目覚めた
床に敷かれた粗末な
確かに物盗りなどを警戒しなければいけない宿だ。寝床は外よりマシだが、安全性は人通りのない山中などの方がマシかもしれない。
そのような中で……
千尋は、十子が、目の前に正座しているのを見つけた。
目を閉じている。その姿は寝ているというより、何かを念じているかのようだった。
あまりにも熱心に祈っており、その祈りが頭の先から細く伸びて、天のどこかへ立ち上っていくのが見えるかのよう……
否。
実際に立ち上り、その念は、空へと届いているのだろう。
──十子
天女の言葉を思い出す。
十子は、念じている。何かを、誓願している。
千尋がしばらく、その様子を見ていると……
十子が、ゆっくりと目を開いた。
「話がある」
真剣な、顔だった。
……最初。
千尋が思い出すのは、最初に十子の姿を見た時だ。
剣を求めて『殺人刀ばかり打つ変わり者の刀匠』のもとへと足を運んだ。
近隣の者に聞いて向かってみれば、それは里から離れた場所、やや高い丘の上にある粗末な
十子岩斬。
天野の里の十子にして、天野の里における最高の刀鍛冶に贈られる称号、『岩斬』を若くして襲名している天才。
その天才の技量は、庵の外に突き立てられたあまたの刀でわかった。
人殺ししか考えていないような、剣。
これならば、と期待した。
これだけ人を殺すために鋼を打ち続けているならば、その技量、きっと『男の身で女を斬る』という奇跡にも届き得ると、そう判断した。
……鋼を打つ音が、耳に届く。
それはきっと幻聴ではなく、『塔』の周辺で、鍛冶師どもが、塔へと挑む者の装備を調整・修理している音なのであろう。
だが、その音のお陰で、千尋は思い出していた。
初めて会った時の、十子の顔。
血反吐を吐くがごとく鋼を打つ刀匠であった。
己の身を幾度も幾度も殴るかのように、鋼を打つ刀匠であった。
その刀匠の刀造り、千尋から見れば、『罰』であった。
過去に償いきれないほどの罪を犯した者として、己を罰するために鋼を叩いているような様子。
炉の熱さの目の前で、汗を流し、鋼を叩き、しかし、当人はどんどん、冷えて固まっていくような、様子──
だが、今の十子の顔は。
「お前の刀を、打つ」
その視線だけで、炉に白熱の炎が灯るがごとく、熱い。
「先ごろにも言われたが」
「これは、あの時に語ったような軽い言葉じゃねぇ。浮かされて口から溢れるモンじゃなく、考えた上でのモンだ」
「……炎がついたか、十子殿」
「ああ。腑抜けてた。恐れてた。努力してるフリしてた。……
「……」
「あとは、気持ちだけだった。……情けないことに、それに気付いたのは最近でよ。そんでもって、気持ちが出来たのは、つい昨日だ」
「そうか」
「こいつは誓いでも、目標でもねぇ。『決定』だ。──お前の刀を打つ。目の前に炉がありゃ、今すぐにでも打てそうなほど、打てる確信がある。だから、打つ。あたしは絶対に、打つだろう」
「……いやはや」
千尋がそこで笑ったのは、十子の熱にあてられてのことだった。
若い、と十子を指して思ったこと、幾度もある。
そして若さというのは不可能を不可能のまま成す力だと、千尋は思うのだ。
……若者が、技量や気持ち、状況が整わないまま、目標に進む時。
たいていは、失敗する。事前の準備が足りないからだ。
だが、ごくまれに──
事前の準備で足りず、見切りで出発してしまっても。
行っている最中に成長して、足りないぶんを埋め、成功を手にすることがある。
今の十子は、そういう、成長の時を一瞬あとに控えた若者であった。
「と、くれば『頼む』と一言だけ告げるのが、
「……ああ」
「だが、そうもいかんぞ。何せこの俺は、あなたに依頼できるほどの金がない」
「いらねぇ」
「そうはいかん。それこそ
「いらねぇよ。あたしがお前にくれてやるのは、習作だ」
「ほう?」
「……お前の刀は、最高傑作になるだろう。だが、十年後もまだ最高傑作のままってぇわけじゃねぇ」
「……」
「これからどんどん伸びていく十子岩斬の第一歩。いずれ、恐らく死の間際に至る完成品のための、習作の一つ。……だから、いらねぇよ。それとも、今まで道中で使ってたあたしの習作、金を払って買った記憶でもあるのか?」
「…………いやはや。これは、何も反論できんな」
「ま、そういうわけだ。習作なんざお客さんには渡せねえが──これまで一緒に旅をしてきたよしみで、どうか、受け取ってくれや」
「完敗だ。では、こう返事をするか。……あなたがそこまで言うなら、受け取ってやろう」
「おう」
かくして二人は
『習作』を打つため。
天野の里、十子岩切の庵。そこが、次の目標となった。