時の祖精霊と向かい合い、僕は固唾を飲む。
真剣な眼差しを僕に向けるその瞳は、僕に覚悟を促しているような気がした。
……その口から何が語られるのか、この胸騒ぎが消えてくれない。
「……現世より隔絶せし我にとって人の世は全て過去だ。その世界の事象は幾重にも分岐し違う運命を辿った。汝が生きる世界も、我にはその中の一つに過ぎない」
そう語り始めた時の祖精霊は、僕を見据えてさらに言葉を紡いだ。
「クサビ・ヒモロギよ、我は汝を過去へと送る事に協力しよう。そこで汝には伝えておくのだが……」
「…………はい」
「……過去へと至れるのは、一人だけ。そして現世へ戻るには過去の地にて手段を探さなくてはならない」
「……っ……一人……だけ…………」
僕はその瞬間、脳裏に仲間達の顔と、サヤの笑顔が駆け巡った。
もう離れないと誓ったばかりの愛する人に、使命の為に離れなければならないのだと気付いてしまったからだ。
……そしてそれを告げなければならないのだ。
「ど、どうしても……せめてもう一人一緒に行くことは――」
「――無理だ」
ピシャリと僕のささやかな願いは却下され、僕はたじろいでしまった。
そして時の祖精霊は言葉を続ける。
「そして時の異なる者が過去に赴くこと則ち、少なからず歴史を変えることになり、さすれば現世の未来も変わってゆく。……もし歴史が大きく変わるような事になれば、汝らの生きる世界は書き代わり、存在せぬやもしれん。そういう危険性を忘れてはならない」
この世界の消滅――。
それが意味するところを理解すると、僕は言葉を失った。
やはりそうだったのか。過去での僕の行動が影響するか気になっていた。
だとすると、迂闊なことはできない。さもなければ……。
……僕の居る世界が、サヤが居る世界が無くなってしまうのだから。
「……過去の変化次第では、この世界が無くなってしまうかもしれない、と……?」
「そうだ」
僕の問いを肯定した時の祖精霊は、静かに頷いた。
「……それはつまり……歴史が大きく変われば、僕は仲間達と二度と会えない……」
「そういう事だ」
「…………そ……そんな……」
僕の胸は苦しくなった……。
――もう誰にも離れなくていいと思っていたのに……。
僕はもう二度とサヤに悲しい思いはさせないと誓ったばかりなのに……!
僕の胸に去来する思いは、絶望と呼ぶ以外にない。
そしてそれは僕に決断を迫っていた……。
……僕は、どうするべきなんだ……。
「……時の祖精霊様、僕は、どうすればいいんですか……?」
僕は途方に暮れながら尋ねた。
「……汝がどうするかを決めるしかない」
時の祖精霊は何も言わない。……ただ僕の答えを待っているだけだ。
「…………」
僕はその場に立ち尽くし、俯いてしまう。
これまで皆と助け合って苦難を乗り越えてきた。
ここからはそんな仲間を置いて、一人で立ち向かわなければならないのか。
なにより、傍にいると決めた人を置き去りにしていくのか……。
「……時の祖精霊様。この世界を消さない為には、僕は過去で何をして、何をしてはならないのでしょうか……」
僕は救いを求めるような眼差しで教えを乞う。
そんな僕を静かに見据えた時の祖精霊が口を開いた。
「解放の神剣により、魔王は封印された。だが汝はその封印の力を求めて過去に行くのだろう。ならば魔王の封印を一度解き、再度別の手段での封印が必要になるだろう。歴史を変えぬ為には汝にとっての現代で、魔王は封印されていなければならんからだ」
「……僕に、できるでしょうか」
「汝の生きる世界を救うのだろう。……成さねばならないのだ」
過去に行き、封印された魔王から、解放の神剣の力、つまり退魔の精霊をこの剣に取り戻す。
だが、そうしたらすぐに魔王が復活してしまうだろう。
その為にも、魔王の封印に足る手段を探し出し、魔王を相手取りながら再び封印を施さなければならない。
今までの苦難など些事とも思える程の苦境。
僕に出来るのか。一人で……ッ!
「念を押すが、歴史を大きく変えぬ為には、大前提として魔王は封印しなければならない。でなければ汝の世界の辻褄が合わぬからな。良いか。魔王は討伐ではない。封印するのだ。……とはいえ、討伐は困難であろうが」
「……はい」
「そして、過去で汝の名を残してはならない。人の縁に介入してはならない」
「……はい」
「過去の時代において、汝は異物そのものだ。極力人との接触を避けるのがいいだろう。もしくは信における者に、一切の情報の秘匿を託すしかない」
「…………」
僕は甘く考えていた。過去に行って、目的を果たして戻ってくる。それだけだと思っていた。
よくよく考えればそればかりではないのは当然のことだ。僕の行動が未来に影響するんだから。
それは過去でも同じ、いや、もっと重大だ。
過去での些細な変化が、この世界にどう影響してくるかわからないのだから。
僕の手で、今生きている人の存在そのものを消してしまうような結果にだってなるかもしれないんだ。
……そう考えると僕は急に怖くなった。
「……戸惑いは理解している。だが勇者よ、汝は決めなければならない」
「僕は…………」
僕は、皆を……サヤを置いていけるのか。
一人で行くと告げたら、どんな顔をするだろうか。
行かないでと泣いて懇願するだろうか。
――――いや、サヤならきっと最後には、行ってこいと言うはずだ。
『うじうじしてないでさっさと行ってきなさい!』って迷う僕の背中を叩いて送り出すんだ。
……そうだ。僕はこの世界の人達を救う為に行くと決めたじゃないか!
その為にここに来た! ここで怖気づいていては、胸を張って勇者なんて名乗れない!
「――行きます」
僕は確かな覚悟を宿して時の祖精霊をまっすぐに見つめて言った。
その様子に時の祖精霊は、ただ静かに頷いた。
「……わかった。ならば今告げた忠告を覚えておくのだ、この世界を壊したくなければ」
「わかっています。解放の神剣の力を取り戻し、皆が居るこの世界に必ず戻ります!」
僕がそう言い放つと、時の祖精霊が少し微笑んだような気がした。
そして辺りの景色が白い景色に溶け込み始めていく。
この時の祖精霊の領域から、退出されようとしているようだ。話は終わりという事だ。
「汝は、精霊暦の魔王が封印された後の時代へと飛ばす。これより我はその準備に入る。魔力の備えは任せたぞ。ではな――」
その言葉の直後、辺り一面が白い光に包まれて、僕はその光に溶け込まれていった。
「――……っ」
そして辺りは緑一色の森の中。戻って来たんだ。
「あら? クサビ、もうお話終わったのね?」
「……サヤ」
声に振り向くと、仲間達がいて、ぼうっとしている僕にきょとんとしたサヤが顔を覗き込んでいた。
「…………? どうしたの?」
「……あっ、いや、なんでもないよ」
「ふーん?」
それから皆で拠点へ戻る。
その道中皆から、時の祖精霊とどんな話をしたのかと聞かれて、僕はその場で答えることは出来なかった。
でも伝えないという事はできない。
皆にちゃんと伝えるが、まずはサヤに伝えるべきだと思う。
僕は憂鬱な気持ちになりながら、拠点までの道のりで、皆との会話に笑顔で向き合っていたのだった。