「…………」
「なんで
「先ほど、とてつもない敵がいました」
「なるほど」
後ろの方で
なお、ひそひそという声ではあるが、千尋に聞かせるつもりのようで、声量は別に抑えられていない。
千尋は笑いながら振り返った。
「十子殿はなんでもお見通しなのだなぁ。まぁ、付き合いも長いし、以心伝心というやつか」
そこで十子、
「い、いや、お見通しってことはねぇけどさぁ!?」
なぜか照れてるような、しかし嬉しそうな十子である。
その横にいたミヤビが、眠たげな、しかしこの塔での付き合いのお陰でじゃっかんの不機嫌さを秘めていることがわかる顔でをした。
「千尋がわかりやすいだけです。わたくしだってわかりますから」
「そうか、俺はわかりやすいか」
「ええ。誰でもわかります。十子
不自然に二回繰り返したあと、金髪をなびかせるような早い歩調で千尋を追い抜き、ミヤビは部屋の奥へ向かった。
そこには『いかにも』というような箱がある。
(人ならざるモノどもの棲む異郷にありし
罠だといけないので自分が開けようか、と申し出るかなと思ったが、ミヤビの行動は迅速であった。
すでに青い光が漏れている箱を開ければ、煙が噴き出して──ということはなく、漏れる光がさらに増すだけであった。
光はしばしミヤビの
片手につかんだそれを、ミヤビが突き出して示す。
「天罰の塔最上階の『
それとほぼ同時、千尋の右手側に青い渦が出現する。
地面についておらず空間に浮かんだその渦、高さは十子の背より少し高く、横幅は一人なら苦もなく入れそうなほどである。
「たぶんそれ、『入口に戻るための穴』ですね」
「……面妖よな」
そうとしか言えない、本当の『不思議』が真横に出現し、千尋は悩むようなそぶりを見せた。
十子が楽し気に口を開く。
「今、『この穴を出すような相手とどう戦おうか』って考えてたろ」
「……いやはや、よくよく当てるものだ」
「まぁ、付き合いが長いから、な!」
そうして十子が見る先はミヤビである。
ミヤビは普段から眠そうに細めている金色の目をますます細めて「ムカつく」と声を発した。
千尋の知らないところで、何か、ミヤビと十子の格付け戦みたいなものが静かに始まっている様子である。
ここに入るまではそれなりに仲の良かった様子なのだが、いったい急にどうしたのだろうと思い、考えていると……
『これか?』と思う理由に思い至る。
「十子殿とミヤビ殿は、『玉』の所持者を巡って水面下で争っているのか」
十子とミヤビが同時に「は?」と声を発した。
違うらしい。
千尋はごほんと咳ばらいをして、
「そういうことではなかったのか。……いやしかし、これは困った問題ではあるぞ。人は三人、玉は一つ。欲する者が複数人いたとしたら、奪い合いが始まってしまうな」
「あれは『それも楽しそうだ』という顔ですよね」
「そうだな……」
先ほどまで水面下でなんらかの争いをしている様子であったミヤビと十子、今度は仲良さげにひそひそ話している。
女同士の距離感というのか、どういうタイミングで寄り添い、どういうタイミングでにらみ合うのかは、千尋には難しい問題のようだった。
「一応表明しておくとな、俺はいらんぞ」
「あたしもなぁ。戦ったのはお前らだし。出しゃばりはしねぇよ。素材としては興味あるが」
「では、わたくしが受け取りましょう」
ミヤビはそう述べると、玉を握ったまま、千尋に近づいてくる。
そして、うやうやしく、両手を重ねた上に玉を乗せて、千尋に差し出した。
「そして、これを、わたくしからお前に
「いらんが」
「
「別に俺はミヤビ殿に仕えているわけではなし」
「申し遅れました」
そこでミヤビは居住まいを正し、雰囲気を作る。
少し背筋を伸ばしただけ。少し視線を遠くへやっただけ。少し立ち方を変えただけ。
だというのに、もとより輝かんばかりだった容貌に、神聖な光が降り注ぐようだった。
服は穴と裂かれたあとだらけ、体は傷だらけ、血もまだにじんでいるというのに、その姿は神々しい。
「わたくし、天女教総大主教の天女。その名を
「……」
「こうして人前に姿をさらすこと、ほとんどなきゆえ、姿を知らぬ無礼は咎めず、許しましょう。さぁ、千尋。天女からの授け物です。拝領なさい」
「まぁ、いらんが」
「天女だって言ってんですけど」
「俺も同じことを繰り返すようだがな、俺はミヤビ殿に仕えてはおらんのだ。それが、天宮売命たらいうのでも変わらん」
「……」
「相手が誰であろうと、呑めぬものは、呑めんのだ」
「では、ともに塔を戦った者として、別れる前の
「ああ、それならもらおう」
「…………面倒くさいやつ!」
十子が千尋のやや後方で腕組しながら『わかるよ』みたいにうなずいた。
千尋は玉をもらって袖口にしまい、
「面倒だ面倒だと俺のことを評価するがな、いきなり『天女です、受け取れ』などという回りくどいことをするほうが面倒であろうに。最初から『あげたいから受け取ってくれ』と一言、天女の名乗りをせずに渡せば、それで済んだ話ではあるぞ」
「すごい、常識にいなさすぎる生き物の発言で、どうしたらいいかわからない。……すいません、ウズメ大陸の政治情勢とか、誰か教えてくれませんか? 天女教ってわたくしの認識だと、大陸政治を差配して、多くの大名領地から年貢をもらう集団だったはずなんですけど……」
「合ってるよ」と十子が笑いながら太鼓判を押す。
「その天女を前になんですかこの、近所のお嬢ちゃんみたいな対応。もしかしてわたくし、いじめられているのでしょうか」
「『名』は『名』でしかない」
千尋の言葉に、ミヤビが首をかしげる。
それで伝わると思っていたのか、あるいは伝えなくともいいと思っていたのか、もしくはうっかり口から出てしまっただけなのか……
千尋は己の言葉の意味を、口に出したあとで考えるような時間をかけてから、また口を開いた。
「肩書はな、社会での栄達を望むか、社会での安寧を望む者にしか響かんのだよ。だから俺は、天女と言われても、『それはそれは、ご立派な肩書をお持ちで。まぁ、俺とは関係ないようだが』ぐらいにしか感じられなくてなァ」
「神の末裔なんですが」
「末裔だろうが今まさに神だろうが、そんな、血統だの立場よりも、もっと大事なことを先に知ってしまったのでな」
「それはなんですか?」
「ミヤビ殿がともに戦える御仁だということだ」
「……」
「いやまぁ、立場というのはな、うん、わかる。それにむやみに反発する気もない。法に従うし、人に従うし、問題を起こす気も、本当はないのだ。けれどなぁ、立場というのは、うまく呑みこめん。それよりも、『ともに戦った』という事実の方が、俺には大事なのだ。偉いだけの者と、ともに戦った者とでは……ともに戦った者の方が、大事なのだ」
「…………」
「天女のために戦えと言われてもできんだろうが、ミヤビ殿が力を求めれば、貸そう。まぁ、ある程度は、だがな」
「じゃあわたくしの下で働きなさい」
「それは『ある程度』を超える」
「本当にムカつく」
ミヤビがぷくーっと頬をふくらませる。
千尋は笑う。
「何か困りごとがあれば言うといい。まぁ、ミヤビ殿には、俺に頼るまでもなく、頼れる味方がいるのであろうが」
「……本当にこの人、いつもこうなんですか?」
ミヤビの視線に、十子がうなずいた。
深い、深い、うなずきだった。
ミヤビはじとーっと千尋へ視線を戻す。
「……では、同じように、何か困りごとがあれば、その玉を持って──ああ、そうだ。ちょっと返してください」
千尋が袖口から出した玉を渡す。
受け取ったミヤビは、それを宙に放り投げて──
宙でつかみ、改めて、片方を千尋へ差し出し、
「この片方を差し上げます」
「ふむ、斬り口が荒いが、わざとだな?」
「………………いやこんな
「それは少し修業が足りんなぁ」
「ムカつく! ……とにかく、この片方を持つか、持たせるかして、わたくしを頼りなさい。その半玉を持った者をわたくしが一度だけ助けるとします」
「
「また会いましょう千尋。天使として出迎えてあげてもいいですよ」
「そいつは御免被るが、この俺に『弱音を吐かせる』ような舞台を整えて出迎えてくれるならば、期待する」
「本当にこいつ……」
ミヤビがため息をつき、
「十子岩斬、つらくなったらいつでもわたくしに寄こしなさい。こちらで世話をしてあげますから」
十子は笑い、
「そんな日はこねぇな。もともと世話してるわけでもねぇからよ」
「そうですか」
女どものやりとりは言葉少なかったが、分かり合った者同士の親しさがあった。
そういうわけで──
塔の攻略が、完了した。