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第2話 連絡員の無意識に回避したいもの、ロウベヤーガでGが出会うもの

 逃げたな。

 連絡員は白い箱がゆっくりと、しかし崩れ落ちるのを見ながら思った。

 逃がしたという訳ではないだろう。少なくとも、気配をあの同僚が感じ取ったのは、彼が近づいた時にようやくだった。

 甘いよな、と連絡員は口の中でつぶやく。そしてこうも。それにしても。

 それにしても、今回は見つけにくかった。

 キムが反帝組織「MM」の幹部格としての同僚であるサンド・リヨンことGを探すのは、いつものことである。

 この同僚は、一つの「仕事」が終わると、あっさりと姿をくらます。彼はその同僚の行きそうな場所を探して、次の「仕事」を告げる。それがいつものパターンだった。

 ただ前回の「仕事」はいつも以上に、Gに対してダメージを与えた様だった。それが何故なのか、キムには判らない。いや、判らなかった、と言えよう。

 判った時には、さすがに彼も舌打ちをし、眉間にしわを寄せた。


 何だってあいつは。


 キム自身、Gのその「仕事」の期間も、自分自身の「仕事」を片付ける最中だった。

 対立する組織「Seraph」の幹部格の人物を探り当て、抹殺すること。

 それがキムに与えられた盟主Mからの命であり、彼にとってはそれは至上命令でもあった。

 同僚かつ愛人である、コルネル中佐の手も借りて、反帝分子の中から「Seraph」の構成員だけをより分けて、これでもかとばかりに情報を吸い出した結果の、追跡だった。

 そしてとうとう見つけた。

 場所は、惑星「ペロン」。この全星系でも指折りの勢力を持つペロン財団を一手にする女帝「エビータ」。「ペロン」はそのための「後宮」の惑星だった。

 偶然だよな、とその惑星の名を聞いた時、キムは思った。そこは、Gが既に向かっていた場所だったのだ。

 場所としては、好都合だった。人工の惑星は、閉ざされた場所である。そして、そこに居る人間の半分が、当時不明だった「エビータ」の正体を探るべく派遣された、各集団の構成員だった。

 その中には、帝都政府から送られた者も居たし、その逆に反帝組織もあった。また全く関係の無い、中立的な態度で赴いた、「情報のため」だけに動く内閣調査局の様な存在もあった。

 様々な思惑が、絡み合っていた。

 キムにとっては好都合だった。皆が皆、同じ様な目的で集まっていたなら、その場で起きることに対しては、どんなものであれ、罪悪感は湧かない。

 そこで命を落とすことになったとしても、それはその者の不注意なのである。そう割り切れる空間なのだ。

 もっとも、そんなことをいちいち考えてしまうあたりが甘さであることを、この連絡員は時々気付かない。正直、彼は彼で、この事件の際に、古い知り合いの内調局員に会ったことで、動揺していたのだ。

 たとえ自分が納得して、決意して、当たり前の様に行動していることだとしても、他人から糾弾すれすれの言葉で突きつけられれば、全くの平常心では居られないだろう。

 とは言え、彼自身が気付かないことだから、とりあえずそれは考えの外にある。

 だが予想外の現実にはさすがに面食らった。

 何でここに、という顔で、同僚は自分を見た。だがそれは自分の台詞だった。


 何であいつがこんなところに。


 しかも。


 やっとのことで見つけた標的と、何故奴が寝てるんだ?


 キムは予想外のことには弱い。

 さすがにどうしたものか、と少しだけ悩んだ。しかし結局は、予定通り、その時彼らが居た中華料理屋の建物を限定爆破した。

 同僚なら、気付くだろう、と考えていた。自分の同僚なら、そのくらいはするだろう、いや、して欲しい、と彼はその時思っていた。

 実際、同僚は切り抜けた。

 だが誤算はあった。同僚は、その標的と「ともに」助かってしまったのだ。彼はしくじった、と思う反面、安堵する自分に、何か苛立つものを感じていた。

 「エビータ」の正体も判明し、爆破される人工の「後宮」惑星を背にした後、同僚はまた行方をくらました。

 気付いたのだろう、とキムは思った。

 ことのあらましを、彼は帝都に戻ってから、盟主Mに逐一報告した。いや、逐一報告した、と彼は思っている。

 実際のところは、そうでは無いことに、彼自身気付いていなかった。無意識のうちに、彼はGが標的の男と寝ていたことを、省いていた。

 それにMが気付いたのかは、定かではない。

 キムは全てを報告したと思いこんでいたし、Mは必要以上の言葉は掛けない。それが自分であっても。軽い胸の痛みと同時に、彼はそれをよく知っていた。

 次の「仕事」はどうするの、と彼は盟主に訊ねた。盟主は答えた。


「彼にやらせよう」


 短い言葉。だがそれは決定だった。はい、とキムは答え、うなづいた。

 それから彼はしばらく同僚の姿を追っていた。こういう時の追跡は、相手の好みや、その時の精神状態、それに使った費用の行方やら、様々なデータから推理して割り出す。

 とりあえずこの時点で同僚は、多少多めの費用を動かしていた。辺境に出たな、と彼は思った。できるだけ帝都から遠く。

 同僚の性格からしたらそうだろう、と彼は踏んでいた。Gはいつでも何か、ふらふらと揺れている。

 それが何故なのか、彼には判らない。いや、判りたくない。

 彼にとっては、自分にとって最も大切なものが何なのか、自覚していたし、それは自分の中で正しいことだった。

 Mは彼をショウウインドウの中で動けない「人形」の立場から解放してくれた。いや、それ以前に、動けない自分の、声にすることのできない「言葉」を聞きつけてくれたのが、あの盟主だけだったのだ。

 それでいいじゃないか、と彼は思う。

 Gにとっても、どういう理由であるのかは知らないが、Mは大切な唯一の人物であるはずなのだ。それはGだけでなく、Mにとってもそうだろう。見ていれば判ることだ。どんな考えがMにあるのか判らないし、別に知る気も無かったが、MにとってGが、ただの幹部構成員以上の何かであるのは確かだった。


 だから、迷うことはないのに。


 キムは思う。


 どうして、一番大切なひとのために、生きてく、そんな単純なことが奴はできないんだ?


 もっとも、キムにも見えてないことは多い。

 もしくは故意に目を塞いでいる。

 MがGに対し、何をどうしてきたのか、キムは詳しいことは知らない。知ろうとも思わない。

 彼が知っているのは過去のある時間のGであり、今現在のGなのである。自分が見なかった時間の彼のことは判らない。

 たとえ見ていたとしても、全てを知ることなどできない。

 見ていなければ尚更である。キムはそこを割り切っていた。知らないなら知らないでいい。それは仕方の無いことだ。長い時間を生き抜いていく以上、全てに目を開いていては、気持ちと身が保たない。

 結局キムが苛立っているのは、その相手だった。何故、よりによって、「Seraph」の幹部なのか。

 それは彼にとって、信じたくない未来が近づいてきたことを示していることなのだ。


   *


 陸上車を置いて、Gはロゥベヤーガの中心街へと足を進めていた。

 既に時間は、昼時刻マイナス1となっていた。あと一時間で日が暮れる。夜時刻である。そこからプラス2。

 カッフェー・アーイシャを探さなくては、とGは思った。それがそのままの店なのか、別名なのか、それすらも彼には判らない。

 この街の中の何処かにあるのは確かである。…この街にある、多数のカッフェーの何処かに。

 そこにイェ・ホウが居るとは限らない。あの男が何を考えてあんなメモを残していったのか、それも判らない。それに、最後の「マーシャイ」という単語は何なのだろう。

 彼はそんなことを考えながら、次第に多くなっていく人混みの中をするすると抜けて行く。多少道に慣れた旅行者の様に。そしてそんな旅行者のするように、彼はカッフェーではなく、カフェへと足を向けた。

 こぢんまりとした店の中に入ると、夜時刻が迫っているせいだろうか、厨房の中で料理を作る香りがし始めている。「カフェ」は食事ができる。昼時刻の顔は、どちらも同じだが、ここから先が違うのだ。

 白い壁には、鮮やかで細かな模様のタペストリ。曲線が多様されたランプが昼なお薄暗い店内を照らし、窓際の、光がぼんやりと入り込む辺りには花と果物を無造作に生けた濃い青の壷。店の主人の好みだろうか。不思議と店は落ち着いた調度でまとまっていた。

 その雰囲気に惹かれるのだろうか、その時間にも、人は多く、テーブルを探すのは困難だった。彼は迷わずカウンターへと進んだ。


「何にしましょう?」


 頭に短い布をかぶり、ざっくりとした生成の長い服に、前掛けをした店主が、カウンター越しに彼に問いかける。ふうん、と彼は思う。浅黒い肌に、濃い色の眉と髭と、同じ色の目が強い。見た目はまだ若い。もっとも彼は、外見の年齢は信用していないのだが。


「何がおすすめ?」


 顔に柔らかな笑みを浮かべて、彼は店主に問いかける。そうだね、と店主は使い込まれた革張りのメニュウブックを取り出す。粒子の粗い写真が、そこには幾つか貼り付けられている。彼はその中から、今朝口にした飲み物とよく似たものを選んだ。


「ごはんはいいかね?」

「や、今日は別口で約束があるから」

「ほぉ」


 人は混み合っているが、注文はひとまず終わってるらしい。回転はそう速くない。長居する客が多い店らしい。日焼けした布を通して入る、今日の最後の光が、窓際の、楽しそうに話しながら食事をする人々を照らす。

 そう言えば。彼はふと思う。連れだっているのは必ず、男性同士である。そう言えばそうだったな、と彼は思い出す。この惑星に着いて、驚いたのは、それだった。女性の姿が見られないのだ。

 いや、全くいない訳ではない。時々街を歩く姿を見かけない訳でもない。ただ、その姿が見えないのだ。

 ほんの子供はともかく、ある程度以上の女性の姿は、すっぽりと、黒い服の中に、目以外全て隠される。時には、薄ものを目の辺りにまとわすことによって、それすら男の視界から隠してしまう場合も珍しくはない。

 ふうん、と彼は改めて思う。そういうところもあるのだな、と。女性は嫌いではないから、姿が全く見えないのは少し寂しい気もする。その一方では何となくこの男しか居ない空間が、ひどく気楽にも感じる。


「…ああそうそう、カッフェー・アーイシャって、何処か知ってる?」


 彼は何気なく問いかける。店主は飲み物を入れる手を止め、ちら、と一瞬彼を見た。


「知らん訳じゃないが、何しに行くんだね?」

「いや、人と待ち合わせをしてるんだ」

「それは無いだろうね」


 店主は即座に否定する。

 その手の中で、エッセンスが数滴加えられる。甘い香りだった。南国の果物の香りを凝縮した様な、とろける様な、それでいて身体の何処かを潤す酸味を思い出させる、そんな香りだった。

 そんなもの、あの飲み物に入れただろうか。彼は思う。入れ終わると、店主は深いロォズ色の杯を彼の前に差し出す。


「どうして?」


 からん、とマドラーを回すと、二つ三つ入れられた氷が音を立てた。


「どうしても何も、今はその店は無いからね」

「無い?」

「約束は、最近したのかな?」


 店主の顔がほころぶ。そこで笑うことは無いのではないか、とGは思うが、不思議と憎めない笑顔である。


「最近。すると俺はからかわれたのかな?」

「そうかもしれないね。でも以前はあったってことだよね?」


 ああ、と店主はうなづく。


「それは何処?」

「行ったところで何も無いよ」

「一応ね」


 彼は曖昧に理由をつける。仕方が無いなあ、という表情で、店主は奥に声を掛けた。


「イアサム」


 何、と奥から声がして、店主と同じ様な格好の少年が出てきた。少年…に見えた。少なくとも、Gの目には。


「注文?」


 腕まくりをした少年は、店主に問いかけた。黒い、耳のあたりまで同じ長さの縮れた髪の毛がふら、と揺れる。首を傾げた様子、大きな黒い目が、猫を思わせる。


「いや注文はもう少しは大丈夫だ。ちょっとお前、頼まれてくれないかな、ほら、その方を」

「ふうん?」


 イアサムと呼ばれた少年は、ちら、とGの方を向いた。軽く頭を上下させる。


「カッフェー・アーイシャをお探しだそうだ」

「だけどタバシ、あそこはもう無いよ」

「それでもいいらしいよ。まあお気の済む様にして差し上げてくれ」

「いいけど」

「すぐに行かれるか? それとも」

「とりあえず、この一杯を味わってからに」


 彼はそう言って、イアサムという少年にも笑いかけた。すると少年もまた笑い返す。おや、とGは思う。余裕がそこには見られた。


「しかし、今は無いとはどういうことなんです?」


 甘い香りが立ち上るロォズ色の杯を傾けながら、彼は店主タバシに問いかけた。


「他愛も無い、攻撃にあってね」

「攻撃」


 さすがにあっさりとそんな言葉が出るとは彼も思わなかった。


「旅行者さんではそう判らないよ」


 イアサムはぐっとカウンターから身を乗り出す。


「でも判らないよねタバシ。どーしてこんな、危険度Bの場所が、観光者結構多いんだろね」

「その観光者のおかげで、我々は生活できている訳だろう?」


 そう言うと、タバシはぽん、とやはり布の掛けられたイアサムの頭に手を乗せた。


「また子供扱いする」

「子供じゃないか」

「それはそうだけどさ」


 ありゃ、とGはそのやりとりを見ていて思う。店主と店員というよりは、どちらかというと。


「ねえお客さん、それ、美味い?」

「え? ああ、美味いよ」


 それは事実だった。とろりとした触感。

 甘いはずなのに、あの甘味のもつくどさが無い。酸味が効いているせいだとは思うのだか、基本的に彼は甘いものは好まないのだ。それなのに。


「それ、俺が作ったの」


 イアサムはそう言って自分自身を指さす。


「君が?」

「おや、お客さんには、こいつが何に見えてましたか?」


 Gは口を歪めた。ただの店員、ではなく、調理人だったのか。

 そう言えば。彼は思い出す。イェ・ホウもあの「後宮」の惑星で、中華の調理人をしていた。

 それが全ての顔ではないことは割合すぐに気付いたが、それが全てであってもおかしくない程の腕をしていた。


「…じゃあ、予定変更」


 彼はとん、と杯をカウンターに置いた。


「確かカフェはご飯が食べられるんでしたね」

「ああそうだね。カッフェーは酒が中心だが、ここはカフェだ。夜時刻も近づく。食べて行くかい?」

「ええ。おすすめは何ですか?」


 イアサムはここぞとばかりにメニュウブックを引っぱり出す。


「腹減ってる? だったらこっちがいいよ。あまりそうでもなかったら、こっち」


 その様子があまりにも可愛らしかったので、Gはくす、と笑った。

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