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第218話 セプトラとキトゥン

「ようこそお越しくださいました、セプトラ様」


 びっくりするほど。

 あっさりと。

 あるいは、最初から『そう』すべきだったように。


 キトゥンが『セプトラだけど、支配人に会わせて欲しい』と述べたところ、温泉宿の者の態度は急変した。

 ただし、『いきなり何言ってんだこいつ』という急変ではなかった。『ある条件が達成されたならば、そうする』の『ある条件』が達成された──そういう様子だったのだ。


 思わず怯えてしまうぐらいにすんなりと事は進み、温泉宿で一番大きな広間に通された。

 広間からさらに進んで庭園のある場所へと招かれると、どことなくウズメ大陸風を感じさせる調度品の奥、黄金があしらわれた東屋ガゼボの中で、支配人が待っていた。


 席にも着かずに出迎えた支配人が深々とキトゥンに礼をし、こう名乗る。


「あなたの忠実なるしもべ、フォクシィ・ノームでございます」


 フォクシィ・ノーム。

 現ノーム公爵。


 ……この支配人はノーム公その人だった。

 キトゥンはまったく気付いてなかったので驚いて固まったが、その横で十子とおこが腕組をして「やっぱりか」と言っていた。


 キトゥンはバッと顔を十子へ向け、小声で怒鳴る。


「ねぇちょっと! 気付いてたなら教えてよ!」

「いや気付いてはなかったけどさあ、このお出迎えで察したんだよ」

「……ねえもしかして、チヒロとカイリはとっくに気付いてたってこと!?」

「だろうな」

「どういうカンしてんのよあの人斬りども!」


「カンではございませんよ」


 正体を現したノーム公は、まだ三十路あたりの女性だというのに、それよりももっと歳を重ねた老婆のような落ち着きと、ついつい気が緩んでしまうような優しさを細い目ににじませていた。

 キトゥンも「カンじゃないって、ヒントなんかなかったじゃない……」と負け惜しみのように声を発してしまう。公爵という権力に怯えるこの普通の少女をして悪態をつかせてしまうほど、ノーム公の雰囲気は柔らかかった。


「あの二人はサラマンダー領で自分たちの正体がバレていた経験から、『商人』が一部の者に彼ら・・のことを触れ回っているのを知っていたのです。そうして、触れ回られている『一部の者』が、本当にごく一部──公爵か王であると、それをわかっていたのですよ」

「でも! ……なんでノーム公が温泉宿の支配人なんかしてるの!?」

「確かに直接、宿を差配することはほとんどないとはいえ、ノーム領において温泉宿は基本的に貴族の経営するものです。ここは、わたくしが資金を出し、運営をする宿の一つであった。それだけの話なのですよ」

「うううう……! じゃあ、なんで、『セプトラ』って名乗った途端、アタシを受け入れたのよ!?」

「我らは指導者を求めておりますので」


 そこで十子が舌打ちをする。


「だろうなって感じだ。てめぇの領地のことぐらい、てめぇで決めろよ」

「立って話すには長い話になりそうです。お茶と茶菓子を用意させていただいておりますので、どうぞ、こちらへ」


 公爵自らの招きを受けて、キトゥンと十子は、まだ自分たちが立っていたことを思い出させられた。

 そして次には、ここに腰を落ち着けて──逃げにくい場所に行ってもいいものか、という、今さらながらの警戒だった。


 ……本当に今さらだ。すでにここは、宿の奥。周囲にはノーム公の正体を知る仲居たちがいて、十子の目には、仲居服に隠すように武器を帯びていることも映っていた。

 とっくにここは敵地である──まあ、ノーム公の態度から『敵』ではなさそうではあるけれど、信頼する根拠もないので、警戒と恐怖はある。


 とはいえ、こういう時にぐだぐだしないのが、家を飛び出してから得た十子の美点だ。

 ずかずかと歩いて、乱暴に席に着く。


 それを見たキトゥンはまだ立ち尽くしていたが、十子に「来い」と言われると、警戒心の強い子猫そのままの動きで、ようやく席へと着いた。

 二人を待ってからノーム公も席に着き、お茶とお菓子が運ばれてくる。


 それらが揃うのを待たず、十子が声を発した。


「で? どういう言い訳をしてくれるんだ?」

「ちょっとトーコ!」


 キトゥンが諫めるように声を発するが、構う十子ではなかった。

 こういう『どうしようもない、覚悟を決めるしかない場』でささっと覚悟を決める癖が十子にはある。……ある、というか、身に着けざるを得なかった、というか。遊郭領地紙園あたりのころはもっと、おたおたして、どうしようもない状況で『どうしよう、どうしよう』と焦っていたような気もするが、遠い昔の話だ。


「ちょっと聞いただけでもわかるよ。この領地にゃ『方針』が必要だ。まさか、キトゥン──セプトラ姫を待って、それに全部委ねちまおう、なんていうことを考えてんじゃねぇだろうな」

「ええ、そのように考えておりますよ」

「…………おい」


 ノーム公フォクシィの回答は、十子の表情を険しくするのに充分すぎるものだった。

 その剣呑さに当てられても、フォクシィの穏やかな微笑が変わることはない。


「この領地は、王家に従うのが慣例でございました」

「だから、今その王家がヤバそうだから、ここで決めにゃならんっつう状況なんだろうが!」

「慣例を変えることの難しさについて、お話ししましょう」

「……」

「慣例とは習慣なのです。習慣とは惰性により行われていることなのです。これを変えるには、すさまじく強い意思が必要となります。……しかし、我らは言ってしまえば、『意思なきことこそが慣例』。何かを強烈に決定しなければ指導者足り得ない状況にも関わらず、何かを強烈に決定すると、指導者として認められないという状況にあるのです」

「んんん? ……どういうことだ?」

「ようするにこの領地の者は、『王の意見でなければ納得しない』」

「公爵領なんだろ!?」

「しかし王国のいち領地でもあります」


 とはいえアンダイン王国はかなり公爵の自治権が強い場所であり、この国の実態は『王国を盟主として同盟を結ぶ公爵国』ぐらいの感じになる。

 実際にゆるやかな協力関係にあるものの、公爵と王との意見がぶつかった場合には、公爵の意見が通るということも多かった。


 サラマンダー領などはそういった歴史的背景を根拠としてかなり大きな動きをアンダイン王の許可なくやったりもしていたし、シルフ領もウズメ大陸の玄関口であることから多くの『現場判断』があった。


 だがしかし──

 否、だからこそ。


「アンダイン王国が出来た当初、我らは王家の家臣でありました。しかし時を経てそれぞれの持つ力が増大すると、家として興り、そのまま公爵家となった。それぞれが治める範囲は広範に渡るようになり、現場で判断せねばならぬことも多かったため、そのまま法的自主権を得るに至った」

「……だからなんだよ」

「アンダイン王国が四つに割れないために、王家は強くある必要があったのです。王家と公爵家と公爵家と公爵家ではいけなかった。王家と公爵家、それと、一つの公爵家が二つ、という力関係でなければ、この国家は国家としてまとまらなかった。二つの家の分の力が王家には必要であり、我らノームの祖は、そのために王家に絶対の忠誠を誓ったのです」

「……わかんねぇな、それは過去のことだろ」

「ですが、過去の上に現在があります」

「……」

「特に『民意』と『伝統』『歴史』は不可分です。多くの者は、通例の中を惰性で生きている。何かを決断し、それまでの暮らしを変えようという決断をすべての人に求めるのは不可能なのです。……だからこそ我らには、『新しい王』がいる」

「難しい話だ」

「ですが、何も理解出来ないというわけではなさそうですね」

「……なんとなくはわかるよ。『なんか難しい話してんな』っていうのが大体のところだがよ。過去と現在が無関係じゃねぇなのはわかるし、多くのヤツは、自分のケツに火がついてても居心地のいい椅子なら座り続けるモンだ。馴染んだ道具ってのは変えにくい。どうにかこうにかぶっ壊れるまで使い続けようとしちまう。それが怪我の原因になってもな」

「あなたはだいぶ『理解出来る』方です。けれど、多くの人はそうではない。そもそも、こうして『理屈』を説く段階になってしまえば、それは失敗なのです。新しいことをするならば、勢いで、考える間もなく人々を行動させねばならない」

「そのために必要なのが『新しい王』か」

「左様にございます」

「つってもなあ、当人が……」


 十子が視線を向ける先で、キトゥンは『よくわからない』という顔をしていた。

 シリアスな話をしているのはわかるので真剣な顔を作っているのだが、頭の周囲にはいっぱいの『?』が浮かんでいる、そういう様子だ。


 ノーム公フォクシィは微笑んでいる。


「最近の王は『力』を増しております。アンダイン王国で恐らく最強の軍隊を持つサラマンダー公が、いくつかの土地を明け渡しながら、機をうかがわねばならなかったほどに。サラマンダー公は本来であれば、王家単体を単独で滅ぼし得る武力を持っているはずなのです。それが、土地を差し出した。兵器の工廠などというものを作らせるために──」


「ちょ、ちょっと待って、待って。アタシは……アタシは、難しい話が本当にわかんないのよ! つまり、何!? アンタ……じゃなくて、あなたは何が目的で、アタシに何をさせたいの!?」


「まず、王の意向を受けたと思われる『商人』が、このノーム領の土地を奪おうとしております」

「それはなんとなくわかるわ……」

「わたくしとしては、これを止めたいと思っております。我らの土地が、工廠などにされるのは、反対という立場です」

「じゃあなんで止めないの?」

「『商人』が持ってくるのは『王家の指示』です。そしてこの土地の人が『王家の指示』に逆らうには、特別な何かが必要なのです」

「……」

「その『特別な何か』が、新しい王なのです」

「つまり、アタシは……何をするの?」

「わたくしの横に立ち、わたくしの言葉にうなずいていただければ、それで」

「傀儡じゃない!」

「そうですね」

「イヤよ!」

「では、どうなさいます?」


 キトゥンはそこで完全に止まった。

 フォクシィ・ノームの表情は変わらない。


「あなたはもはや、王になるしかない」

「……」

「ですがあなたは、王になっても、何をしていいかわからない」

「……だって、そんなの……」

「教育は受けたはずです。ですがあなたは、王になる才能がなかった」

「……しょうがないでしょ」

「ええ、仕方がない。能力がなくとも、ふさわしくなくとも、その時代に埋めるべき空白があり、そこを埋められる人材が一人しかいないのであれば、その『一人』はその空白に収まるしかないのですから」

「……」

「わかりやすく申し上げますね。『あなたは王になってどうなさいますか? どうしたらいいかわからないならば、わたくしにお任せください』」

「だから、それは傀儡で……」

「傀儡であることを望まないのであれば、自分の考えと自分の方針が必要です。わたくしは、あなたを操り権益を得ようという者ではありません。王になるしかないあなたを執事として補佐するつもりでおります」

「……」

「しかし、支えるべきあなたは、進むべき道がまったくわかっていない。だから、わたくしが隣で道をささやき、方向を示すしかないのです」

「そもそも、アタシは王になんかなりたくないんだって!」

「さすがに『王にならないのは不可能だ』と理解しているからこそ、本来の名を名乗ったものと思っておりますが」


 フォクシィの声に若干のあきれが含まれてしまったのは仕方のないことだった。

『馬鹿の考え休むに似たり』とは言うが、実際には違うのだ。馬鹿の考えは『戻る』。すでに前提としたことをいちいち覆そうとし、話を先に進めるべきところで、話を前に戻してしまう。

 前提を何度も見直したり、『この前提はいったん捨てて、もうちょっと頭を柔らかくして……』というのは、頭が良さそうに感じられるのかもしれない。けれど多くの者がかかわるような話し合いでいちいちこれをやるのは、自分一人で何もかもを考えて決めているつもりでいる愚か者のすることなのだ。


 キトゥンも言外に流れる雰囲気で自分がとてつもなく馬鹿なことをしているのはなんとなく察するところだった。

 それに、理解もしている。……ここには確かに決断して来た。決断して、セプトラと名乗った。だから、フォクシィ・ノームの語ることは正しいと思う。思うのに……


(こうやって反射的に、思ったことをそのまま言葉にするから、アタシは今まで失敗してきたのね……)


 王になんかなりたくない──これはキトゥンにとって真実なのだ。

 だがしかし、王になるしかない状況になっているのもわかる。その状況で、自分は『友誼に報いる』という考えのもと、セプトラを名乗ったのも、わかっている。

 わかっているのに、難しいことをいっぱい矢継ぎ早に言われると、イライラして、何もかもわからなくなって、頭に思い浮かんだことをそのまま口に出してしまう。


 キトゥンは、深呼吸した。


「難しい話は、わからない」

「……でしたら、」

「でも、傀儡になるのもイヤ。そもそも王になんかなりたくないっていうのは本当だし、今は……なるしかないんだろうなあって思ってるけど、それでも、誰かの意のままにされて、責任だけとらされるのは、イヤなの」

「……」

「だから、何か、聞かせてよ」

「……何をでしょう?」

「その、あ、あなたに協力したいって思えるような話を……」

「……」

「馬鹿なこと言ってると思ってるんでしょ!? わかってるわよ! 本当はもっと考えて、冷静に検討して決めるべきなのはわかってるの! っていうか、この状況になった時点でもう、検討とか以前の問題だってわかってんの! でも、アタシは……受け入れられないの! 受け入れたくないの! だってそうでしょう!? 知らなかったのよ! 自分の血筋のこと! いきなり知らされて、いきなり、お、お、王!? 王になる!? ありえないでしょ!?」

「……セプトラ様」

「だからせめて、納得……ううん、ええと……共感、させて」

「……」

「今の王様を倒したい気持ちが全然わかんないのよ! なんで倒さなきゃいけないの!? 何が起こるかとか難しい話はさっぱりわかんない! だから、倒したい気持ちにさせてよ! アンタはなんで、王様に逆らうの!? 理屈じゃなくて、気持ちを教えてよ!」


 ここまで理屈は語られてきた。

 なんかまずいらしいという雰囲気はわかった。

 だが、共感が出来ない。『大変なのね……』というのはわかるのだが、ピンとこない。

 キトゥンにとって重要なのは『感じ入ることが出来るかどうか』だ。愚かと言われようが、馬鹿だと言われようが、難しくて正しい理屈をいくら並べられても、それはどこまでいっても他人事にしか過ぎない。


 キトゥンが求めているのは、自分が王になるべき理由ではない。


 王になりたいと思える物語なのだ。


 フォクシィ・ノームはため息をついた。

 これまでキトゥンがどれほど愚かなことを述べてもつかなかったそのため息は、しかし、キトゥンに対する親しみの滲んだものだった。


「では、わたくしの個人的な思い出で恐縮ですが──現王と、我らとの話を少しだけ、お耳に入れましょう。……生まれてからずっと一緒に育ったこと。狂乱した前王を倒したこと。そして……現王が、前王のようになってしまったこと。すべてを。しかし先に、結論だけ申し上げましょう」


 ノーム公はメガネを置き、細い目を開いた。


「……わたくしが王を倒したい個人的な理由は、現王プリムナを救いたいからなのです。……いえ、あの王は……」


 そこでいい淀み……

 目を閉じて、深く息をついた。


「あの王の『中にいる者』は、もはや、プリムナではなく、別の何かなのかも、しれませんが」

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