そしてその日の夕方頃。
僕は拠点から少し離れた所にやってきた。時の祖精霊の領域との境界の辺りだ。
そこにやってくる足音が一つ。
それは僕のすぐ後ろでピタリと止まった。
「……クサビ?」
後ろから聞き慣れた声がして僕の心臓が跳ねる。そして決意を胸にゆっくりと振り返った。
「……サヤ」
「どうしたの? こんな所に呼び出して」
「……話したいことがあるんだ」
僕はサヤにそう告げると、サヤは真剣な表情をして僕の目を見た。
「……そんなに改まるってことは、大事な話なのね?」
「……うん。……サヤにだけ、先に言っておかなきゃいけないんだ」
「……私にだけ? ……一体何を?」
僕は意を決してサヤに真実を告げる為に、口を開いた…………。
「さっき時の祖精霊と話した事なんだ。……サヤ。よく聞いて欲しい」
「……何……?」
真剣な眼差しで見つめる僕の顔を見つめ返すサヤ。
その瞳に一抹の不安が浮かぶ。
僕はこれから言う事を、しっかりと受け止めて欲しいと願いながら口を開いた。
「…………僕は過去に行くことになる。だけど行けるのは……一人だけなんだ…………」
「……え……?」
サヤは最初理解できなかったのだろう。
僕の言葉を繰り返すように呟いた。
「……クサビ? 一人って……?」
サヤが困惑したまま、僕の目をじっと見て問い直す。
「……過去に行けるのは僕だけなんだ。…………サヤと一緒に、行けないんだ……」
僕の言葉の意味を理解したサヤは、一瞬固まった後、目を見開いて驚いた顔をした。
「……うそ……でしょ……?」
サヤが信じられないという風に呟いた。
サヤは震える唇を開いて、何かを言おうとして言葉が出てこないようだった。
そして、サヤは唇を震わせて絞り出すように言葉を紡ぐ。
「……そんな……嘘よ……!」
「……サヤ……」
サヤの口から出てきたのは、否定の言葉だった……。
「――そんなの嫌よ! 私は……っ、いつだってクサビを守るって……っ! ……傍に居るって……っ……!」
サヤは声を振り絞るようにして言う。
僕はその悲痛な言葉に胸が締め付けられる思いがした……。
サヤはいつも僕を守ってくれて、僕の為に戦い続けてくれていた。
僕もサヤを守り、これからも共に歩んでいける。そう思ってた……!
でも、今回ばかりはそうはいかないのだ……。
「――頭では分かってる……! たくさんの人を救う為には……過去に行かなきゃ行けないことは……っ……! でも…………!」
「サヤ…………っ」
「私は……! 私は誓ったばかりなのよ……? クサビの心が壊れてしまって……っ! もう二度と、……貴方から離れないって……!」
サヤの消え入りそうな慟哭が僕の胸を締め付けた。
僕に追いすがり胸を叩きながら肩を震わせるサヤを、置いていきたくはなかった……!
「サヤ…………。僕も、同じ気持ちだ。離れたくはないよ……っ」
「……クサビ…………ッ」
僕の胸を打つ手を止めたサヤ。僕はその手を取ると、それを優しく握り締めた。
「でも、過去へは一人しか行けないんだ。そしてそれは解放の神剣を持つ、僕が行くべきだと思うんだ。……だからサヤ。僕が戻るこの場所を、魔王に苦しむ人達を守って欲しい……!」
「――――――っ……!」
僕はそう言うと、サヤの手を握る手に力を込めた。
するとサヤは手を強く握り返し、俯いていた顔を上げて涙を浮かべていた。
「……っ…………私、は……」
「僕は必ずサヤのところに戻ってくるよ。僕はサヤを置いて死んだりなんかしない。……約束だ!」
精一杯の想いを込めて僕はサヤに告げる。
それからしばらくの沈黙が流れた……。
そして、サヤは肩を震わせながら、決意を宿した瞳で僕を見た。
「……っ! ……絶対よ……! ……クサビ! 約束……だから…………!」
「……うん!」
僕は力強く頷く。
サヤは僕の胸で嗚咽を漏らすように泣いた。
僕はサヤの頭に腕を回してその体を抱き締め、しばらくの間そうしていた……。
「――マジかよ……。おい…………」
「……私達は、何も出来ないのですか……?」
「くさびん……」
僕はサヤを伴って仲間のところへ戻り、過去へは一人で行くと告げた。
僕は皆に集まってもらって、時の祖精霊との話の内容をを伝えていた。
皆は黙って僕の話を聞き届けていたが、その表情は苦々しいものだった。
「皆……僕、必ず神剣の力を取り戻して戻るよ……! だから待ってて欲しい!」
「どうにもならねぇなら……分かった。クサビが帰ってくるこの世界を守ってやるからよ、早く帰ってこいよな!」
ラシードが無理に明るく振舞って僕に笑いかけてくれた。
「くさびん、一人で寂しいときは、わたしを思い出せ」
ウィニは目を閉じながら呟くとそっぽを向いてしまった。真意がよくわからないところがウィニらしいな。
「過去の世界は恐らく、危険も多いはず。……どうか気をつけて。そして早く帰ってきて下さいね。この世界には勇者が必要なんですから……」
マルシェが僕の目を真っ直ぐ見て送り出す覚悟を見せた。
「い、今すぐ過去に行く訳じゃないんだから、もうしんみりするのはおしまい! ほら、クサビもそんな顔しない!」
サヤが努めて明るく場を和ませようとしてくれた。
サヤも辛いはずなのに……。本当に強い人だ。
「……そうだね! それに魔力の問題をどうにかしないといけないしね」
「確かにな。この島の全員分でも足りないんだろ? ……さて、どうするよ……。天才魔術師のウィニ猫よぉ、なんかいい案ないか?」
時の祖精霊は魔術の準備を進めていて、それが完了するのに3日掛かる。
その間、僕達は足りない魔力を補わないといけないのだ。
ラシードは眉間に皺を寄せながら考え込むような仕草をして、ウィニに茶化すように絡む。
すると冗談なんてまったく通じないウィニは、いつものドヤポーズを取って、自信満々に宣った。
「ふふん。ししょおにきく!」
「お前よくドヤれたな今ので」
……というわけで僕達は先人の知恵を借りる事にした。
だが今日は夜もすっかり更けているため、連絡は明日にしようということで、ひとまずこの場は解散となった。
その夜、拠点に用意された僕の寝台の上で一人寝付けずにいた。
物思いに耽るのは、皆との別れの事だ。
魔王を倒すには、過去に行かなければならない。これは絶対なんだ。
もうこの時代に魔王に太刀打ちできる力が存在しないのだから。
それを得る為に僕は単身過去へ飛ぶ。
ただ行って戻って来るだけではない。今のこの世界の歴史を守りながら、だ。
過去に行ったら、僕は自分の名前を残してはならない。
誰の記憶にも残らないように、一人で魔王に立ち向かうのか。
……はたしてそんな事が可能なのか……?
魔王への対抗手段を持たない僕が、全盛期の魔王相手に、一人で。
「……はぁ。とてもじゃないけど無理だよね…………」
僕は深く溜息をつく。
だがそこでふと、僕は一つ疑問が浮上する。
……聖女サリアは、時の祖精霊を知っていた。
あの手記を書いた時点の聖女サリアは、僕の存在を知っていたのだろうか。
過去に飛んだ僕が、再びこの時代に戻るにはきっと時の祖精霊を頼るはずだ。もしかすると、その時僕は聖女サリアに会っているのかも……?
その時聖女サリアは僕が過去に転移してくると知った?
……いや、それはあくまで希望的観測だ。
だけど、今になって思う。
聖女サリアが遺した手記は、勇者の血を引く者に宛てたのではなく、クサビ・ヒモロギに宛てたものなのではないか、と。
過去で名前を残せない僕が、その記憶を持たない僕に読ませる為に聖女サリアに協力を求めたとしたら……。なんだかしっくりくるんだよな……。
思えば時の祖精霊の初対面の反応は、僕に会った事があるような反応だった。精霊暦の時代に飛んだ僕が戻る時、そこで会ったのではないか。
もしかしたら、僕はその足跡を辿るようにしていけば、歴史を大きく変えることなく戻って来れるかもしれない……!
なぞるんだ。過去に行った未来の僕の行動を……!
…………なんて、どうなるかは誰にもわからないのに、何を一人で盛り上がってるんだろう。
僕は再び深い溜息を吐いて、眠れぬ夜と悶々と過ごすのだった……。