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第94話 夢か現か

千尋ちひろ、やっぱりともに来ませんか」


 それじゃあこれで、と挨拶をするたびに『やっぱり一緒に来ない?』と言ってぐだぐだする、みたいなことを五回ほど繰り返したあと、ミヤビと別れた。


「名残惜しむにもほどがあるだろ!!!」


 というのは十子とおこの発言である。

 でっかい声なので完全に聞かせる目的で叫んでいた。ミヤビも振り返って口パクで『ムカつく』と告げてから去っていった。

 十子とミヤビ、仲が良いのか悪いのか、千尋にはわからない間柄である。


 二人に戻った千尋と十子、『塔』そばにいくつもある簡易宿泊所に来ていた。

 千尋は大けがを負っている。これを治療するためには落ち着ける場所が必要なのだ。


 戦いに来る場所なので治療をする場所がそれなりにある。

 ようするに、『塔に一度入ったら出られない』というのは、塔のことをあまり知らぬ者の思い込みであり、おそらく情報収集を怠る競争相手を減らすためにあえてそう思い込むように仕組んでいる誰かがいるのであろう。

 だが千尋は男である。しかもそれを隠しているので、下手に治療所にその身柄をあずけるわけにもいかず、治療は本人でする。十子も、手伝いはするのだけれど、あまり触れないし、服をはだけようものなら目を閉じてしまうので、あまり役立たない。


 簡易宿泊所で足裏やわき腹などの治療を終え、服を新しいものに替える。

 服というのは高いので、汚れようが破けようが洗濯したり縫ったりして再利用するのが一般的だ。特に、旅の者なぞ歩いていれば服は汚れるのだから、しまいには服が古びたぼろきれみたいになるのが当たり前である。

 けれど十子、千尋用の巫女装束を何着も持ち歩き、都度新しいのを着せようとする。


(……『この世界の男の扱い』か)


 確かに千尋も、若い娘さんがぼろぼろの身なりだと、『もっといいものを着てはくれないか』と哀れな気持ちになってしまうことがある。

 十子の『服を何着も用意する』というのは、そういうたぐいの気遣い、つまるところ、十子の心の健康のためのこと、なのだろう。


 というわけで納得して着せ替えられているわけだが、着替え中に『表で見張ってくる』と言って出ていくのは、『そこまで気にしなくてもいいのだがなぁ』という気持ちになってしまう。

 特に今回は十子も命がけの戦いを経験したはずだ。疲れているだろうに、休む前に治療、身を清めさせる、服を替えさせる、などのことをこなすのだ。


 周囲からの扱いが本人の自覚を変える──というような言説を千尋は聞いたことがある。それは幻影であり、本人が己を見つめ続け、確固たる態度を崩さなければ、世間がどうこちらを見てもその心根までは変わらないと、千尋は思っていた。

 だが、このせかいでこうまで『お姫様扱い』をされてしまうと、『姫のごとく』ふるまわなくてはならないかなぁ、という迷いも生まれる。


 などと『この世界の男』に悩むことがありつつ、簡易宿泊所には一泊する。


 ……その夜。


 千尋は、夢を見た。


 白い空間。

 上下も左右もわからぬ場所。


 その中で千尋は、座っていた。

 眠っていたはずが、気づけばあぐらをかいており……


 目の前には、黒い髪の、白い肌の、あまりにも美しく妖艶なる女。

 天女が、いた。


「似とらんなぁ」


 思い出すのはミヤビのことだ。

 当代天女・天宮売命あめのみやびのみこと


 天女の血縁にいるはずだが、目の前の女とは似てもにつかない。

 あるいは、まだ幼い彼女が成長すれば、こういうふうになるのだろうか?


 千尋は想像してみたが、うまく、『こうなる』成長先を思い描けなかった。


「そもそも髪色も違うしなァ。よもや、あなたは、あのちまたで伝説に残る『天女』とは別口なのか?」


 天女は微笑み、口を開く。

 ただし、千尋の質問に答えるためではなかった。


「この世界で生き、しばらくの時が流れましたね」


 千尋も答えを期待していなかったので、「おう」とすんなり話に乗っかる。


「あなたの活躍は、わたくしを悦ばせるものでした。……『弱さ』を求めた者は、あなたのみではない。しかし、この世界の男があまりに弱いのに、『こんなはずではなかった』『もう、許してほしい』と嘆き、わたくしに縋りつく者も多い」

「まぁ、気持ちは理解できる。本当に、笑ってしまうほど弱いからなァ、この世界の男は。女が強いというのみならず、男も確かに、弱い」

「……その『弱い男』の肉体でなお、あなたは、何も、悔いない」

「おうよ。楽しく生きさせてもらっておる。もしも『天女教』に属して祈ればそなたに礼が述べられるという話であれば、ミヤビ殿の誘いに乗るのもやぶさかではないぐらいだ」

「ふふ。わたくしへの、礼拝ならば、間に合っておりますよ。あなたがあなたのまま生きること。それが、わたくしへの捧げ物なのです。あなたの生きる姿こそ、わたくしにとって最上の愉しみにして、悦びなのです。……強く生きてください。わたくしは、あなたの三歩後ろから、あなたの姿を見ております」

「そう言ってもらえて安心した。これからも戦い、斬り、殺すであろう。構わんのだな?」

「女に意見をうかがって遠慮するなどと、そのようなことはなさらないで。男性は、勝手でなければならないのです。勝手を通す力があってこそ、わたくしの理想のお方ですゆえ」

「そうか。では、勝手にする」

「……良い生を見せていただいている、ささやかなお礼をいたしましょう」

「強くしようという話なら、結構だが」

「ご安心を。そのような興覚めなことはいたしません。……ささやかな、予言を授けましょう」

「ふむ?」


 天女が厳かに居住まいを正す。


 するとどうだろう、先ほどは『まったく共通点がない』と思われたミヤビと目の前の天女だが、そうして神聖な雰囲気を醸し出すと、不思議と似たところがあるように思われた。


「もうじき、あなたは全力で剣をふるえるようになるでしょう」

「……」

「今、あなたは、手の中にある十子岩斬の習作に、遠慮・・をしていますね? 剣が壊れてもいいならば、その身でもやりようがあった。しかし、刀鍛冶の目の前で、剣を犠牲にするような技を振るうことを遠慮していた」

「……まぁ、そういう場面がなかったとは言えんな」


 この世界の刀、重く、丈夫である。

 千尋の手では、ただ振るだけでも大変だ。

 そしてこの世界の女、神力しんりきなる摩訶不思議な力をまとい、その身を甲冑のごとくしている。

 所持する神力の量によってその硬さにはばらつきがあるものの、たいてい、全力で斬っても皮膚にさえ刃が立たない。


 全力で振っても──

 男の、腕力・・で振っても、皮膚にさえ、刃が立たない。

 だが、技を用いれば話は別である。

 もっとも、そうして技を用いて威力を増してしまうと、この刀では耐えきれない。

 ゆえに、確かに、遠慮していた。


「……スイとの戦いでな、めちゃくちゃにやってしまった時だ。十子殿がな、砕かれた刀を見る目が、なんとも悲しそうだった。それから、気を付けている。まあ、本人に言えば否定するであろうがな」

「優しいお方」

「当然の気遣いだ」

「ですが、あなたの優しさと気遣いが、十子岩斬の念を空へ届かせました。ゆえに、念を受け取った者としての予言です。もうじき──」


 ……声が、姿が、遠ざかっていく。


 天女が言葉を途中で止めて、仕方なさそうに微笑んだ。


「──あまり眠らないお方でしたわね」


 話し込んでしまいました、という声は果たして、勝手にこちらの頭で補完したものか、それとも実際にしゃべったのか。

 千尋の意識は『天』から離れていき……

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