恐る恐る本殿に入った私はすぐに狐たちを探した。
「ビャッコ先輩! テンコ先輩!」
大声で二人の名を呼びながら本殿を走り回っていると、炊事場から子狐がバタバタと走ってくる。
「巫女! ようやく戻ったか! ん? 一日早くないか?」
「巫女! 戻るのは明日では!?」
「ごめんなさい! って、どうかしたんですか? 何か煙出てますけど……」
私の問いかけに二人はギョッとしたような顔をして振り返ると、叫びながら炊事場に戻っていく。
「うわぁぁ! 芹様! 芹様はもう何もしないでください!」
「芹様~~~! もうお止めください!」
一体何が起こっているのだろうか。何となく見に行くのが怖い。そう思いつつも炊事場に入ると、中は煙で真っ白だ。
私は噎せながら急いで窓を開けて換気すると、煙の中から芹が姿を表した。
「帰ったか、巫女」
「あ、はい。ただいま戻りました。ていうか、何事ですか?」
「今日、森の者達が神社の再出発の祝いにと色々持ってきてくれてな。それを料理しようとしたのだが、どうやら私は料理には向いていないようだ」
「……何故突然料理を?」
出来もしない、というか食べもしないのに何故突然そんな事をしようとしたのか。腰に手を当てて芹を覗き込むと、芹は私から視線を逸らして言う。
「狐たちが、言った」
それを聞いて狐達はギョッとしたような顔をして芹を二度見している。
「言ってません! そんな事は一言も言ってません!」
「そうです! ウチ達が言ったのは、この食材を巫女ならどんな料理にするのだろうかと言っただけです!」
「……芹様?」
もう一度芹を見上げると、芹はバツが悪そうに視線を伏せたまま、私のエプロンを外して炊事場から出ていく。ちゃんとエプロンをつけて料理していたのは偉い。
「えっと……何か作りましょうか? あと、たった1日半で一体何が起こったんですか?」
「それには深い訳がある。僕は魚が食べたい」
「そうです。海の底よりも深い訳があるのです。ウチはお肉が食べたいです」
「分かりました。すぐに作るので芹様を宥めておいてください。それから私も話したい事があって」
「分かった」
「分かりました」
二人はそれだけ言って大人しく炊事場から出て行った。
私はてっとり早く焼き魚と肉の炒め物を作って大皿に盛ると、ついでに味噌汁も作る。パックのご飯をチンしてあっという間に超簡単な晩ごはんの出来上がりだ。それをテーブルまで運んで声をかけると、全員がやってきた。
「やはり見事だな。この短時間で」
「そりゃ年季が違いますから。芹様も食べますか?」
「いや、遠慮しておく」
「そうですか? それじゃあいただきます」
「いただきます!」
二人の声はピタリと重なり、同時に食べ始めた。そんな二人を目を細めて見ていた私とは裏腹に、何やら芹は恨みがましそうに二人を見ている。
「どうかしましたか?」
「いや、何も。ところで随分早かったな。何かあったのか?」
「ああ、それが――」
私はここへ一日早く戻る事になった経緯と、米子の事を三人に相談すると、芹は頷いて腕を組む。
「住所を見せてみろ」
「あ、はい」
米子から預かった封筒を芹に渡すと、芹はその封筒に手を翳して目を閉じた。しばらくして目を開いた芹が言う。
「元気、とは言えないかもしれないな。心を病んでいるようだ。仕事も順調とは言えない」
それを聞いて思わず私はギョッとした。
「そ、そんな事まで分かるんですか!?」
「もちろん。神社で何かを願う時に住所を書けと言われるだろう?」
「確かに……」
願い事は同姓同名の人と神様が間違えないように住所を書いた方が良いと言われるが、あれはこういう事だったのか!
それを目の当たりにした私が感心したように芹を見つめると、芹は得意げに口の端を上げる。
「良いんじゃないか。米子はここの氏子だ。しかしどうして舗装したのに願いに来なかったのだ」
不思議そうに首を傾げる芹に私は言った。
「米さんの年齢を考えた事がありますか? ここの坂はとにかく急で長いんですよ。それなのに手すりも無いし、途中で休憩する場所もない。そりゃお年寄りはなかなかここまで登って来られないと思いますよ?」
「なるほど。一理ある。テンコ、明日手すりと休憩所を作れる業者を手配しろ」
そう言って芹が袂から取り出したのはスマホだ。それを見て私はまた驚く。
「な、何でそんな物! 芹様、いつの間にスマホ買ったんですか!?」
「巫女が戻ってすぐだ。こいつらに推しと動画について調べてきて貰ったんだ。それにはこの板が無いと駄目だと言うから買った。ついでにネット環境とやらも整えたぞ」
「えっ!?」
それを聞いて急いでスマホを取り出すと、そこには確かに謎の電波が入ってきている。
「これで少しは巫女の憂いは晴れたか?」
電波もだが、もしかしたら参道の舗装も私の為にやってくれたのだろうか? もう歩く度に引っ付き虫がつかないように、と。
「せ……芹様!」
思わず私はお箸を投げ出して芹に抱きついた。
そんな私を見て狐たちは飛び出した耳と尻尾を逆立てているが、芹は私を抱きとめて少しだけ笑いながら言う。
「どうやら今回は間違えなかったようだ」
短い言葉ながら芹の言葉には色んな思いが詰まっている気がした。
その翌日、私は狐達と米子を連れて東京に繰り出していた。
本当は私だけで様子を見てこようと思っていたのだけれど、芹のセリフを聞いてこれは急いだ方が良いかもしれないという事で、渋る米子を連れてはるばる東京までやってきたのだ。
ちなみに狐の二人は姿を消してこっそりついてきてくれているので、傍から見たら完全に私達は孫とお婆ちゃんの小旅行になっているのだろう。
道中、米子は何度も帰ると言い出したけれど、私はそれをどうにか説得して米子の息子が働く会社までやって来たのだが……。
「あの子……『拓海……あんなにやつれて……』」
会社の近くのベンチで呆けた様子で空を見上げている男を見て米子が震える声で呟いた。
「え、あの方が息子さんですか?」
「そうよ、そう……あんな……どうしちゃったのよ……」
一歩、また一歩と歩き出した米子を見て私が首を傾げていると、すぐ隣からテンコの声が聞こえてきた。
「これが芹様の力だ。昨日、米子が芹様に礼をしたろ? その時の力を使ったんだよ」
「そうです。でなければこんな都合良く息子が会社から出てきているはずもありません。見た所、あの二人の縁は今にも切れてしまいそうです」
「えっ!?」
神使というのはそんな事が分かるのかと感心していると、前方から拓海の驚く声が聞こえてきた。