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第220話 とりうる最悪の手段

「──医療とは、何か?」


 宗田そうだ千尋ちひろ乖離かいりの目の前にいるのは、重苦しい雰囲気で机を囲み、何か塊でも吐き出すような口調で話をする医療組の者たちだった。


 医療組合である。


 ノーム領、特に領都ノーマンは、終末医療の分野を発展させてきた。

 もともと温泉がよく湧くこの土地には余生をここで過ごそうという者も多く、最初、そういった者たちへの対応は温泉宿がやってきた。

 だがしかし、温泉宿も温泉宿で『宿に来て死にたい』という願望を叶えられても困る(死者が出まくる温泉宿とか縁起が悪すぎる)ので、そういった年寄りたちをどうにか生きて帰す、または宿で突然死などされないよう、医療の分野を発展させる必要性にかられた。

 そうして形成されていったのが医療組合であり、この組合はもちろん人命を第一に考えているのだが、それはそれとしてどうしても死者が出やすい分野であるにも事実であるから、『苦しみのない最期』を提供するという方針にも力を入れていた。


 その医療組合の、白衣を着た女ども、薄暗い部屋で重々しく、こんなことを話している。


「運命という巨大なものに対し、我々が出来ることはあまりにも少ない。だがしかし、天命、寿命といった概念を前にしてもなおあきらめず、成すべきことを成し続けること──精霊への叛逆こそが、医療の本質ではないだろうか」

「なるほど、もっともだ。だがしかし、我々は寿命という概念を受け入れ、せめてこれを苦しみなく迎えていただくこともまた、使命と言えるだろう──詰まるところ、人は、いずれ、必ず、死ぬ。これは仕方のないことだ。そして、生きる時間は延ばすばかりが良いこととも、言えないだろう。……医師として問題のある発言なのは、自覚している。だがしかし、生きることが即ち苦しみになってしまうのであれば、それは、終わらせる決断をすることも、重要なのではないだろうか」

「苦しみとは、誰の苦しみなのだろう? 我々が寄り添うべきは、一体、誰なのだろう? 患者か、それとも、患者の家族か。……末期にある患者が治療の停止を望み、しかし家族が治療の続行を望んだ場合、我々はどちらの意見を重んじるべきなのか……」

「理想と現実のはざまに我々はおり、これから先もきっと、悩みが尽きることはないのだろう。……そう、我々は、こういう場所での戦いに慣れている。他の組合に任せてはおけない」

「であれば、我々が『王家御用達』に選ばれるべきなのだろう」

「であるならば、医療とは、何か──医療というものを志す我々が、医療というものをないがしろにせぬために、一体どこまでのことが許されるかを、考えるべきだろう」

「人命、これはないがしろにされるべきではない」

「怪我や病気につながることもまた、許されるべきではない」

「であるならば、我々が成すべきこと、それは……」


「「「「「温泉宿の壁に落書きをしよう」」」」」


「どうしてそうなった」


 つい、という感じで乖離がつぶやく。


 そう、この薄暗い部屋でいい大人たちが集まって何を話し合っていたかと言えば、それは、他の組合の足をどう引っ張るかという相談なのだった。


 医療組合もまた当然のように『温泉』『農業』と『王家御用達』を争う立場であり、彼女らにも彼女らの信念があってこの問題に取り組んでいる。

 なのでド真面目な顔で子供のいたずらみたいな結論に至っても、彼女らはやっぱりド真面目なのだ。


 千尋がどういう顔をしていいかわからなくて、とりあえず笑いながら語る。


「あーその、話し合いが終わったならば少しいいだろうか」


 女たちが顔の前で手を組むような姿勢のまま、千尋に視線をやった。

 白衣姿の真面目な顔をした女たちの視線が一斉に向くというのは、なかなかどうして、奇妙な迫力がある。


「俺らはいったい、なぜ、組合事務所に入れられて、そなたらの話し合いを見せられている?」


 そこで生真面目な顔をした女どもの中でも、いっとう生真面目な顔をした、眉の太い女が答えた。


「我らは王家御用達になるべく活動をしたい。だがしかし、他者の足を引っ張るということについて、うまく思いつくことが出来ない。なぜならば、我らにとって、他者とは医療の対象──すなわち、救うべき相手なのだ。これの足を引っ張るなどと、想像したこともなかった」

「良いことではないか」

「だがしかし、このたびの事案は『足を引っ張ること』が他者を救うことになる。そこで我々は外部から、どのようにして他者の足を引っ張ればいいかという意見を求め、温泉宿の方にアドバイザーの派遣を打診した」

「…………温泉宿の足も引っ張るつもりなのでは?」

「そうだ。だがしかし、我々は知っている。よく知らないことを半可通ぶって行えば、それは重大な事故につながる──医療の素人が、素人の判断で己の体調を決めてはならぬよう、専門外のことには慎重に当たるべきだ」

「……まぁ、それはそうだろうが」

「そこでだ。我々は熟慮に熟慮を重ね、議論を重ね、アドバイザーを求めることにした。だが、ただアドバイザーを求めて、その言いなりになるばかりでいいのか? そもそも、『なんとかしてください』とお願いするというのは、努力の放棄であり、不誠実な振る舞いなのではないか? ──医療とは、何か。我々は常にこのことについて考えている。だが、医療の第一歩は、『行うこと』だ。人命というものを扱うのだから、軽々に挑戦し失敗するといったことは許されない。だがしかし、傷を水で洗い流し清潔な布を当てておくということぐらいなら、誰でも挑戦すべきであるように、いたずらもまた、程度問題はあろうが、まずは、考えて、一つぐらいの意見を──」


「話が長いな」

 乖離がつぶやいた。


 千尋が苦笑し、


「わかったわかった、ようするに『叩き台』を作っておったのだな?」


「そうだ。何かを行わなければ、その行いについての不足も過分も判断が出来ない。我々に失敗は許されないが、素人は失敗して覚えるべきだというのもまた、真実である。──医療とは何か? 我々がこの議題に向き合わなかった日はない。失敗が素人を育てる。だが、失敗が許されない。そういった現場で各々がより成長をするには、やはり『考えてみる』ことしかないのだ。実際に失敗が出来ないのであれば、頭の中で幾度も──」

「ちなみに先ほど出た『落書き』という案だが、すでに農業組合がやっておったし、やめさせたぞ」

「何!」


 そこで医療組合の女どもがざわめき始める。

 視線と声を交わし合い、また眉の太い女がつぶやいた。


「──医療とは、何か」

「その言葉から始まる発言が総じて長いので、俺としては要点を絞って欲しいところだが」

「我々の人生はこの命題について問いかけ続けるものであろう。この問題には一つの『これ』と定まった答えがない。時代によっては、体を切って血を流させることが治療につながると信じられていたことさえ、あった。あるいは、我々が心から信じて行っているものが、後世になれば『間違いであった』と断じられることも、あるのかもしれない。しかし」

「つまり新しい意見を出したいが何も思いつかないのか?」

「その通りだ」

「しかし俺は比較的温泉組合の所属なので、どのようないたずらも止めるべき立場にあるのだが……」

「何!」


 女どもがざわめき始めた。

 千尋はあきれたようにため息をつく。


「というかそなたら、農業も、温泉もそうだが、やり方が回りくどすぎる。代表者を出して殴り合わせればいいではないか。勝ったら王家御用達でよかろう」

「医療とは──」

「怪我をさせたくないと言いたいのであろうが、痛みという実感を伴ってさっさと処置せねば、傷口がいたずらに広がるだけ、という状態になっているように思えるがな。というより──この問題について、どいつもこいつも難しく考えすぎで、主題がぼやけていて、いらつく」

「では、どうする?」

「俺がちょっと行って、そなたらを争わせている者を斬って来よう」

「……」

「大体の問題はそれでは解決しないが、首謀者が明確な問題はそれで解決する。──ああ、そなたらは『そうしてくれ』と言う必要はないぞ。俺が勝手にやる」

「だが」

「この領地にも、変な形だが世話になった。世話になったが、全員が一丸となって話をややこしくしようとしているのを見せられるのは、あまり好ましくない。温泉宿の主人は俺たちにこの状態を見せて何かをさせたいらしいが、俺たちが出来る『何か』など『斬る』しかない。なのでもう、斬ることとする」


 理屈も感情も入り混じってめちゃくちゃに絡まった麻糸のようになったこの領地の状況。

 これを断つのは快刀しかありえない。


 多くの人たちが問題解決のための条件をあれこれつけ、迷い迷い慎重にやろうとしているのはわかるのだが、それはまあ難しい話を顔を突き合わせてするのが好きな人たちで勝手にやってもらって、人斬り的解決法としてはやはり、『斬る』になるのだ。


 乖離もうなずく。


「しばらくこの領地のグダつきを見せられてわかったことは、この領地の連中は誰もかれも『傷つきたくない』という気持ちが強すぎるということだ。あらゆる問題を、すべてに納得できる形で、大事な人も自分も傷つけずに解決したい──などと、そんな便利な手段があるものか。無い手段を求めて、うまくやってくれる誰かを求めているから、ぐだぐだぐだぐだ、何も始まらない。もう我らが始めてしまおうかという話には同意だ」


「いやァ、こんな気持ちで何かの問題を解決しようと思うのは初めてだな。見てていらつくので横からやってしまおうなどと。なかなかどうして、なかったぞ」


「あなたたちに、この領地の問題を解決する義理はないはずだ。どう見ても外国人だろう」


「義理で動くわけではない。そういう気分なのでそうするだけだ」


 千尋も乖離も、その領地の決まりは守る。

 殺人を手段の一つとして考えてはいるが、それは許されぬ行為であるともわかっているので、なるべく周囲に合わせようと思って行動する。


 だがしかし、どうにもこの問題、深堀りすればするほど、王家の尖兵として来ている『商人』が、三つの組合を争わせ、土地を得ようと暗躍しているようにしか思えない。

 そして千尋も乖離も『商人』を斬りにこの大陸にまで来ているので、『斬って解決すること』を迷う理由がないのだ。


 ……それでも。

 それでも、この領地の問題だ。自分たちが積極的に手出しするのは違うかなと思い、何もせず、ただただ温泉宿の支配人に言われるままに情報収集などしていたのだけれど……


「別に当事者でないが、ちょっと横から入って斬って帰ることは初めてではないしな」


 そもそも──


 遊郭ゆうかく領地紙園かみそので、金色こんじきの手助けをしたこともそうだった。

 百花繚乱ひゃっかりょうらんは当事者と言えば当事者だったが、雄一郎ゆういちろうにまつわる問題に巻き込まれた感も強い。

 自分で戦う理由があったのは『天女の塔』ぐらいではなかろうか?

 その後の天女教総本山での戦いもミヤビのお家騒動に巻き込まれただけだし、こうしてここに来ているのは『勝負に水を差した商人を殺すため』というのはそうなのだが、そのついでのようにシルフィアでは水賊の問題になぜかかかわることになった。サラマンダー領でも、組合とサラマンダー公の対決が本題であったように思う。


 そして、そのどれでも、千尋は別に、味方していた陣営に味方をする明確な理由はなかった。


 天女教総本山においては、ミヤビと貸し借りがあったのでミヤビの味方をしたが、別にサルタの勧誘に乗ってミヤビを斬っても良かった。そうしなかったのは、サルタが気に入らなかったから、というのが大きい。

 百花繚乱も別に雄一郎を捨ててもよかったし、紙園でも金色ではなく酒匂さかわの側についていた可能性も普通にあった。


 ……何より。


 最初、十子とおこの庵で、スイと斬り結ぶ必要性さえ、なかった。


 十子が『女を斬れる刀』を打てるという『明確な保証』はどこにもなかった。

 だから十子に乗せられてスイと戦う必要もなかった。


 ただ、信じたかったから、信じた。それのみだ。

 ……ただ、斬り結びたかったから、斬り結んだ。それのみ、なのだ。


「俺はどうにも、自分自身を説得出来かねることは、出来ないタチでなあ。いや、悪い癖だとは思うのだが。いかに社会正義を気にしてみたり、法を守ろうとしてみたりとやっても、最後は結局、斬りたいものを斬るのみだ」


 だから、と千尋は前置きして、


「もう斬ることにした。止めようとするならば、誰であろうが、邪魔者を斬る。なので、邪魔せんでくれ」


 混迷した状況を解決する手段は無数にある。

 その中で『斬る、殺す』という最も愚かな手段を選ぶ。


 それこそ、人斬り。


 そして千尋は、人斬りだった。


「で、問題はどうやって『商人』を釣り出すか、だが……」


 にっこりと笑う。

 ……この時、医師の女は、イヤな予感を覚えたと後に述懐している。


「ちょっと手伝ってくれ」


 ぽん、と腰の刀に手を置くという最悪の説得方法で、最高の笑顔を浮かべ、千尋は言う。

 断る選択肢などあろうはずもない。


 何せこいつらは人斬りだと、今、さんざんばらアピールされたばかりなのだから。

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