「おおい、
その呼びかけに、
見れば
十子は「おー」と軽いノリで出迎えて……
「っておいおいおいおい!」
慌てて、千尋らの方へ駆けていく。
酷い有様だったからだ。
千尋……
片足をぴょこぴょことさせているところから、足に酷いケガがあることがうかがえる。
さらに服の脇腹あたりが血で真っ赤であり、腕をだらんとさげている様子から、そこにも小さくない傷があるのだろうことがわかった。
ミヤビの方も巫女装束が血まみれ、斬りあとまみれ。
千尋よりいくぶんか余裕がありそうな足取りではあるものの、やはりふらついている。
いつも眠そうに細められている黄金の瞳も、今は『いつもの』ではなく、もう実際に体力が限界近くて、眠くて仕方がない──といった風情だ。
「どうしたんだよその怪我ァ!?」
どすどす走りながら問いかければ、千尋が「いや……」と考え込むようにしてから、
「どうしたというか、戦ってきたのだが」
「まさか戦って怪我したのか!?」
「戦いは普通、怪我をするものであろう」
「いや、まあ、そりゃそうなんだが……」
ここまで登るのに傷一つ負っていなかった、疲れている様子さえ見せなかったこの二人が満身創痍である。
今までの旅路において、もちろん千尋が傷を負うことはあった。だが、それもここまでの深手はなかった。
ということは、この二人をして、ここまで追い込まれる強敵であったのだろう。
「……で、勝ったんだよな?」
「まぁな」
そう述べる千尋はどこか嬉し気だし、ミヤビもまた『ドヤァ』みたいに鼻を鳴らした。
並大抵の敵に勝ってもここまで嬉しそうにはしない二人だ。だからこそ十子としては、今さら不安とか心配がわいてくるわけだが……
「それで十子殿の方も無傷のようだな。安心したぞ」
「ああ、まあな」
「先の暗殺者の死体はどうした?」
「……いや、生きてるが」
「生かしたのか。なぜ?」
「え、なぜ? なぜって言われてもな……ええと、登攀だっていうからさ、縄を持ってきてたんだ。それで縛って転がしてある」
「……そうか」
「……」
「まあ、十子殿がそれで良いなら、良かろう」
千尋が微笑む。
十子は、
「……殺した方がいいってのは、わかってるんだ。でもさ」
「何も言わずとも大丈夫だ。そもそも、人を生かす理由をたずねる方が、人としておかしい。十子殿の方が、俺よりまっとうだよ」
「そうは言ってもな」
「ああ、そうだった。『
「……その、部屋から出て、また番人が復活してたりはしねぇのか?」
「なるほど。一度倒した者が部屋から出た程度で復活するというのはどういうことかわからんが……そうなっていたら、またアレと戦えるということだろう? 歓迎だな」
「その満身創痍で?」
「アレはまぁ、惜しいところはあるが、いい敵ではあった──などと言うのは、少し
「……お前がそこまで言うってことは、二度と戦うべきじゃない相手だってことだな。よし、行こう。少しでも早く行こう」
十子が急ぎ、進む。
千尋は笑って、
「ああそうだ、十子殿、一応、はっきり聞いておこうか。勝負には勝ったのだな?」
「? だから、まあなって……『勝った』よ。武器をぶっ壊して、頭叩いて気絶さして、そんでもって縄でふん縛ったんだから、こいつはどこをどう見ても異論をはさむ余地のねぇ勝利だろ?」
「そうか。勝利した上で相手を生かしたのだな」
「だからそうだってば」
「では──道理をわきまえず再び命を狙う者として処理しようか」
「は?」
千尋が剣を抜きざま、十子の頭上に突きを放った。
瞬間、『かつん』という音がする。
それは……
千尋の刃で、薄焼き陶器の球が、打ち返される音。
「な、」
精妙な力加減で打ち返された陶器の球体は割れることなく、投擲手へと戻っていく。
投擲手、すなわち……
気絶し、縛られたフリをし、地をゆっくり這うように動きながら、十子を射程に捉えるや否や毒液入り球を投げつけていた、
石榑は驚きの顔のまま、戻ってきた陶器の球を見る。
それは石榑のそばの床に落ち、砕けた。
瞬間、濃い紫色の煙が噴き出す。
千尋は袖で鼻と口を覆い、紫色の煙の向こうに目をやった。
「忍びの煙玉がな、ああいうように作られる。見ればいかにも毒といった様子。距離はまあ……あの者、『己が死しても』という様子でもなし。これぐらい離れていれば問題なかろう」
「……あの女……!」
十子が歯を食いしばり、後方の石榑を振り返る。
煙の中からは、おぞましき悲鳴が轟いていた。
この世のモノとは思えない悲鳴──つまり、そんな悲鳴をあげるようなシロモノを、十子に向かって投げたのだ。
「敗北し命を救われたなら、次会う時はまた殺し合いになるにせよ、その場は潔く敗走すべきだろうに。……というのも、俺の価値観の押し付けか? ……まァ何にせよ、『刺客』の相手はつまらんと言った理由、ミヤビ殿にもわかっていただけただろうか。刺客というのはな、『ああいう手合い』なのだ。手段を選ばぬのはいいが、美学も信義もない」
「そもそも刺客以外との殺し合いが面白い、みたいな価値観、わたくしからは理解できませんが」
「しかし先ほどの戦いは心が躍ったであろう? まぁ、あの影、傷を負ってからの動きは『情けない』の一言であり、落胆させてしまったやもしれんが……」
「なんで
「天女教は強さを奨励していると聞くが、別に強いことや戦いそのものに喜びはないのか?」
「……ですから、天女教が強さを奨励するのは、あくまでも男性を守る手段としてですってば。戦闘狂を育てようっていう話じゃないんですよ」
千尋とミヤビの会話は、十子の耳には、あまりにも和やかな、この塔の中で幾度となく繰り返された気安い会話のようにしか聞こえなかった。
二人の言葉の背後には、恐ろしい、この世のものとは思えない叫び声が響き続けている。
その声が「ミヤビ、ミヤビィィイ!」と名を呼んでいるというのに、当のミヤビは興味さえ向けない。
……千尋もミヤビも、十子より年下のはずだが。
こういう時、十子は実感させられるのだ。
『生きている世界が違うんだな』と。
……しばしして、濃い紫の煙が晴れる。
少し前から静かになっていた石榑の姿が現れた。
瞬間、千尋が手で十子の視界を、体でミヤビの視界を塞ぐ。
「見ない方がよかろう」
十子は、
「…………ああ」
それだけ絞り出すのに、精一杯だった。
一方でミヤビは、最後まで興味がなさそうに、きびすを返す。
「用事が終わったなら行きますよ。こんな狭苦しい場所でなくとも、話はできるでしょう」
「まだ何か話すことはあったか?」
「千尋、お前はわたくしをムカつかせる天才かもしれません」
「あまり褒めてくれるな」
「褒めてませんが」
「いやな、人の心の琴線に触れる挑発能力というのは、これが存外立ち会いの中で役立つもので──」
「そういう話をしたいのではありません」
「そうか」
「本当にムカつく! ……少しぐらい名残惜しいとかないんですか? 『玉』をとって塔を出たら、お別れなんですが?」
「しかし、今生の別れではあるまいよ」
「お前はそういうヤツでした。では、わたくしは十子岩斬と募る話をしますので」
「そうか。なら少し待とう」
「…………ムカつく!」
脛でも蹴っ飛ばしそうな剣幕だが、ミヤビはどれほどムカついても、千尋にそういったことをしなかった。
そういったこと──女同士であれば普通にするような、軽い、戯れみたいなことを、しなかった。
もちろんミヤビの性能は世の女と比べても飛びぬけているから、普段からそういう気遣いが染みついていると言われればそうかもしれないが……
十子は、笑う。
(もう完全に、千尋の性別はバレてんだろうな)
それでも、まだ、確定させない。
本当に、『塔』の中にいるうちは、確定させないらしい。
つまりこれが、『信義』というやつであり、『美学』というやつであり……
千尋が『敵』に求める心構え、なのだろう。
「……人斬りってのは、因果なモンだなぁ」
思わず、つぶやいた。
だって、信義と美学を持つ者こそ『敵』と定めるその生き方は、ようするに、『気に入った、尊敬できる人を殺して回る』ということではないか。
その果てにあるのが孤独。その過程にあるのも、尊敬よりはきっと、嫌悪の方が多い。
それでもやめられない。
これを因果な生き様と言わずに、どう表現すればいいのか?
「急にどうした、十子殿?」
千尋が首をかしげる。
十子はさらに何か言おうかと思ったが……
「いや。……なんでもねぇよ。
「そうか」
「なぁ、千尋。はっきり言っとくぜ」
「なんだ?」
「お前の剣を打ってやる」
「……」
「遊ばねぇ。最高の剣だ。向き合いたくなかったモンに向き合って打つ、最高の剣だ。……打ってやる。こいつは『いつか』じゃねぇぞ。今すぐにでも、打ちたいんだ」
「……そうか」
千尋の反応は薄くも思える。
だが、目を閉じてうなずく様子は、万感の想いがあり、されどそれを軽々に口にしてはならぬと己を戒めている気配があった。
剣客と刀鍛冶の関係。
刀鍛冶は剣客の生きざまに口を出さない。
剣客は、刀鍛冶の完成品を見ずに評価をしない。
距離感。すなわち、人間関係。
「では、戻るか」
それでも千尋は、想いを込めて、それだけは口にしたかったのだろう。
だから、十子も応じる。
「ああ、戻るか。──天野の里に」
かくして、二人の次の目的地が、決まった。