確かにそこには裏口があった。
表は強烈なツートーンカラーで彩られているというのに、裏はそうでもない。むしろ、裏の方が昔ながらの白い壁で、よほど趣味が良い、と彼は思う。
細い路地は、人一人居ない、ひっそりとした所だった。向こうで行われているだろう銀行強盗の逮捕劇など何処の空の下、と言いたくなるほどに。
「ありがとう助かったよ」
とんでもない、というように女は首を横に振った。薄手の紗のかかった目元が、ぼんやりと見える。大きな黒い目をしているらしい。しかしそれ以上はさっぱりと判らない。顔も身体の線も判らない。
「君の名は?」
答えを期待していた訳ではない。あの場から、都市警察の救助を待たずに自分で脱出するなど、決して堅気の態度ではない。
だが女はもう一度彼の手を掴むと、その手のひらを広げさせた。
何をするのだろう、と見る彼の目の前で、女は字をつづった。
「M・A・S・H・A・I」
マーシャイ!
彼ははっとしてその手を捕まえようとしたが、女はそれを読んでいたかの様に、ふわりとそのたっぷりとした服を宙に舞わせると、そのまま走り去って行った。
あれが、「マーシャイ」なんだろうか。
走り去る女の背中を見ながら、彼はしばらくその場に立ちつくしていた。
*
「それで?」
訪問者は警察署長に訊ねた。
「…ですから、その時急に何者かが閃光弾と発光弾を同時に使用したために、こちらの作戦がまるで駄目に…」
「俺だったらコレ幸い、と中の犯人はぶち殺すがな」
でん、と勧められたソファに殆ど寝ころぶくらいの姿勢で座り、その日のニュースペイパーをかぶる様にして見ながら、訪問者はブーツを履いた足を組む。
「…お言葉ですが、ここは戦場ではございません。我々の目的は、都市の治安維持であって」
「そうそう本分を判ってるならいいさ」
ひらひら、と訪問者はニュースペイパーの下から手をのぞかせる。
「俺は軍人の警察官だからな。ウルテバ署長。それ以外のものじゃねーし、それ以外のことをしようとは思わん。お互いの本分を守ってウツクシク事態の収拾をつけるのが一番さ。だがな署長、それと、こっちが前々から提出を求めていた人物の調査ができていねえ、というのとは話が別だぜ」
「…中佐」
「本分、は守るべきじゃねえのか?」
ぱら、とニュースペイパーを取ると、その場に火の様な真っ赤な髪が現れる。あまりの原色のすさまじさに、署長は一瞬顔をしかめた。
「しかしコルネル中佐、調査にしたところで時間がある程度必要だ、ということはご存じでしょう」
「時間は充分に与えたはずだ」
コルネル中佐は無機質に光る金色の瞳でぎろり、と警察署長を見る。そしてぱさ、と四つ折りにしたニュースペイパーをその前に投げ出した。
「ウァルテ海岸沿いのコテージが爆破炎上、とあるな」
「…それは」
警察署長は答えに詰まる。つい最近起こった、海岸沿いのコテージの爆破事件は、正直言って彼も困っていることの一つだったのだ。
そこに数年前からそのコテージを所有している人物について、何故か最近、帝都の軍警から調査依頼がやってきたのだ。
何故だろう、とワッシャード全域の各都市警察の署長は頭を抱えた。彼らは砂漠を挟んだアウヴァールのスパイの活動には目を光らせている。その筋に関する情報も多い。
アウヴァールから派遣された情報員に関しては、「疑わしきは」リストに乗せ、監視を怠らない。
しかし、このコテージの所有者に関しては、その線では全くつながらないのだ。
つまりは、疑うこと無い一般人であるか、さもなければ、この惑星ミント内の「小競り合い」には興味も何もない、もっととんでもない相手であるか、である。
いずれにせよ、この地に直接影響を与える訳ではないから、そっとしておけばいい、というのが各都市警察の署長の共通見解だった。ウルテバ署長もその例に漏れない。
無論それなりに、調べてはある。あのウァルテ海岸沿いのコテージに住むのは、本籍がクレフェンド星系にある、ヨグド・オーレ・ウルファンという名の男だった。
普段何処で何をしているかははっきりとはしないが、この地にリゾードに来るたびに、誰かしら連れを伴い、普段忙しい警察の人間達を恨めしがらせる様な優雅で怠惰で濃密な休暇をとっている、ということだった。
報告してきたのは、ウァルテ海岸を含む都市ヒュリアタの若手捜査員のムルカート・タヴァンという男だった。
遠くから時々観察している時に、中の様子もうかがえたらしいが、その濃密さに、下半身がうずいて、足ががくがくと震えたらしい。
ヒュリアタの警察署長は、もっと枯れた捜査員を送れば良かった、と通信端末の向こう側で嘆息していたものだった。
しかしそんな地方警察側の事情など軍警の中佐が知るよしもなく、またあまり知られたくもないことであることも事実だった。
「まあいい。いずれにせよ、らちが明かないから俺がわざわざやってきたという訳だ。その所有者がこの場でどんな優雅なヴァカンスを送っていようが、俺の知ったことじゃない。俺の仕事は、そいつをいぶり出すことだからな」
「はあ…」
ウルテバ署長は何と言ったものか、と肩を落とし、気のない返事をした。
「それでは、どの様な協力を我々は」
「目につく協力などいらん。ただ俺がすることに口も手も出すな。邪魔だ」
「は」
「奴を見つけたらとっとと捕らえてこの惑星から出ていくから、安心しろ」
そう言うと、中佐の薄い唇の端が両方とも上がった。思わず署長はぞく、とする。この職についてから、いくら厄介な事件に関わったとしても、無縁だったはずの「恐怖」。
触らぬ神にたたりなし、という言葉を彼は思い返し、部下にも徹底させようと考えたのだった。
*
「部下」はコルネル中佐が立ち去ってのち、一堂に集められた。都市警察とは言え、この地の人間であるので、服は長いものを着ている者が多い。必要がある時のみ、軍装に近い制服を着用する。それでも頭の布は外さない。それは生活の習慣であり、宗教の戒律でもあった。
「何だろうな」
急遽集められた警官達は顔を見合わせる。見事なまでに、そこに居たのは男ばかりである。
この惑星の警察機関に女性が存在しない訳ではないが、彼女達の役割は女性が関わる事件の、取り調べなどに限られる。男性が無闇に見てはならない部分にあたるところに女性が必要なら、仕事を当てる。そんな具合だった。
もっとも、女性が関わる事件は滅多にない。関わる場合でも、大半が戒律とは無関係な他星系の女なので、取り扱いは地元の女よりずさんになる。
さてそんな警官達の中に、最近ヒュリアタからこのロゥベヤーガに転勤してきたムルカート・タヴァンという青年が居た。
「運がいいぞお前。この街は、他の街より女の検挙率が高いんだぜ」
「よせよ」
からかう同僚に、頬を赤らめてムルカートは言い返す。
「俺はそんな理由でここに転勤してきた訳じゃないんだからさ」
「そんな理由そんな理由と言ってもね、それが最大の役得であるのも事実なんだよ」
ふふふ、と同僚は意味ありげに笑う。そんなこと言われても。純情な青年は答えに困る。
だいたい転勤の理由が、自分があのコテージの監視人だった、ということに尽きるから彼も困っている。あの経験はなかなか忘れられるものではない。
安い給料の自分では一生かかっても手にに入れられるか判らない、白い、美しいコテージ。まともに昼時間をずっと監視しているのではたまったものではないので、どちらかというと、夜時間に食料を抱えて木の上に上ったものである。
そしてその中身を時々双眼鏡で観察していたのだが…
何でカーテンをひかないんだ!! と彼は何度怒鳴りたくなったことだろう。
確かに海側に面しているし、そもそもそのコテージの周辺も、所有者のものである。だからそこに居るだけで充分不審なので、文句を言う筋合いはないのだが…
だからと言って、そんな、床まで続く窓の大きな部屋で、連日の様にそんなことを繰り広げていなくてもいいだろう!
しかも、最近戻ってきたその所有者が今回連れていたのは、女ではなく、男だった。友達か仕事仲間だろうか、と彼は期待したのだが、何ってことはない。その二人ときたら、もう朝であろうが昼であろうが、夜であろうが、思い立った時に、したいことをしているという有様である。
ムルカートはさすがに最初の夜、頭を思い切り殴られた様な衝撃を受けた。この惑星では、宗教的にもそれはさほどの禁忌でもないので、それは決して珍しいものではない。だから彼もそれが男同士ということに驚いた訳ではない。
それが非常に美しい光景に見えたことに衝撃を受けたのである。正確に言えば、そう思ってしまった自分に、である。
だが内心の葛藤は「仕事」という言葉でやがて正当化される。眺めているうちに、その光景の出演者の姿をすっかり覚えてしまった彼がそこには居た。
結果として、この青年は、その一点だけにおいて、ヒュリアタの警察署長から推挙され、ロゥベヤーガへと回されることとなったのである。
「…という訳で、諸君には先程説明した人物の捜索をしてもらう。だが、くれぐれも深追いはするな」
「何故ですか?」
ムルカートをからかった男が、手を挙げ、呆れた様に問いかけた。
「それでは我々の仕事では無くなってしまう」
「今回は軍警の管轄の仕事だった。それが戻っただけなのだ。我々は今回そのサポートに過ぎないのだが、当の軍警からの派遣員が『邪魔をしないだけでいい』だからな」
ふう、と署長はため息をつく。
「つまりは何もしないでいい、ってことかなあ」
とつぶやく者も居る。その声を聞きつけたのか、署長は汗をふきながら答える。
「いやいや、邪魔をしないということは結構厄介かもしれんぞ。くれぐれも、気を付けてくれ」
むむむ、とムルカートは釈然としないものを感じた。
*
「何だよ別に何もせんでいいからいーじゃん」
「あんたはそういうけどさ、ネイル」
「まあまあ、そういきり立たないで。それより、今はお仕事お仕事」
ぶすっとした顔のまま、ムルカートは少し年上の同僚についていく。正直言って、彼は予定されていた役割を横から取っていかれた様な気分なのだ。彼は仕事が好きだった。仕事を真面目にこなして、その上でもたらされる達成感というものが好きだったのだ。
先日までの「監視」は、その経過における内部の葛藤はともかく、報告文といい、記憶といい、自分なりに納得できるものだった。与えられた仕事をきちんとこなすことは何と気持ちいいことだろう。
だから彼にしてみれば、そんな人生の楽しみの中心である「仕事」を横から取られたということは、非常に悔しいことなのだ。
「それにさあ。お仕事ってのは楽しいことだけじゃあないのよ」
へへへ、とネイルは言いながら笑う。小柄で、陽気な顔をしたこの同僚は表情に似合わないことを言う。
「それにしてはあんた楽しそうじゃない」
「だって今から行くとこ、お前忘れたの?」
「え」
「マトリバステナ劇場だよ。ホラ街の」
まだ判らなさそうな顔をしている新入りに、にんまりとネイルは笑みを浮かべる。
「他星系の女達のショウが毎晩あるんだぜ?」
「…へ。そんなとこにどうして」
「お前ほんっとうに他の事件とか何っにも聞いてなかったのね」
うるうる、とネイルは急にうつむいて泣き真似をする。
「いっけないよー。自分のお仕事にマジメなのはいいけど、それじゃーいざって時に足をすくわれる」
「…それは俺の勝手でしょ」
「うんうん別にいいのよ俺は。ただ君がそーやって転んだ時にも、俺は別にお手伝いなんかしてやれないからね、と言うだけでね。ま、その時はその時。とりあえずは劇場の踊り子さん達に会えるからいいかー」
軽い。あまりに軽い、とムルカートはふと頭を抱えたくなった。しかしネイルの言うことにも一理ある。やはり自分は新入りなのだし、ちゃんと周囲は見渡しておかなくてはならないな、とその「マジメ」な頭は真っ向から受け止める。
ホラ街のマトリバステナ劇場は、中心街の外れにある。基本的にこの惑星の場合、歓楽街は都市の端にある。強烈な日差しが全てを漂白してしまう様な昼にはそこは全くのゴースト・タウンの様に静まり返る。長い夜時間を働き通したそこの住人達にとって、やはり長い昼時間は、身体を充分に休息させるためのものだった。
ひっそりと静まり返った歓楽街は、四角い建物と、空に絡まりあった電線の影を白い石畳の上に落としている。
だが全く人が通らないという訳でもない。夜きちんと営業ができる様に、と働く者もほんのわずかだが居る。
例えば夜生き生きとする様に、と焼け付かない程度の日差しを花にあげたり、昨晩破れてしまったカーテンをつくろったり、作り置きの甘い菓子を焼いたりする人々。
そんな人々を横目で見ながら、二人は劇場へと向かった。おそらくそれは、他惑星の「大劇場」を知っている者には、「芝居小屋」にしか見えないだろう。
いいところ100人200人程度しか入らない客席。「ステージ」も狭く、そして何やらかび臭い、と一歩入ったムルカートも思う。
「これはこれは都市警察のダンナ、こないだは大変でしたなあ」
「劇場」の支配人は眠そうな顔を隠しもせずに言った。それでも愛想はいい。
「ああ大変だったなあ。全くもう、いやんなっちゃうよ」
へへへ、とネイルは笑う。
「で、踊り子は見つかったのかい?」
「ええ見つかりましたよ。全くあいつは、何で見つかるって判ってて、飛び出すのかねえ。仕事が嫌って顔じゃないんですがねえ。どーも他星系の女ってのはわたしにゃあよく判りませんよ」
両手を広げて、「支配人」は呆れた、という表情を作る。
「ふーん。何だっけ。マリア?」
「マリエアリカですよ。ま、そっちのお達しもあるし、こっちにも大事な商売道具ですからね、手荒なことはしませんでしたわ。いやだってですよ、時々外に出たいなら出ればいい、ってこっちも言ってるんですがね、何だってあいつはいつもいつも、夜に飛び出すんでしょうねえ。今回は窓まで割るから、その修繕費が大変なんですよ? まあ半分はあいつの賃金から出すと言いましたらそれでいいなんて抜かすし。金が欲しくてこんな仕事しているって言うわりには馬鹿ですよね、あれは」
支配人は一気にまくしたてる。普段の鬱憤が、こういう所であふれだしてくるらしい。
「何があったんですか?」
小声でムルカートは訊ねる。
「や、日常茶飯事なんだけどさ」
「日常茶飯事、なんて言わんで下さいよ~」
口ひげをたわわに生やした支配人はそれに似合わぬ細い身体をすくめた。長い指をやや神経質そうに広げては、何処か芝居がかった口振りで嘆く。
「一応こっちも、ここいらの堅気の女は使えませんからね。だからこそ、他星系で募集かけるんですよ。ええ結構かかりますぜ。だけど仕方ないじゃあありまぜんか。無論ここで女が調達できればそれにこしたこたありませんわ。ですがねえ、どうもここんところ、借金しても砂漠へ逃げる女が増えすぎですわ!! 全く」
「砂漠へ」
ムルカートはぽかんと口を開ける。この「マジメな」都市警察の青年は、「女の調達」と「砂漠」のつながりがどうにも判らないらしかった。ネイルはそれに気付いて解説を加える。
「それはひどい」
「ひどいでしょう?」
支配人は苦笑する。
「いやそうじゃない、何だって、女がそれで砂漠に行かなくちゃならないんだっ」
思わず拳を握りしめる青年に、ネイルも支配人もは? と思わず顔を見合わせた。
「お前、それ本気で言ってる?」
「本気だよ! そりゃあ、確かにお金を払えないのは、良くないけど…」
「ちょっとダンナ、この若いさん、大丈夫?」
気にしないで、とネイルはひらひらと手を振る。
「お前ちょっと黙れよ」
「だってネイルさん」
「お前が育った環境がどうなのか俺が知ったことじゃないけどさ、ここにはここなりの流儀ってのがあるの。お前が今ここでがたがた騒いでもしょーがないぜ?
それより俺達の仕事はなあに?」
「だから俺はそれを聞きたいんだけど」
「お、そう言えば言ってなかったなあ」
そしてネイルはくる、と支配人の方へ向き直る。
「という訳でサーカスンさん、そのお話の続きを」
「何の話をしていましたっけなあ…」
*
「お前ね、ああいうこと間違ってもああいうとこで言うもんじゃないよ」
無造作に氷を入れ、パインアップルを一片、端につけたコップに注がれた、透き通った黄色のジュースをストローですすりながら、ネイルは椅子にふんぞり返る。
「でも俺、本当にそう思ったんだから」
「お前がそう思ってる思ってないは別! そりゃあね、俺だって、それは良くないって思ってるよ? いっくら何だって、女の子がかあいそうでしょうね。だけどあそこで言うな、そんだけだよ俺が言いたいのは」
「…」
不服そうな顔のムルカートは黙って自分の目の前にある白い液体をかきまわす。からからと氷が音を立てる。
「あれはあそこでは常識。そして俺達はあそこから結構な情報をいただいてるんだぜ?」
「しかし都市警察というものは」
「それはそれ。これはこれ。それにな」
不意にネイルはコップを置くと、ぐい、とムルカートの襟を掴み、間近に顔を寄せた。そして相手に強引に視線を合わさせると、囁く様な声で言った。
「何も砂漠に出たからって全部が全部、死ぬ訳じゃあないんだぜ?」
「…まさか」
ムルカートは目を丸くする。
「まさか、じゃねーんだよ。最近、結構な数の女が、そうやって砂漠に出たはずなのに、何故か、それからしばらくして、アウヴァールのあちこちで目撃されてんだ。アウヴァールとこっちワッシャードじゃ、女の服装がちょっと違うからな。目につきやすいらしいんだよ」
「…で、でもどうやって」
「そこが、問題なんだよ」
ちちち、とネイルは指を横に振ってムルカートの襟を離す。いきなり引きつっていた首の後ろが軽くなったので、バランスを崩した彼は椅子に強く尻をついてしまう。
「つまりは、そこで何らかの手引きをしている連中が居るんじゃないか、ってえことだ」
「手引き、ですか」
「ああ。お前はあれこれ言うがな、元々は借金が返せないから女を売りに出すんだ。それは女の問題じゃあねえ。親だの旦那だの、とにかくその女を手の内に入れてる野郎の問題だ。女はたいがいそんな借金を作ることもできねえのが普通だ。なのに、売られるの女だ」
「ひどいですね」
「ところが、だ。ここの女達にとってはそれが普通だからたちが悪い。野郎どももそれが普通だと思ってるからな。だから俺も感情としては、そういう『何か』手助けして逃げさせてやる奴らが居るなら結構拍手しちまうね」
「だったらどうして」
「お前なあ。俺達は一応都市警察の人間な訳よ。目的は何?」
「都市の治安維持… だと思う」
「だと思う、じゃなくて、そうなの。拍手喝采したいようなことでも、秩序を乱すことであることには変わらないでしょ」
まあそうだが。ムルカートは次に言うべき言葉を見失った。探そうと思う。だが見つからない。仕方なく、彼は今まで口をつけてなかった飲み物に手を出す。
何となく、気詰まりな時間が流れていく。ふう、とふと視線を入り口の方に向けた時だった。
ぎい、と音をさせて、扉が開いた。ああ蝶番に油わささなくてはな、とムルカートは何となく思う。
だが次の瞬間、その扉から入ってくる人物に、彼の目は吸い寄せられた。
彼だ。
それは、彼がずっと監視していたあのコテージに居た人物だった。