駅付近イクォール繁華街という訳ではない。
いや、以前は繁華街だった名残はあちこちにある。現在はただの共同住宅になっている三階建ての建物も、窓の装飾、取り外した看板の跡などが、かつてはそこが客商売だったことを物語っている。
現在は、と言えば、繁華街をバスの三つ四つ向こうの通りに取られた状態の、中途半端な場所になっている。
ロゥベヤーガはこのあたりの政治的中心でもあるのだが、その機能を持つ場所は、繁華街からもう少し先である。鉄道駅で言うなら、隣のフジェクヤーガということになる。
そんな、全く人通りが無い訳ではない。それでも駅のそばなのだ。
繁華街に店を出している人々が住まう共同住宅や、病院の支部、銀行の支店というものがそこには集まっていた。
Gの目的はその銀行にあった。この場所にどのくらい滞在するのか、まだ予想がつかないだけに、行動の自由を保障する程度の金はいつも何かしら必要ではあった。
もっとも、銀行へ向かう彼自身あまりいい気分ではなかった。そもそも自分があっさりと所持金を取られるというのは。しかも「半分」である。全部取っても構わないのに「半分」。何となく馬鹿にされた様な気もする。
しかしまあ、起きてしまったことは仕方ない。彼は教えられたラフダ銀行の看板を探した。
すぐに見つかるよ、とイアサムは言ったが、確かにそうだった。
その建物は周囲から浮いていた。特にそこだけが高いとか大きいとか言う訳ではないが、他の建物が、二十年三十年といった年季が入っているのに対し、そこだけがぴかぴかに浮き上がっている。
そして、周囲の白い建物の中で、黄色と青の二色に塗ってあるあたり… 彼は頭を抱えた。誰がこんなデザインにしたのだ、とため息をついた。
それはどうも、駅から一歩足を踏み出した旅行者誰にも共通するらしく、道の突き当たりである駅から出てきた大きな荷物を持った人々が、時々ぎょっとした顔でその建物を見上げている。
まあしかし、旅行者にとっては、頼りになる場所であるので、多少景観を壊しても便利は便利、ということかもしれない。
気を取り直して、Gは通りを渡って銀行へと足を進めた。
扉は自動ではない。彼は重いガラスの入った扉を押した。すると少し奥まったところに、男性の従業員だけがずらりと並んでいる。さすがにこういう場所では、あの長い服を着ている者はいない。白い、短い襟を立てたシャツに、サスペンダをつけた黒いパンツで統一されていた。
客はさほど入っていなかった。彼は迷わずに、人気の無いカウンタへと向かう。カードを確認すると、従業員は少しお待ちください、と言って、彼に待合いの席を手で示した。
待合いの席は、無造作に置かれた木製のベンチだった。座ると一瞬、かたん、と揺れた。足の長さのせいなのか、それとも地面がまっすぐではないのか、とにかく位置をすらすとかたかたと揺れる。面白い。
高い場所にある窓は、円の中に幾何学模様が入っている。そこから昼時間近い朝の光が射し込み、降り注いでいる。いい感じだ、と彼はまた思う。
だからこそ、何故外観があんな風なのか、彼には理解ができなかった。
彼はこの街の、強烈なまでの白さが気に入っていた。あの白さは、陽の光にも似ている。全てのものをその中に包み込んでしまって、何も考えられなくしてしまうものだ。
無論彼の中では、そう考える自分自身を危険だと思っている。自分は自分であり、他の誰でもない。自分以外のものに染まってしまうことを、彼は許せないのだ。
数分、彼はややぼうっとした視線で辺りを見渡していた。と、その視線が、ある一点で止まる。おや?
「リヨンさん」
先ほどの従業員が彼の名を呼ぶ。彼はつ、とベンチを立った。
「クレジットですね」
ええ、と答えながら彼は耳を澄ます。隣のカウンターでは、別の客のカードが置かれている。名前が呼ばれる。聞きながらGは自分の金を素早く懐に納める。カードをポケットに入れる。
ありがとうございました、という従業員の声を背に、彼は銀行を出ようとする ―――その時だった。
はっ、と息を呑む音がした。
それが誰の喉から発したものなのかは判らない。だが、その音が彼の視線を再び内側に向けさせていた。
声は、今さっき自分を相手にしていた従業員だった。
そして、その横の従業員は、口を塞がれていた。カウンターごしに、サングラスをした男が、片手で従業員の首を抱く様にして口をふさいでいる。空いた方の手には、大きな銃があった。
あらら、とGは思った。ひどく古典的な、銀行強盗の光景が、そこには繰り広げられていた。
同じ様にベンチで待っていた客は、ある者は立ち上がり、ある者は座ったまま、視線を銃の男に向けている。どうしようか、と生唾を飲んでいる者もいれば、取り押さえるタイミングを推し量っている者もいる。
そしてGは、と言えば、そんな客の姿をちらちらと伺っていた。
あっちに一人。こっちに一人。
単独犯ではないだろう、と彼は状況を素早く判断する。ベンチから立ち上がった一人が、長い服の、ゆったりとした袖の中に手を入れた。
そして背後に。
すっ、と彼は背中から近づく気配を感じていた。だが避けることはしない。
案の定、次の瞬間、彼は自分の身体が、肉厚の、濃い体毛の男の腕に押さえられているのが判った。目の前の従業員同様、首を今にも折られかねない勢いで、腕が回されている。体臭がきついな、と彼は息を呑むジェスチュアをしながら、半面、そんなことを考えていた。
「店長を出せ!」
従業員を押さえつけている男は、カウンターの中に向かって、そう叫んだ。ちら、とGは周囲を横目で見る。自分を押さえつけている男と、あと二人、彼には気配が感じられた。
一人は… 居た。扉の所で、何処に隠していたのだろうか、長い銃を手に、客が出ていかない様に見張っている。
あと一人は。彼は気配をたどる。
女? ああそうか、と彼は思う。客の中には女が居たところでおかしくはない。真っ黒な、頭も身体も顔もすっぽり覆う、そんな格好で、何人かがひっそりとたたずんでいた。女達は人質にとられた形の従業員と彼を遠目に見ながら、女同士くっつき合っては、震えている。
なるほどこれが普通の反応なのだな、と彼は思う。昨夜のあの女は、確かにこの惑星の女ではない。
「て、店長は今日はお留守です!」
彼の相手をした従業員は、それでも勇気を奮い起こしてそう言い放った。そして何やら、手をカウンターの下の机に付く形をとりながら、もぞもぞと動いている。緊急連絡を取るつもりだろうか。
止めろ、と彼は口の中でつぶやく。銃を持った男は、カウンターに乗り出す形になっている。見えないはずが無い。
「何してやがる!」
案の定、言葉と共に、銃声が一発、響いた。うぁぁぁぁ、と従業員の叫び声が響く。腕を押さえていた。白いシャツ、赤い染みが広がる。
「脅しじゃねえぞ! 店長を出せ! 金が目的じゃない。店長に、俺達は用があるんだ!」
「て、店長はお留守です! 本当です…」
血を流しながらも従業員はそう答えていた。本当なのかもしれない、とGも思う。
「じゃあ呼んで来い。ここから連絡して、すぐ来る様に言え! スホンソンが用があると言ってな!」
半時程経って、入り口から店長が入ってきた。ふと見ると、外の誰かが通報したのだろうか、出口の周りに、都市警察の制服がちらほらと見えた。
更にその周囲には、野次馬が囲んでいる。何処でも変わらない光景である。ただ、その都市警察の持つ銃が、短銃ではなく、長い銃身のものであることがGの目に止まった。
相変わらず彼は、首に手を回されている状態である。まあ抜けようと思えば、いつでも抜けられた。ただそれにはタイミングというものが必要だった。
自分一人だったらいいが、周囲に無関係の市民が居る以上、下手な動きは取れない。もっとも、ここに居る全てが無関係の市民、である保証はないのだが。
何かのきっかけが必要だった。それに、いくら都市警察とは言え、何処かで自分の正体が知られる可能性が無い訳ではないのだから、できるだけ突入前に、この場から脱出したいと考えてもいるのだ。職務質問だとしても、できるだけ接触は回避しておきたい。
中に入れられた店長は、何のことはない、貧相な小男に見えた。口ひげが妙に浮いている。休暇だったのだろうか、従業員のものとは違い、長い上着を身につけていた。
「久しぶりだな、ダルギーム」
スホンソンと名乗った銀行強盗は、入ってきた店長の顔を見るなりそう言った。
「お前は」
小男のダルギーム店長はカウンターに片膝立てて座っているスホンソンを見ると、明らかに顔色を変えた。
「知らないなんて言わせないぜ?」
「…」
だんまりかよ、とスホンソンは今度は銃を店長に向けた。
「お前の誘い通りに資金を投資したら、いつの間にか、それが警察の方に漏れていたとはな。知らなかったよ、警察と銀行がグルだとはな」
「市民の義務だ、当然だろう!」
「市民の義務、ね」
ひゃひゃひゃ、とスホンソンは笑った。ふうん? とGはその会話わ聞きながら考える。所有がまずい大量の金を、ここで預かったら、そこから都市警察に漏れた、ということだろうか。だとしたら、店長の主張は間違ってはいない、とは思う。市民の義務。とても正しい。
しかしその一方で、星間平等銀行の様な、顧客のプライヴェイトを全く問わない金融機関もあるのだ。顧客の信用を第一にする、そんな場所もある。それもまた、銀行という信用商売においては正しい。どちらがどちら、とも言えない。
いずれにせよ、確かに預けた側にしてみれば、踏んだり蹴ったりだろうな、とGは思う。
「要求は何だ。スホンソン」
「俺達が預けた金の返却と、砂漠を横断する地上車を用意しろ。大型だ。それだけだ。必ずしろ」
「…アンクシュ」
無事な従業員の一人を店長ダルギームは呼ぶ。アンクシュという従業員は、撃たれた同僚の腕を手早く縛ると、手元にあるらしい端末を手早く操作した。
「お客様の残高は、300万クレジットですね」
そう言う声が震えている。それに野太い声が返す。
「そうだ」
「しかし今現在この銀行にはその現金は」
「だったら支店に連絡を取れ。とにかく、今すぐだ!」
無茶を言う、とGは目をむく。
結構な金額だ。少なくともこの地なら、今まで自分が滞在していた様な家が数軒軽く建つだろう。
何かを興そうとして集めた金額としては、中途半端だ。だがかと言って、すぐにどうぞ、と出すことのできる金額でもない。通常の業務をしている限りでは。
いずれにせよ、そろそろGもこの状況を見るのに疲れてきた。背後の都市警察も気になる。
「…おい、何をもぞもぞやってるんだ」
腕の毛が濃い男が、突然何やら落ち着かない様に動き出した彼に問いかける。
その時だった。
「う?」
肉厚の男は目を疑った。自分の腕の中から、それまで抱え込んでいた綺麗な青年が一瞬のうちに消えたのだ。しかし消えたのではない。身体を素早く真下に移動させただけだった。
それでもそう来るとは思っていなかった男にとっては、次の対応がすぐには取れないもので、突然の事態にきょろきょろと辺りをうかがっている。
「どうしたんだグッゼロ!」
スホンソンが叫んだ時だった。
ぱん、と軽い音が響いたと思うと、その場に強烈な閃光と、煙が広がった。
瞬間、目を伏せたGは、そのまま奥へと向かった。
裏口は何処だ。
服の上着のボタンが二つ飛んでいた。休暇の終わりに際して、この土地の服を脱ぎ捨て、自分の服に立ち返ったのは、このせいもある。何かと仕込みがしてあるのだ。
煙が立ちこめ、白く周囲がかすんでいる。ちょっとこの場に対して量が多かったかな、と彼は手探りで壁をつたいながら思う。
と、その手を掴む者が居た。細い指。彼はそれを空いた方の手で思い切り掴んだ。
黒い、目以外をすっぽり隠してしまう服の女がそこには居た。
何のつもりだろう、と手に込めた力を彼は緩めることはしない。すると、女はその掴まれたままの手に、自分の手を添えて、彼を引っ張る様にする。
ついて来い、というのだろうか。女は奥へと進んで行きたそうだった。どうする、と彼は一瞬考えたが、止まっていても事態が変わる訳でもない。
「裏口を知っているの?」
Gは問いかけた。女はこくん、とうなづいた。直接口をきくつもりはないらしい。この地の女ならそれも仕方ないだろう、と彼は思う。
背後では、都市警察がこのすきに入り込む気配がある。早くしなくては、と彼は足を速めた。