「こっちへ!」
鵺がさらに黒い炎を発生させて襲いかかって来るが、私は大蛇をこちら側へ呼び戻す。
大蛇は黒い炎を躱し、無事に私の隣にまで戻ってきた。
「妖狐、大丈夫?」
大蛇が妖狐を解放する。
珍しく不機嫌そうな表情のまま、妖狐は立ち上がった。
「めんどくさい鉾だな。なんだあれは」
妖狐は体を伸ばす。
まさか自分まで動きを制限されるとは思わなかったらしい。
「意外だったか? 逆鱗の逆鉾は神霊特化の呪具だ。お前は自分のことをもう少し知るべきだったな」
鵺が余裕そうに言い放った。
あれが妖狐対策。
妖狐という存在は、場合によっては神霊の類に分類されることはある。
だからこそあの呪具が効いてくるわけだ。
「やれやれだ。しかしあの程度で俺に勝てると思いあがられてもな」
妖狐の声が低くなる。
私は知っている。
これは本気の時。
「妖狐待って!」
私はとっさに妖狐を抱きしめた。
それどころではないのは知っている。
覚悟も決めているつもりだったのだが、やはりそう簡単には割り切れなかった。
「葵、仕方がないんだ。流石にコイツ相手に呪法なしは無理だ」
妖狐は私が止めた理由が分かっている。
これ以上の戦い、特に呪法、世界反転を使用すると今度こそ彼の記憶は……。
分かってはいる。
これは私たちだけの問題ではない。
ここで私たちが負ければ人間世界は終わりを迎える。
記憶がどうのなんて言っている場合ではない。
だけど私は簡単には諦められないのだ。
だから私は……。
「最後にチャンスを頂戴」
「チャンス? まさかお前が戦う気なのか?」
妖狐は信じられないと言いたげだった。
分からなくもない。
前回の妖刻では、私は鵺相手に手も足も出なかったのだ。
それは妖狐もよく知っていること。
「そうよ! 前とは違う結果にして見せるから。だから妖狐には見守っていて欲しいの」
前回と違う点は二つ。
一つは呪力が戻っていること。
前の時はほとんどすっからかんの状態だったのだ。
二つ目は妖狐の記憶がかかっているということ。
「だが俺が本気でやればこんな奴……」
「確かに妖狐が本気を出せば苦労しないのかもしれない。だけど、記憶がなくなるでしょう? しかも相手が強ければ強いほど、貴方の呪法、世界反転はその威力を増すことになる。そうなれば負荷は確実に高まる。今度こそ本当に私のことを忘れてしまうかもしれないじゃない!」
私の圧力に妖狐が頭を抱える。
自分が何を言っているかは分かっている。
とんでもなく我儘で、時と場合を考えていないと言われればそれまでだ。
だけど私は本気。
本気で妖狐には全力を出して欲しくない。
「はあ……分かったよ。好きにやれ」
妖狐は何かを諦めたようにため息を吐く。
「ありがとう妖狐」
「ただ危なくなったら有無を言わさず参戦するからな」
私は感謝の気持ちで妖狐に抱き着く。
力いっぱい抱きしめ、私は鵺のほうに視線を向ける。
「話は終わったか? どうであれお前たちの結末は変わらない」
鵺はいまだ勝つ気のようだった。
たとえ相手が妖狐でも、逆鱗の逆鉾で封じ込められると思っているようだ。
「そうね、結果は変わらない。お前の敗北でね」
「結局お前が戦うのか小娘。お前の巨神兵は動けないんだぞ? それ以外の式神で我に届くとでも?」
鵺は自身の闇に絶対の自信を持っている。
あの闇に包まれ、前回の妖刻では私の影たちは飲み込まれて消えていったのだ。
「別に巨神兵だけが武器ではないわ。いくよ、影薪」
「うん! 今度は私が覚悟を決める番だね」
私と影薪はお互いの手を繋ぎ、呪力を練り上げる。
「呪法、月の影法師! 来たれ影の怪鳥!」
私の頭上に無数の影が出現し、それぞれが体長二メートルほどの鳥の姿となる。
影で覆われた表面からでは分からないが、その皮膚はダイヤモンドのように固く頑丈だ。
「行け!」
私の指示の元、大蛇と怪鳥が同時に鵺に襲いかかる。
これで倒せるわけはない。
そんな楽観はしていない。
これは隙を作るだけの動き。
「影薪、覚悟はいい?」
「葵こそ、覚悟を決めてよね」
私たちはお互いの全身に呪力を循環させる。
今までに取り入れたことがないほどに、呪力を体に満ちさせる。
「こんなもの! 我の影の前では無意味だ!」
鵺は自身の背後に展開していた闇の領域を一気に広げた。
闇から伸ばされた無数の闇の手が、怪鳥と大蛇を次々に握りつぶしていく。
やはり勝てない。
通常の式神では闇でかき消され、神霊の類である巨神兵では逆鱗の逆鉾に太刀打ちできない。
「無駄だ! お前の式神は我の闇にとってはただの薄暗い影でしかない!」
鵺の言う通りだった。
呪法の相性が悪すぎる。
私の影はアイツの闇に敵わない。
「分かっているわよそんなの」
そんなことは分かっている。
だから今度は私たち自身が戦うのだ。
「呪法、月の影法師!
私と影薪が横並びに立つ。
影薪は私と肩を並べるほどまでに背が伸びた。
「なんだそれは」
鵺はあまりに予想外だったのか絶句している。
予想外だろう。
私もこんな手は使う気はなかったのだから。
「葵の視線ってけっこう高いんだね」
「なんか違和感があるわね」
影薪と私の視線が絡み合う。
影薪はなんだかんだ言って私の式神なのだ。
当然ながら戦う姿というのも存在する。
それがこの姿。
成長し、大人の女性の姿となっている。
スラリとした手足に、白いブラウスを着込み、黒いスキニーパンツを履いている。
髪は影のように黒く風になびく。
とてもさっきまでスモックを着ていたとは思えない風貌だった。
「違和感ってなにさ」
「アンタ、その姿を維持したら滅茶苦茶モテるわよきっと」
「やだよめんどくさい」
どこか余裕すら醸し出している。
なんだか少し負けた気分だ。
「小娘が成長したところでなんだというのだ」
鵺が完全に馬鹿にしたように笑う。
ああそっか、アイツには表面しか見えていないのか。
「私たちにまとわりついている影が見えていないみたいね」
「見えているさ。それがどうしたと聞いているのだ。我の力の前では些細なことだ」
鵺の余裕は崩れない。
だけど私たちもこのまま負ける気はない。
私に何かあればきっと妖狐は助けてくれる。
しかしそれをあてにしてはいられない。
「一度手合わせ願えるかしら?」
私と影薪はゆっくりと前に歩き出した。