸は高鳴る。
部屋には、オレと女神様以外、誰もいない。
ふたりっきりだ。
「え、エクセルシア」
「よろしい」
満足気に微笑む女神様。
なんと可憐で美しいのだろう。
「それにしても」女神様がため息をつく。「屋敷の跡地から『怪音』とはね。前辺境伯のやつ、失踪した後ですら祟ってくれるなぁ」
そう、仕事を早く切り上げたのには理由があった。
今日は領都まで行かなければならないのだ。
女神様は、前辺境伯と奥様たちが住んでいた屋敷を売り払った。
女神様にしても元奥様方にしても、良い思い出のないあの家に住むのは真っ平ごめんだったからだ。
その屋敷を、ステレジア様が得意の魔法【アイテムボックス】で収納してしまった。
後には真っ平らな土地だけが残ったわけだけど、なんでも、その土地から夜な夜な奇妙な音が聴こえてくるのだという。
不動産ギルドは、そのことで女神様に苦情の申し入れをしてきた。
『すみやかに「怪音」の原因を探り、解消してくれ』
『でなければ、とてもではないが売り物にならない』
前辺境伯に莫大な賄賂を支払い、様々な『便宜』を図ってもらっていた不動産ギルドの面々は、女神様に対してとても反抗的で批判的だ。
女神様が賄賂を受け取らず、賄賂による便宜を領法で禁止したからだ。
不動産ギルドは、はっきり言って女神様を恨んでいる。
逆恨みもいいところだと思うけれど。
――バーンッ
「僕も行くぅ!」
カナリア殿下が部屋に飛び込んできた。
その後ろから側付きのメイドさんがやって来て、
「ダメでございます」
と殿下を抱き上げた。
「昨日から調子が悪いではございませんか。今日はゆっくりと湯治をしていただきます」
「やーっ。お姉ちゃーんっ」
涙目のカナリア殿下が連れていかれる。
「ごめんね、カナリア君!」女神様が殿下に声を投げかける。「体調が戻ったら、一緒に遊ぼうね!」
ちなみに、国王陛下は王都へとお戻りになられた。
殿下は引き続きここに残り、体調改善のために毎日魔力たっぷりの温泉で湯治の毎日だ。
「護衛はオレひとりで大丈夫でしょうか?」
「ヴァルキリエさんは領軍、クローネさんは治療院での仕事でそれぞれ忙しいしね。大丈夫だよ。何も、魔の森に向かうってわけじゃないんだし」
「それはそうですが」
「ついでに買い出しもしよう。ふたりきりで。デートだと思って、付き合ってよ」
「で、でででデートだなんて畏れ多い!」
「ぶー……」
近頃はオレへの好意を隠しもしない女神様。
女神様の好意は、すごくすごく嬉しい。
けれど……オレは、その想いに応えることができない。
なんとももどかしい。
◇ ◆ ◇ ◆
温泉郷と領都の間には、石畳の立派な街道が敷かれている。
この、捨てられた地・バルルワに領都との街道が通るなんて。
ほんの数週間前までは、信じられないことだった。
ステレジア様が【アイテムボックス】で地面の土を収納し、大量のモルタルと石畳を虚空から出現させ、あっという間に道を敷いてしまったのだ。
そのステレジア様は今、女神様に忠誠を誓っている。
女神様が地龍素材その他で儲けたカネで多量の給金を支払っているからだ。
あとは、温泉をとても気に入っているというのも大きい。
つまり、この道もまた、女神様が用意してくれたものなのだ。
そんな走りやすい街道を、労働タイプの鉄神『2号』がひた走っている。
オレは2号に自分の脚で並走する。
【
女神様は『2号の肩に乗ってもいいんだよ』と言ってくださったが、謹んで辞退した。
走るほうが鍛錬になるし、それに……鉄神様の肩の上って、ものすごく揺れるので。
ほどなくして、領都の立派な城壁が見えてきた。
領都フォートロンでも鉄神を駆る女神様のことはすっかり有名になったので、門番は2号を見ただけで女神様とオレを通してくれる。
だが、門番たちのオレに対する視線は冷たい。
女神様が『獣人差別をやめるように』と再三布告を出してくださっているが、差別の根は深い。
「領主様」
「領主様だ」
「女神様」
「初めて見た」
「ありがたや、ありがたや」
女神様がハッチを開いて、道行く人々に笑顔で手を振る。
堂々としたものだが、額に薄っすらと冷や汗を浮かべているのを、オレは見逃さない。
女神様はお優しくお強いお方だが、けっして図太いほうではなく、むしろ臆病だ。
いつも周囲の人々に気を遣い、であればこそ、お優しく振る舞われる。
それは人間としては美点だけど、統治者としては欠点にもなり得る。
悪意ある相手に付け入る隙を与えてしまうからだ。
だからこそ、オレがそんな彼女をお支えしなければならない。
けれど、オレにそんな大役が務まるのだろうか?
悔しいけど、やっぱりカナリア殿下のほうが適任なのではないだろうか……。
悩んでも、答えは出ない。
『やりたいこと』と『やるべきこと』が二律背反している。
「お腹空いたね」
女神様の涼やかな声が、オレを悩みの沼から引っ張り上げた。
「そ、そうですね」
「大丈夫? もしクゥン君に悪いこと言うヤツがいたら、私がぶちのめしてやるから安心してね」
「大丈夫ですよ。それに――ふふっ、女神様が直々に領民をぶちのめしちゃマズいでしょう」
「まぁ、そういうのは衛兵に任せるべきかな。っと、このお店だよ。すっごく美味しいステーキを出してくれるの」
「店の警備はいかほどで?」
「高級店だからバッチリだよ」
「なるほど。では、鉄神様はオレが見ておりますので、いってらっしゃいませ」
「え? 何言ってるの。クゥン君も食べるんだよ」
「えっ!?」
「はーっ。なんでそこで驚くかなぁ。私、クゥン君を召使い扱いしたこと、あった? それに言ったじゃない、『デート』だって」
「~~~~っ」オレは、顔が熱い。「で、ですが、鉄神様の見張りは」
「このお店には
「そ、そこまでおっしゃるのでしたら……」
「おっしゃるのでしたら、何かな?」
「ご一緒させていただきます」
「よろしいっ」
ニカッと、女神様が笑った。
最高に、最っっっっ高に可愛らしい笑顔だった。