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第219話 アンダイン王家のプリムナ

 アンダイン王プリムナ──


「お母様は変わってしまわれた」


 それがまだ、王ではなかった時代。

 サラマンダー公ドーベラもまだ公爵ではなく、シルフ公ラヴィニアも、そしてノーム公フォクシィもまた、公爵ではない、ただの貴族の娘だった。


 年齢が近い四人は家柄のこともあり、将来は強く連帯するようにとよく顔を合わせ、遊んだ。

 その関係性が育んだ絆は強く、四人はどこにも漏らせないような秘密の話をする間柄となっていた。


 ……かつて、彼女たちがまだ幼かったころ。

『秘密』といっても、大したことはなかった。……貴族界隈に漏れればそれなりのスキャンダルになる──たとえばとある伯爵の見事な髪がカツラであるだとか、裏でやんごとないお方に文句を言っているのを聞いてしまったとか、そういうものもあった。

 けれど彼女たちの話題の中心はお菓子のレシピだとか、『貴族が持つにはふさわしくないとっておきの宝物』だとか、そういうかわいらしいものをひそやかに明かし合うだけのものだった。


 ……けれど、彼女たちが十代も半ばになったころ、話題は政治へと変化していった。


「アンダイン王家には、『王はいずれ精霊になる』という言い伝えがあります。おばあ様も、そのまたおばあ様も、なんともなかった。けれど……精霊アンダインが、その魂をお母様の体に降ろされたとしか思えないことが、起こっている。……このままでは、アンダイン王国はめちゃくちゃになる」


 その当時、王宮にいれば嫌でもわかるぐらい、プリムナの母……当時の国王の治世が乱れ始めていた。


「では、どうする?」たずねるのはドーベラ。のちのサラマンダー公だ。「プリムナ、お前の物言いはいつも『このままじゃまずい』だの『どうしよう』だのと、はっきりしない。そんなことだから愚鈍だなんだと陰口を叩かれる。何かを成したいならば、まずは決断を告げろ。決断をしない者の意思を忖度してやるほど、私は優しくないぞ」


「おいおい」あきれたように目を細めるのは、のちのシルフ公ラヴィニアだった。「ドーベラちゃんはさー、ほんとに言葉がキツいんだわ。っていうか、行動もキツいんだわ。もうちょいふわふわ生きられない?」


「民の上に立つ者が決断をしなくてどうする。決断と責任こそが我らの役割だろう。高貴なる者の責務というのは、とる責任を選ぶ権利も含む。そして責任を選ぶには、自らで決断せねばならん。自明の理だ」

「にしたって物言いってもんがあるでしょ」

「物言いを選んで事実が変わるか?」

「事実は変わんなくても言葉を聞いた人のやる気が変わるって話をしてんだわ」


 ドーベラとラヴィニアとは性格的に合わないので、たびたびこうして口論めいたことが起きた。

 また、『水賊を相手に最前線で戦うことが伝統であるシルフ家』と『軍事を担い兵の指揮を直接執ることが伝統のサラマンダー家』である二人は、ともに武断の人である。口喧嘩が面倒になるとどちらともなく戦いを始めたがるのには、当時のフォクシィ・ノームはいつも胃を痛めていた。


「二人とも」


 プリムナは青い瞳を向けた。

 普段はぼんやりした、いかにもいいところのお嬢様という様子のふわふわした瞳は、この時、悲壮な決意を込めて二人を見ていた。


「私は、お母様を倒そうと思っている」


「よろしい、従おう」


 ドーベラ・サラマンダーは好戦的に笑う。


「さすがに乗れないんだわ」


 ラヴィニア・シルフは額を押さえて、


「現王の治世の乱れは、こうやって宮廷にいるあたしらしかわかんない段階なわけ。支持が集まらんでしょ。だいたい──あたしらだって、プリムナの危機感を共有出来てないんだわ。何をそんなに焦ってるわけ? 現王の治世が乱れ始めているっていうのはまあ、そういう雰囲気だよ。確かにね。でも、『じゃあ、具体的には、革命後に王が革命を起こされた理由を人々に語る時、何をどう言うのか』っていうのが抜けてるんだわ。これじゃあ、乗れない。民意も従わない」


 この当時、じわじわと宮廷に嫌な雰囲気は漂っていた。

 貴族家の改易は始まっていたし、土地の接収を始めとして、いくらかの理不尽もあり、王の顔色をうかがい、その勘気を被らないように気を付ける空気が確かにあった。


 だがそれはまだ『平和な世の中で調子に乗り過ぎた貴族への見せしめ』としてうなずけるものだった。

 今すぐ革命! となるのは、少なくとも当時のラヴィニアからすれば、性急すぎるというか、いくつかの段階がすっ飛んでいるように思われた。


 だが、プリムナは──愚鈍で純真で、何かの激しい行動を自分で起こさないはずの彼女は、この件については意見を曲げなかった。


「お母様には、精霊が降りられている。……私にはわかる。お救いしないと」


 プリムナが『革命を起こしたがる理由』として語るのは、いつもこの言葉だった。

 だが共感も実感も出来ない。

 ……共感も実感も出来ないものではあったが、普段大人しいプリムナが、関係性が悪くないはずの母親に対し、ここまで苛烈な手段をとろうとするので、『何かあるのは確実なんだろうな』というのは、わかった。


 わかったが……


「あたしはやっぱ乗れない。けど、邪魔もしない。協力は……まあ、表立っては出来ないと言っておこう」


「何にせよ行動は我々が家督をとってからがよかろう」ドーベラが語る。その目はすでに『戦』を見ているようだった。「現王は最近の色狂いを見ても、確かに正気ではないような感じが見受けられる。だが、そこの風見兎の言うように、多くの者にとってはまだまだ『少しいらいらしているのかな』と思う範疇だ。これは王を相手にした戦である。戦ならば自軍の安全は確保せねばならん。ゆえに、我らが家督をとってからだ。なんの後ろ盾もない小娘が王を殺しても、ただの暴走として処刑される。だが、貴族家を背負う者の決断ならば、軽々には処刑されない」


 その時のプリムナは歯を食いしばって苦々しい顔をしていた。

 それでは遅すぎる、と言いたげだ。


 だがドーベラ・サラマンダーの言葉を否定する材料もなかった。

 プリムナはなんらかの危機感を強く覚えているのだが、それは彼女の感覚──精霊アンダインの直系たるアンダイン王家の生まれだから覚えるものであるようだった。

 プリムナはこれをうまく言語化し、他者に伝えることが不可能だったのだ。


 一人ででもやるか──と、この時彼女が思ったかどうかは、定かではないけれど、そばで聞いていたフォクシィは、『これじゃあ、一人でもやりかねない』とはらはらさせられていた。


 だが、


「……わかった。ドーベラが家督をとったら、行動する」


 結局は、折れた。

 プリムナは能力が高い方ではなく、サラマンダー家、もっと言ってしまえばドーベラの武力は絶対に必要だというのを理解していたのだろう。


 かくして、革命が約束され……

 ドーベラが王の罪状をでっちあげ、王のもとへ軍隊を率いて乗り込み、プリムナとともにこれを討った。


 その時には王の暴走が誰の目にも見える形であり、支持を得やすかったというのもあるだろう。

 あまりにも多くの貴族家を改易──潰しすぎた王は、貴族たちからしても目障りだったのだ。


 そうしてプリムナが王に即位する。

 前王から政権を奪った新王の政権に、周囲は期待した。


 ……ところが、プリムナの政治は、前王の方針をより苛烈にしたようなものだった。

 その時になるともう、シルフ公ラヴィニアも、サラマンダー公ドーベラも、ノーム公となったフォクシィも、そばに近寄らせてもらえなくなっていた。


 一体何が起きたのか、誰にもわからない。

 あのプリムナが、頼りにしていたドーベラまで近寄らせない。しかも、問題視していた前王の政治を踏襲するような動きまでしている……


 この時になって、フォクシィ・ノームの頭に、プリムナの言葉がリフレインしていた。


『お母様には、精霊が降りられている。……私にはわかる』


 この性格の急変。まさしく何かが──たとえば精霊が降りて、その肉体を乗っ取ったとしか思えなかった。

 だが、そんなこと、本当にあるのか? 王家には、確かに『王はずっと生きている』──違う肉体に同じ記憶を宿しているというような伝承もあるが、そんなことが、本当に?


 わからない。何もかもが。明確な情報も、対処すべき問題も、わからない。気持ちが悪くて、座りが悪い。


 そうして変わってしまったプリムナは、『商人』をそばに置くようになった。

 プリムナ変質のはっきりした原因をどこかに求めたかったフォクシィは、この『商人』が何か悪しきささやきをしたのだろうと思おうとしたこともある。


 だが、どうにも、違う。


『商人』はプリムナとなんらかの理由で友誼を深め、協力関係にある。

 だが『商人』がそそのかしたという感じではないのだ。目的を同じくする二人が出会って同志になった、という方が、感覚としては近い。


 気持ちが悪い。


 フォクシィはプリムナがすっかり別な生き物になってしまったような感覚を覚えた。

『お母様には、精霊が降りられている。……私にはわかる』


 当時のプリムナは、その後にこう続けた。


『お救いしないと』


 ……確かに、親しい人の体が何かよくわからないモノに乗っ取られているとすれば、それは、そう思う。


 だが、わからないのだ。


 フォクシィ・ノームが『プリムナ王を倒したいと思う理由』と、『倒すぞと断固とした態度をとれないこと』の理由が、同時にここにある。


 確かに変わってしまった。精霊が降りている──何かに体を乗っ取られているのかもしれない。

 でも、本当にそうなのか? 精霊が降りて体が乗っ取られるなんていうこと、本当にあるのか?


 調べても調べても本当のところがわからない。何せ、見た目にはなんの変化もないのだ。王になって性格が変わってしまった──と言われれば、そういうこともあるのかもな、と思えるのだ。


 だからフォクシィは、『何も出来なかった』。


 あらゆる問題に、何も出来ない。何かを断固として成すほどのモチベーションはわかず、ただただ、よくわからない問題がぼんやりと周囲に偏在するような、気持ちの悪さ、わかりにくさだけを覚えている。


 ……だからこそ、フォクシィその人も、この領地も、『新しい王』を求めている。


 思い切りたいのだ。

 自分だけではとても、思い切れないのだ。


『何か』理由を欲して、『新しい王』の指示を待っている。

 それがフォクシィと、ノーム領が置かれている、誰も旗振り役がおらず、何が問題なのかもわかりにくい、ただただイヤな雰囲気だけが蔓延している理由の、ほとんどすべてだった。

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