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五章 天野の里、炎上

第97話 かつて通った岐路にて

 宗田そうだ千尋ちひろは、自覚させられていた。


(俺もまだまだ、ガキよなァ)


 刀。


 当代最高の刀鍛冶であろう天野あまの十子とおこ岩斬いわきりが、ついに千尋の刀を打つのだ。

 その果てに仕上がる刀……


 楽しみで仕方がない。


 道中。


 二人の周囲にある景色がいよいよ見覚えのあるものになりつつあった。


 昼日中の陽光の下を進む二人の周囲はしかし、出発前とは微細に違う。

 もう少しで稲の刈り入れの時であろう。だんだんと気温が下がり始めると、黄金色に輝く稲穂を、ばっさばっさと鎌で刈っていく様子が目に浮かぶようであった。


 天野の里にも立派な水田があったから、きっと今ごろは、こうべを垂れ始めた稲穂を前に、今年の収穫はいつごろにするか、なんていう目利きが年寄りの間で行われている最中ではあるまいか?


 目もくらむような黄金の景色の中、いよいよ、刀ができるのだ。


 千尋は好事家ではない。刀を言い訳にして人を斬るようなこともしない。

 だが、十子岩斬が打つ『自分のための刀』を前に、わくわくした気持ちを抑えきれるほど、心が死んでもいなかった。


「なぁ、十子殿、どのような刀を打つのか、聞いてもいいか?」


 千尋がそう述べると、十子が苦笑と微笑ましい者を見るのの中間ぐらいの目つきをする。


 というのも、


「わかんねぇってばよ」


 この質問、道中でされたのが、初めてではないのだ。

 最初は数日おき、しかし、こうして天野の里が近づいてくると、毎日。

 いよいよ天野の里へ続く街道に入って歩きは始めれば、日に二度というように、回数が増えている。


 そのたび十子はこのように答えるのだ。

 こうして答える時に浮かべるなんとも言えない表情は、『何度も同じことを言っているのになあ』という気持ちと、『あの(行動はともかく性格は)落ち着きがあって冷静な千尋が、見たまま子供のように何度も聞くほど楽しみにしてくれているんだなあ』という気持ちが混じったものであった。


 十子は、今までと同じように、千尋に補足をする。


「実際に鋼を見てみないことには、どういうモンが作れるかはわからねぇ。『頭の中で描いたものを形にするために鋼を選ぶ』ってんじゃなくって、『鋼が一番いい具合になる形にする』って方針だからな。……あたしにもわかんねぇよ」

「そうか……」

「けどまあ」


 と、ここからは、天野の里が近づくまで考えて、そうして出た新情報である。

 千尋の目がわかりやすく輝くのに、十子はニヤリと笑って、


「きっと、真っ直ぐな刀になる気がするなぁ」

「直刀ということか?」

「ああいや、そういう形状じゃなくって……ハスバやサグメの刀みたいな変形機能とか、そういうのはねぇ……心根が真っ直ぐな刀になる、気がする。あるいは、刃のない鋼の棒になるんじゃねぇかとさえ思うよ」

「ふーむ……」

「今のは比喩っつうか、まぁ、実際の形は本当に鋼を見るまでわかんねぇけどよ。お前の刀だ。ひねくれようがねぇやな」

「謎が増えたな」

「ま、そうだな。あたしも本当に完成形はわからねぇが……あたしは、近づいてる気がする。どんどん、熱が高まってる。こいつを早く炎にして炉にくべてぇ」

「意気軒昂。うむ、何よりだ。何よりだが……」

「?」

「そうまでやる気を出されると、俺としては、ますます完成が楽しみで仕方ないぞ!」

「はははは」


 十子は、思うのだ。

 思えば長く二人で旅をしてきた。

 最初のころは、『乖離かいりを斬る可能性』として千尋を利用してやるつもりだったことは、認める。

 この男なら、乖離をぶち壊してくれるかもしれない──そういう期待に基づくものだ。

 だから、『乖離を斬るための刀』を打つ。そういう目的でいた。


 だが、今は……


(こいつに打つ刀はきっと、乖離も斬れるものになるだろう)


 そういう確信がある。


 今までが『乖離のための刀』を打つ気でいたとすれば、今は、『千尋のための刀を打つ』というつもりでいる。

 それは紛れもなく十子の中に起こった大きな変化だった。


 ……思えば、『乖離』を打った時も、目の前の使い手を見て、そのために打った気がする。

 それは殺人刀になってしまった。穏やかだった幼馴染は人斬りになってしまった。

 人のためを思って打った刀で、その刀を与えられた人が人斬りになる──


『殺人刀を打つ、十子岩斬』


 だが、


(乖離、確かにてめぇの言う通りだよ。刀鍛冶が剣を打って渡す。人斬りはそれを受け取る。……あたしらの関係はきっと、そこで終わりなんだ。刀がどう使われようが、そこに責任を負うのは、お門違いの、大きなお世話、ってやつなんだろうな)


 もちろん、刀のせいにして人を斬る者はいるだろう。

 だが、それはまったくもって真実ではないのだ。人を斬るのは、人の心、魂であり、刀が刀の意思で斬るわけではない。

 ……そんな当たり前のことを受け入れるのにかなりの時間をかけてしまった。ようするに、『刀の意思』なんてものが人の人生を変えてしまうと思うほど、若く、夢見がちだった、ということなのだろう。


(迷いも曇りもねぇや。ああ、早く打ちてぇな)


「十子殿、もうじき、例の宿が見えてくるぞ」


 例の宿。


 天野の里から出たあと初めて泊まった宿である。

 ……千尋が酔っ払いと女将の会話を仲裁した果て、酔っ払いに追い掛け回されるきっかけとなった宿でもある。


「今日はそこで一泊して、翌日、一気に天野の里まで行くか」


 十子の気持ちは逸っていた。

 だが、同時に落ち着いてもいた。


 かつて、異形刀を打っていた時。『鉄は熱いうちに打て』とばかりに、頭の中に閃いたアイデアを一刻も早く形にしないといけないという焦りが常にあった。

 そうしないとアイデアがするりと指先から抜けてどこかへ飛んで消えてしまうのではないかと思っていたのだ。……確かに、そうしてアイデアが失われた結果、形にならなかった異形刀もある。それら『形にならなかったもの』の中に乖離を殺せるものがあったのではないかと、眠る時に思い出しては、悔しさのあまりほぞを噛んだ日々もあった。


 しかし、今は、最高の刀を打てる確信が、道中もずっと、消えない。


 信心はさほどでもない十子ではあるが、『天女のまなざし』──ようするに、『運命』を感じていた。


「十子殿」

「なんだよ?」

「どうにも、穏やかな旅はここまでらしい。見ろ」


 千尋の声にゆるんでいた顔を引き締めれば、視線の先……


 天野の里に通じる道にある宿の前で、女将と誰かが揉めている。


 酒を出す場所である。しかも、天野の里、ようするに刀鍛冶の里に向かう者が利用する場所なので、武人……剣客から荒くれの破落戸ごろつきまで、血気に逸りがちな者が利用する。

 ゆえにこそケンカは珍しくもない、が。


 アレは。


「……武装した集団が宿を囲んで布陣している」

「…………どういうことだ?」


 明らかに酔客のトラブルとは一線を画している。


 巫女装束の上に胴当て、籠手をつけた集団。

 揃いの服、揃いの装備。持っている武器が槍であり、左の腰には打ち刀を提げている。

 見れば弓を持った者までいるのだから、あれは紛れもなく『軍隊』であろう。


 穏やかな状況ではない。


 だが、



「いい加減におし! こっちはねぇ! 御天道様に顔向けできないような商売はしてないんだよ!」



 威勢のいい声が聞こえる。

 あの宿の女将のものだ。


 言い争うような声が続く。

 宿を取り囲む軍の注目が、宿の中へと向く。


 千尋は、


「さて十子殿、一応聞こうか。あのケンカ・・・、仲裁に向かっても構わんか?」


 すでに刀の鯉口に手をかけて、たずねた。


 十子は──


「許可を求めるようになって偉いぞ。で、『ダメだ』っつったらどうする?」

「『すまん、行く』と言うかなァ」

「だろうと思ったよ。……あーあ、事を構えるには面倒な相手っぽいがなぁ」


 そう述べながら、金槌を手にする。


 武装した女の集団である。

 しかも明らかに天女教直属の勢力である。

 面倒なことこの上なく、強壮でもあるのだろう。


 だが、それでも……


 千尋を止めても無駄なこと。

 千尋を止める方が面倒なこと。


 それから、あんな連中に千尋はやられないことを、十子はすでに知っている。


「千尋。許す。ぶちかませ」


「応よ。さぁ──人斬りが参るぞ」


 刀を抜き、駆けていく。

 十子もまた、その背に続いた。

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