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第95話 一念

 目覚めた宗田そうだ千尋ちひろは、そこが簡易宿泊所であることを確認する。

 床に敷かれた粗末なわら布団。木の板で仕切られた部屋。


 十子とおこがしつこく『一日休んだらすぐ出るからな』と繰り返していたままの宿だ。

 確かに物盗りなどを警戒しなければいけない宿だ。寝床は外よりマシだが、安全性は人通りのない山中などの方がマシかもしれない。


 そのような中で……


 千尋は、十子が、目の前に正座しているのを見つけた。


 目を閉じている。その姿は寝ているというより、何かを念じているかのようだった。

 あまりにも熱心に祈っており、その祈りが頭の先から細く伸びて、天のどこかへ立ち上っていくのが見えるかのよう……


 否。


 実際に立ち上り、その念は、空へと届いているのだろう。


 ──十子岩斬いわきりの念を空へ届かせました。


 天女の言葉を思い出す。

 十子は、念じている。何かを、誓願している。


 千尋がしばらく、その様子を見ていると……


 十子が、ゆっくりと目を開いた。


「話がある」


 真剣な、顔だった。


 ……最初。

 千尋が思い出すのは、最初に十子の姿を見た時だ。


 剣を求めて『殺人刀ばかり打つ変わり者の刀匠』のもとへと足を運んだ。

 近隣の者に聞いて向かってみれば、それは里から離れた場所、やや高い丘の上にある粗末ないおりであった。


 十子岩斬。


 天野の里の十子にして、天野の里における最高の刀鍛冶に贈られる称号、『岩斬』を若くして襲名している天才。

 その天才の技量は、庵の外に突き立てられたあまたの刀でわかった。


 人殺ししか考えていないような、剣。


 これならば、と期待した。

 これだけ人を殺すために鋼を打ち続けているならば、その技量、きっと『男の身で女を斬る』という奇跡にも届き得ると、そう判断した。


 ……鋼を打つ音が、耳に届く。


 それはきっと幻聴ではなく、『塔』の周辺で、鍛冶師どもが、塔へと挑む者の装備を調整・修理している音なのであろう。


 だが、その音のお陰で、千尋は思い出していた。


 初めて会った時の、十子の顔。


 血反吐を吐くがごとく鋼を打つ刀匠であった。

 己の身を幾度も幾度も殴るかのように、鋼を打つ刀匠であった。


 その刀匠の刀造り、千尋から見れば、『罰』であった。

 過去に償いきれないほどの罪を犯した者として、己を罰するために鋼を叩いているような様子。


 炉の熱さの目の前で、汗を流し、鋼を叩き、しかし、当人はどんどん、冷えて固まっていくような、様子──


 だが、今の十子の顔は。


「お前の刀を、打つ」


 その視線だけで、炉に白熱の炎が灯るがごとく、熱い。


「先ごろにも言われたが」

「これは、あの時に語ったような軽い言葉じゃねぇ。浮かされて口から溢れるモンじゃなく、考えた上でのモンだ」

「……炎がついたか、十子殿」

「ああ。腑抜けてた。恐れてた。努力してるフリしてた。……乖離かいりに、異形刀を玩具おもちゃ扱いされてな。目が覚めたよ。確かに玩具だった。技術と鋼を使った暇つぶしの遊びだった。……けどな。そのお陰で、あたしの技術はとっくにたたき上げられてたんだよ」

「……」

「あとは、気持ちだけだった。……情けないことに、それに気付いたのは最近でよ。そんでもって、気持ちが出来たのは、つい昨日だ」

「そうか」

「こいつは誓いでも、目標でもねぇ。『決定』だ。──お前の刀を打つ。目の前に炉がありゃ、今すぐにでも打てそうなほど、打てる確信がある。だから、打つ。あたしは絶対に、打つだろう」

「……いやはや」


 千尋がそこで笑ったのは、十子の熱にあてられてのことだった。


 若い、と十子を指して思ったこと、幾度もある。

 そして若さというのは不可能を不可能のまま成す力だと、千尋は思うのだ。


 ……若者が、技量や気持ち、状況が整わないまま、目標に進む時。

 たいていは、失敗する。事前の準備が足りないからだ。


 だが、ごくまれに──


 事前の準備で足りず、見切りで出発してしまっても。

 行っている最中に成長して、足りないぶんを埋め、成功を手にすることがある。


 今の十子は、そういう、成長の時を一瞬あとに控えた若者であった。


「と、くれば『頼む』と一言だけ告げるのが、いきであろうなァ」

「……ああ」

「だが、そうもいかんぞ。何せこの俺は、あなたに依頼できるほどの金がない」

「いらねぇ」

「そうはいかん。それこそ遊郭ゆうかくで働いてでも工面するべきだ」

「いらねぇよ。あたしがお前にくれてやるのは、習作だ」

「ほう?」

「……お前の刀は、最高傑作になるだろう。だが、十年後もまだ最高傑作のままってぇわけじゃねぇ」

「……」

「これからどんどん伸びていく十子岩斬の第一歩。いずれ、恐らく死の間際に至る完成品のための、習作の一つ。……だから、いらねぇよ。それとも、今まで道中で使ってたあたしの習作、金を払って買った記憶でもあるのか?」

「…………いやはや。これは、何も反論できんな」

「ま、そういうわけだ。習作なんざお客さんには渡せねえが──これまで一緒に旅をしてきたよしみで、どうか、受け取ってくれや」

「完敗だ。では、こう返事をするか。……あなたがそこまで言うなら、受け取ってやろう」

「おう」


 かくして二人は帰路・・に就く。


『習作』を打つため。

 天野の里、十子岩切の庵。そこが、次の目標となった。

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