「ここ?」
Gは思わず目を丸くした。
「そう、ここ」
イアサムは軽く返す。
確かに、何も無い。跡形もない。
いや、そこに建物なり、店なり、それがあった雰囲気というものは残っている。例えば、敷地の隅に転がった、ランプの傘とか、壊れた椅子とか。
「攻撃にあった、って本当だったんだな」
「何かねえ、ここはアウヴァールのスパイのたまり場だったんだってさ」
「スパイの」
うん、とイアサムはうなづく。
「それで、このワッシャードの警察だか軍だかに、やられたのかい?」
「違うよ。お客さん、知らないね。そんな単純なものじゃないさ」
「と言うと?」
「連中は攻撃を受けて逃走する時に、ここに火をつけたんだよ」
「何でまた」
「そりゃあ、ここに集まってる何かの証拠が見つかったらまずいだろ?」
「でも、イアサム、君はよくそんなこと知ってるね。まだ小さいのに」
「小さいって言うなよ!」
かっとして彼し怒鳴った。おや、とGはその様子を見て思う。何やら小さくて、よく吠える犬を見ている様な気がする。
「だいたいお客さん、あんたそういうけど、俺とどんだけ違うっていうんだよ!」
「どれだけって」
彼は苦笑する。この少年(に見える)にとって、自分は一体どのくらいの年齢に見えているのだろう。もう自分の流れてきた、実際の年月がどのくらいなのか、彼はとうに忘れてしまっていた。
と同時に、きっと自分は成長することも、忘れてしまったのではないか、と時々彼は考える。無論、判らないことを知るとか、危機対処ができるといったこととは別のことである。
「幾つに見えるの?」
「俺、二十歳だぜ?」
「え?」
彼は思わず声を上げた。それは予想外だった。
「嘘だろう、君、何処から見ても」
「15.6くらいって言うんだろ? 全く」
そうやってイアサムは頬を膨らませる。その行動の何処が子供っぽくないんだ、と反論したい気持ちに彼もかられたが、まあ態度と年齢は関係ない。
「時々ね、この惑星で生まれる奴は、成長が遅くなったりするんだよ」
「へえ。それって、やっぱり一日の時間と関係あるのかな」
「知らないよ。でも珍しいことは確かだよ。だからいちいち俺、言われたくない」
「ああそう… うん、ごめん」
ちょっと誠意がこもっていない言い方かな、と彼は思う。だがとっさにはそれが精一杯だった。
「じゃあ、話を戻そう。それって、あの店でよく話されてることなのかい?」
「まあね。うちの店は小さいけれど、人の出入りは多い。ついでに言うなら、あんたみたいな観光客も結構来る。色んな言葉の色んな情報が、ホントのものもウソのものもひっくるめて、あふれかえってる」
本当も嘘も、というあたりに、Gはふと目を細めた。
「カフェってのはそういうとこなの?」
「どうかな。どっちかというと、そうゆうのは、カッフェーの方が普通なんじゃない? ウチの方が珍しい」
「そうなの。でもさイアサム、そういうことを、ただの観光者の俺にすらすら言ってしまっていいの?」
「俺はさ、誰にだって言うよ。あんただけじゃない」
なるほど、と彼は肩をすくめた。
この惑星にやって来た時、彼が感じたのは、まず開放感だった。
居住地域がそう多くは無い惑星だというのに、何故自分がそんなことを感じたのか判らない。
宙港に着いた時の、あの熱気。エアコンディショナーは効いているはずなのに、空気の密度が違った。
そして外へ出た時の、まぶしい日差し。街並みは白かった。昼時間の真ん中の日差しは、強烈で、ただただ白い。その白い日差しを、白い石造りの建物が更に跳ね返す。目が痛くなりそうだった。
すぐに適当な宿に居場所を定めると、服を買いに出かけた。この街で住む男達と同じ、白い長い服と、頭にかぶる布。白い街の中で、埋没するにはそれがいい。
とりあえずは、ロゥベヤーガだった。こことは違うが、昼はカフェ、夜はカッフェーで、ぼんやりと時間を過ごした。ただ耳だけはいつも開放していた。休暇とは言え、自分の身を守ることは必要だ。
街の中では、いつでも言葉があふれていた。
三人居る妻の一人が飛び出したとか、息子の成人式には大したことはしてやれなかったが娘には充分な持参金を付けなければ、と言ったひどく家庭的な話から、昨日近くのアダマン市で木の実の輸出業者同士の抗争があった、と言ったような物騒な話ので、それは千差万別だった。
ただ、その何処にも、あの有名な反帝都政府集団の名前は出てこなかった。それが彼を、どんな物騒な空間の中でもくつろがせた。
そんなに自分はあの集団の中に居るのが嫌なのだろうか。彼はそれを自覚するたび、ぼんやりと考えた。そうではない、と思う。思いたかった。
ただ、思いたい、と考える時点で、そこに迷いがある。彼はそれにも気付いてはいた。
あの連絡員と自分は違うのだ。あれだけ盲目的に信じられたら、どれだけ楽だろう、と思う。
自分の一番大切な部分を他人に預けてしまうと、確かに楽ではある。そこに自分の責任は無くなる。少なくとも、自分の中で。
だが彼はそれを好まない自分を知っている。
そんな繰り言の様な考えがずっと頭の中をぐるぐると回って離れない。
人混みの中に紛れるのは、そこから逃れるためだった。雑多な人々の声が、その中に含まれる考えが、強烈な日差しの中、白い空間で、とけ込んでしまう。まぶしくて、見えなくなってしまう。
中断させたのは、イェ・ホウだった。そして、また別の問題を彼に投げかけた。
先の事件で出会ったのは偶然ではない。彼は自分を待っていたのだ。まだ彼に会っていない自分を。
それがどういう意味なのか、彼は知っていた。その事件の時に、Gは自分の未来の姿と会っている。自分は近い未来、過去へと飛ぶのだ。
それがいつなのか、何処なのか、彼にも判らない。時間を飛び越えてしまう天使種としての能力は、Gの意志とは関わりなく発動する。
しかしイェ・ホウが姿をくらました、ということは、それがそう遠くはないことを示しているのではないか、と彼は思わずにはいられない。
だから長く――― できるだけ長く、あの怠惰な時間を、少しでも長引かせていたかったのだが。
信じたくはなかった。自分が「Seraph」の党首になるのだとは。
「でもさ」
少年の声で、彼は考えを中断させた。
「あんたくらいなもんだよ? わざわざここまで見に来たい、って言ったのはさ」
「そうなのか?」
「結構ね、あのカッフェー・アーイシャ自体は、好きで通う連中も多かったんだ。それに、たぶんあんたも、観光ガイド見てきたんじゃない? ほら、必ず載ってるからさ」
彼は曖昧に首を傾げた。観光ガイドには目は通していた。観光客を装うなら、それは必要なことだ。
「見落としてたかも」
「だったらあんた、かなりの節穴だ」
そうかもね、と彼は笑った。
「でも何で、わざわざ、ここまで来たかったの?」
「約束があったんだ。人と会う」
「へえ。じゃあその約束はずいぶんと前にしたものだったんだね」
「いつなの? イアサム、ここが攻撃されたのって」
「ああ、もう二ヶ月前になるよ」
「二ヶ月」
彼は繰り返す。自分があの男と一緒に居たのは、およそ二週間というところだった。
この地にあんな建物を持っていたイェ・ホウがそのことを知らない訳が無い。自分と再会した時点で、既にカッフェー・アーイシャは無かったはずなのだから。
「だとしたら、やっぱりからかわれたのかなあ」
つとめて彼は、苦笑してみる。
「きっとそうだよ。悪いことする奴も居るんだね」
イアサムは気落ちした様に見えるGに近づくと、手をやや上に伸ばして、肩に触れた。
「そうだね」
くす、と彼は笑う。
その笑顔の裏側では彼は思う。イェ・ホウがからかっているとは考えられない。
彼らの盟主とは違う意味で、あの男もまた、何らかの事態を予測し、行動しているはずだった。
「さて、どうする? お客さん。何も無いことは判ったでしょ?」
「…ああ」
仕方ないな、と彼は口の中でつぶやく。だが時計はまだ、夜時間プラス2である。あの店で食事をしながらずいぶん時間を潰した気ではいたが、それでもあのメモの時間には早い。どうしたものかな、と彼は思った。
と、ふとその時、ガラスの割れる音がした。Gははっとして音のする方へと顔を向ける。
「!」
彼は目を見張った。ふわり、と赤いものが二階の窓から落りてきたのだ。
「サーカスンの店だ! またあの踊り子!」
イアサムは一歩足を踏み出した。
踊り子?
Gは再び目をこらす。確かにそうだった。赤いもの、はヴェールだった。頭からすっほりとかぶり、おそらくそのまま下ろせば膝のあたりまであるだろう、薄手の長い、真っ赤なヴェール。それを「踊り子」は腕を大きく広げて降りてきたのだ。
しかし「落ちてきた」訳ではない。窓を突き破って、「降りてきた」のだ。
その上、飛び降りた後、そのまま駆けだしている。…ただ者じゃない。
「…イアサム… あれも日常茶飯事なのかい?」
「いや、そういつも、という訳じゃあないけど」
ふんわりとして裾を絞った下履き、裸足にサンダル。赤に金の模様。派手なことこの上ない。
「逃げ出したのかい?」
「うーん」
イアサムは腕を組んで考え込む格好を取る。
「まあ逃げ出した、と言えばそうだろなあ。時々何の前触れもなく、あの女は、顔も隠さずにああやって飛び出すんだ。それで困って二階の部屋に移しても、あの始末」
はあ、とGはうなづいた。確かに今の踊り子は顔を隠していなかった。いや、一応口元にヴェールは掛かっているのだが、昼間に街で見る女性とは違い、その布は透けて、唇の赤をくっきりと見せている。
「でも、まあいつものことだから、また連れ戻されるさ」
「いつものこと」
ふうん、と彼はうなづく。
「何あんた、興味あるの?」
「いや、そういう訳ではないけど」
感傷的になっている、と彼は自分自身に関して思う。そんなにまでして何度も逃げ出すなら何か理由があるのだろう。その理由を何とかする方が大事な気もする。
しかし、二階の窓から慣れた様に飛び出すというのは。
「あの女はね、お客さん」
「…サンドだよ。サンド・リヨン」
「じゃあサンドさん。あの女はね、マリエアリカって言って、この惑星の生まれじゃあないの」
「あ、だから顔隠さない」
「そーだよ。ここで生まれ育った女が、あんなことできるかって言うの」
確かに。慣習とはそういうものだ、と彼は思う。生まれた時から顔は隠すもの、と育てられている女は、あれだけあからさまに顔を出すことをいとわず駆け出すことはないだろう。
「でも何でわざわざ」
「そりゃあ、ここの女が顔を出さないからさ」
「え」
「だから、そういう仕事の女は、外で調達しないといけないんだよ」
ああなるほど、と彼はうなづいた。この土地のモラルのせいで、女は自分からその様な職につくことが無い、とイアサムは言うのだ。
「でも貧しいとかそういうことでは」
「そしたら砂漠へ女は逃げる」
「砂漠へ?」
「それが、この土地の慣習さ」
吐き捨てる様にイアサムは言った。
「貧しくて、借金のカタに売られそうになる女が、砂漠へ行ったなら、その時には借金は棒引きになる」
「何だそりゃ」
「そして戻ってきてはいけない。砂漠に足を踏み込んだところを見届けられなくてはならない」
「…ってことは」
「まあ、死ぬよね、たいがい」
さらりとイアサムは言う。
「ひどいな」
「さあどうだろうね。顔を見られるよりはまし、と思う女が大半じゃあないの? ここの場合」
Gは黙った。
「それで、その砂漠で生き残るということは、可能なのかな」
「どうだろう。確かめたひとはいないし。でもそれで生き残れたなら、その時には自由になれ、ということかもしれない」
「自由に?」
「そもそもが羞恥心と命の天秤ばかりの掟なんだ。それを飛び越えてしまった者に、周囲があれこれ言う権利はない、ということなんじゃない?」
ふうん、とGはうなづいた。
「でも厳しいだろうね」
「そりゃあそうさ。大の男でも、あの砂漠を足で、水も持たずに越えるなんてことはまずできない。途中にオアシスも無い訳じゃあ無いだろうけど、あてにはできない」
イアサムは首を横に振った。
「ひどいな」
「ひどい? あんたはそう思うの?」
「まあね」
「でもそれは、あんたがよそから来た旅行者のせいだよ。ここにはここなりの、この土地に合った生活習慣が出来ている訳だし、そこには理由があるんだ。その理由を無視して、どうこう言えたもんじゃないと思うね」
全くだ、とGはうなづいた。
「あんたの故郷はどうだったの?」
「確かに、あまり『普通』ではなかったけどね」
「『普通』なんて、帝都の連中が作ったまやかしさ」
さらり、と青年は言った。Gは目を見張った。
「おかしいものだよね。帝都政府の首班は、今政府があるウェネイクの出身なんかじゃないのに、あそこの習慣を『普通』って宣伝したがってる」
「―――君」
「俺、妙なこと口にしてると思う?」
Gは苦笑する。
「ここの人たちは、皆そう思ってるの?」
「皆、かどうかは知らないさ。でも俺がこうやって、街のど真ん中で大声で言ってもいい程度にはね」
なるほど、とGは思う。黙認。もしくは皆そう思ってる、と思ってもいい。
帝都政府の首班である「皇族」もしくは「血族」は、「天使種」と呼ばれた種族である。
かつての長い戦争の中で、最も少ない軍勢でありながら、結局全星域を手にした、「最強の兵士」の種族。理由はただ一つ。彼らは死なない。
彼らは統一当時、最も移民の歴史が長く、温暖で内政も安定しているウェネイクを「帝都」と定め、―――彼らの故郷の惑星を破壊した。その理由は判らない。公的には破壊の事実すら、知らされていないのだ。
統一後に生まれた子供達など、皇族は初めからウェネイクに居た、と教えられたらそのまま信じるだろう。
ともあれその行為がもたらしたものは、「天使種」という種族の未来と、Gの「故郷」の終わりだった。
故郷は既に無い。
「でもま、この惑星の中だから言える、ってことはあるけどね」
「反帝組織とかは?」
「そういうのは、無いよ」
即座にイアサムは答えた。
「無いの?」
「組織的なものはね。皆口々に言うことはあっても、それが何か固まることはないんだ」
「何で?」
「俺がそこまで判ると思う?」
イアサムは肩をすくめた。そしてふらりと、ぽつぽつと灯りのともる街を眺めた。
「ねえ、他の惑星ではどうなの?」
「え」
「反帝組織、って奴が、ちゃんとまとまって、帝都政府に対して、敵対してるんだ、ってことを見せているの?」
「…どうだろう? 俺も別に詳しくはないから」
Gははぐらかす。そうだね、とイアサムはうなづいた。
「ねえサンドさん、それで、ずっとまだここで待っているつもり?」
「え」
「今日の宿は、決まってるの?」
「あ? ああ。一応、君の店からもそう遠くない、『ヘガジュー』の宿を」
「ああそれは近いね。じゃあ、そこまで送るよ」