目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第221話 『物語』

「で、今の話には『あんたの願望』がねぇよな」


 キトゥンに乞われて『物語』を語ったノーム公へ、十子とおこが目を細めて問いかける。


 ノーム公の口から語られたのは、大スキャンダルなのだろう。

 前王を、今の王とサラマンダー公が協力して弑逆しいぎゃくしており、その話を聞いておきながらシルフ公は静観を決め込んだ──

 もっと正確に言えば、『表立っての協力』はしなかっただけで、裏側ではいろいろと手を回したのだろうな、と十子には思える。あのラヴィニア・シルフはいかにも子供っぽい見た目をしているが、かなりの曲者で食わせ物だという印象がある。裏工作得意そう、と、言ってしまえば所感にしか過ぎないが、そう思う。


 こういうスキャンダルをノーム公爵その人の口から語られたのは、なるほど『胸襟を開いている』と思うことが出来るだろう。

 だが、キトゥンから、『あたしが協力したくなる物語を聞かせて』と乞われて始めたにしては、明らかに欠けているものがあった。


 ノーム公自身の所感だ。


「『こういう事実があった』『新しい王を待っている』ってのはわかるよ。んで、その前の話で『王家に土地を持っていかれるのを止めたい』っていう意思があるのもわかったよ。だが、あんたの物語がどこにもねぇ。あんたはずっと傍観者で、するべきことを決めてはいるけど、したいことを決めてる様子が全然ねえんだ。そこがわかんねぇことには、物語にならねぇだろう」


 たとえば昔話であれば、それでもいい。


 よくある昔話の類型として、貴種流離譚というものがある。

 現代日本で言えば桃太郎もこの類型にあたるという説もある。


 川から流された、つまり捨てられた貴種が、心正しき庶民に拾われて育ち、己の貴種たる天命を知り、これを達成し、貴種としての世界に返り咲く物語。

 これならば主人公のモチベーションは『貴種として返り咲く』になるし、その間の行動はあくまでも手段でしかない。手段一つ一つに対するモチベーションは必要ない。あっても、『おじいさん、おばあさんへの恩を返す』『困っている人を助ける』などの、ぼんやりした善なるモチベーションがあればそれで説明を終えていい。


 だがしかし、これが『つい、味方したくなるような物語を語れ』というオーダーの場合、そんなふわふわした善意には協力したくはならないのだ。


 あるいはキトゥンとノーム公との立ち位置が近ければ、これでも良かったかもしれない。

 なるほど『乱れている前王が倒れたと思ったら、新しい王も乱れてしまった。どうすればいいかわからないから、支持出来る新しい指導者が欲しい』というのは、『そんな人がいたら、確かにいいな』と思ってしまうことではある。

 だがしかし、その『新しい指導者』として求められているのがキトゥンなので、そういう共感は成り立たない。


 ここでキトゥンが『どうにかしてほしいのね……わかったわ! アタシに任せなさい!』などと言う人物であればよかったのだが、残念ながらキトゥンは夢に夢見る少女でしかなく、重苦しい責任はむしろ負いたくないと思っており、そもそも自分が王族──前王の第七子であり、現王の妹であるという事実に全然納得していないのだ。


 キトゥンの自認は未だに『巻き込まれた一般人』である。

 そして十子は、心情としては、『今までまったく知らなかった出自のせいで大変なことに巻き込まれているキトゥン』に同情するところなのだ。まぁ、もうどうしようもねぇんだからさっさと決めて動け、というのも偽らざる本音なのだけれど。


「っていうか話が難しくてキトゥンがまた『?』って顔してやがるぞ」

「難しい話──だったでしょうか」


 フォクシィ・ノームの眼鏡の奥の目は困惑している。

 十子はテーブルに肘をついて「そりゃそうだろ」と鼻で笑った。もはや、目の前の公爵に敬意を払うつもりがない。


「あんたら難しいことを考えられる頭の持ち主が、『どうしていいかわからない』って話をされても、こっちはもっとどうしていいかわかんねぇんだよ。その話で『正義』と『悪』はなんだ? 『倒すべきわかりやすい敵』はなんだ? 共感させてぇんなら、『今の王は悪! こんな酷いことをしている! 許せない! ぶっ倒したいから力を貸してくれ!』ってまとめろ。頭でっかちの書いた舞台かってんだ。あたしらのおつむにゃ高尚すぎんだよ」

「しかしそれは、事実とあまりに異なる」

「嘘ぐらいつけよ。政治家だろうが」

「……」

「キトゥンをそそのかしてここに乗り込んだ時にゃあ、何か話が動くかと思った。腹ァ割って話してもらったら、あたしらがどうすべきか指針が見えるかと思った。だが、変わらねぇ。やるべきことはわかってるが、結局のところ、本人がやりたいことをわかってねぇ。だから話がぼやける。……あんたは民の慣例のせいにしたがな、この領地の状況は間違いなく、あんたの願望がねぇからだよ、ノーム公爵様」

「……」

「あんたはぼやけたお嬢様だ。んでもって、危機感ってのがねぇ。この領地の連中の代表だよ間違いなく。ケツに火が点いても慣れた椅子から立ち上がれねえんだ。『火ィ点いてるぞ!』って蹴っ飛ばされるのを待ってるだけってのは、『馬に乗った男性』を待ってる乙女クソガキと何が違う?」


 この世界の女性は通常、乗馬しない。

 なぜなら馬より強いし速いからだ。


 馬に乗った男性というのは、農耕馬ぐらいしかいないようなこの世界において、男性を乗せるために育てられた、気品があって大人しく美しい馬に乗った男性であり、それを待つ──ようするに『白馬の王子様幻想』である。


「……では、我々はどう行動するのがいいと? わたくしは、土地を譲り渡す気はないという意思だけは、明確にしております」

「そうなるとまずいから、そうすべきなのが理論上わかる、ってぇ話だろうが」

「それの何が、いけないのですか」

「まずい、まずくない、良い、悪い。……あのなあ、『やりたいこと』ってのは、ンなくだらねぇ境なんざ気にしねぇんだよ。正しさに基づいた行動の主格は『正しさ』であって『お前』じゃねぇ。あたしらが知りたいのは『お前』が何をしたいかだ」

「しかし、正しくない行動をするのは悪です」

「じゃああたしらに求めんなよ。あたしらは『悪』なんだから。この国の王家の御用商人ぶっ殺しに来てんだぞ。正義なわけねぇだろうが」

「……」

千尋ちひろと乖離のこと、知ってんだろ? 知ったうえで回りくどいことしてんだろ? あいつらに何をさせてえ?」

「……何か、刺激になれば良いと思っておりました。あなたたちは……悪ではない。シルフ領の話、サラマンダー領の話、何より『商人』がそちらの国で働いた狼藉の話を聞き、わたくしはそう判断しております」

「そうかい。見立て違いだ。あいつらは純然たる悪だぞ」

「……」

「まあ、あんたの認識に会わせて想像してやるんなら、こうか? 『なんだかんだ正義の振る舞いをしてきた異邦の者たちが、この領地の問題を見て心を痛めて、なんらかの力を貸してくれるのではないか』。こうか?」

「それに近いやもしれません」

「何も知らねぇんだな、あんたは本当に」

「あなたたちのことをですか?」

「いや、世の中のことをだ」

「……」

「お嬢様のまま大人になっちまったんだろ。これまで公爵っていう立場のお方を二人も見たがな、あんたは、シルフ公、サラマンダー公、両方の足元にも及ばねぇよ。ただの『ご令嬢』だ」


 十子は語りながら、自分もかなり『染まって』きたなと自分で笑ってしまっていた。

 公爵──それは立場の名である。そして、立場には必ず力が付随する。


 たとえばウズメ大陸の天女が、本人にはなんの実力もなくて、政治も出来なかったとして、一般人が逆らうのは愚かなことである。

 なぜなら天女は偉いからだ。偉い人には『コネクション』があり、それこそ『通例』によって従う人や組織がいる。

 一般市民はこれの勘気を被ることがないよう注意深く行動せねばならないし、ただの市民が権力者の機嫌を損ねれば、すぐさま権力者に付随する組織や人々がこれを処理する。権力者本人になんの力がなかったとしても、だ。


 だが十子はそれを理解しながら、『それがどうした』としか思えなかった。


 旅をした。


 戦いがあった。


 その時間が十子の中身を変えてしまった。


 引きこもっていたただの刀鍛冶は、常識知らずの男の代わりに常識を請け負うような役回りをさせられ、胃を痛め、大騒ぎし、その中で様々な人を見た。

 だが、この旅路で出会った権力者はみな、権力にふさわしい力を持っていた。


 天女ミヤビは幼いながらも強大な武力と人の域を超えた視点、そして冷静な考えを持っていた。支持できるかどうかはともかくとして、立派だと手放しに誉めることに迷いはない。

 故郷のばあさん──天野あまの三太夫さんだゆうもまた傑物であった。引きこもっていたころは口うるさい、偏屈なばあさんだなぐらいにしか思っていなかったが、その覚悟や度胸、指導者としての器用さなど、天野の里が攻められた件でさんざん思い知らされたものだ。


 敵側で言えば、サルタでさえも立派だと思う。

 詳しい事情は知らないが、あれだけの人数を、『すでに権力の座にある天女ミヤビ』に逆らわせたのだ。その人心掌握能力、あるいは持って生まれたカリスマなどは驚嘆に値する。

 遊郭ゆうかく領地紙園かみそのにおいて、味方した金色こんじきも気風のいい、いかにも人の上に立つ女であった。だが、敵である酒匂さかわも、それに仕えた夜籠やかごの様子や、酒匂を恐れる金色らの様子から、只者でないのはわかった。


 では、今、目の前にいるノーム公フォクシィは?


「甘ったれのご令嬢おじょうさんに申し上げる」

「……」

「『誰か』を待って引きこもってる時間なんざ、くだらねぇんだよ。その間に培ったモンが役立たねぇとは言わねぇがな。状況がこんだけ差し迫ってんのに、まだ自分の庵にこもってしこしこ玩具造りに励んでやがるのは、救いようのねぇガキだぜ」

「……しかし」

「しかしもカカシもねえんだよお嬢さん。状況に心を痛めて助けてくれる誰かを待ってるヤツが主人公なわけねぇだろ。てめぇはてめぇの物語を求められたってのに、なんにも語る資格がねぇんだ。決意してねぇからな。キトゥンは連れ帰る。このガキも大概アホだが、てめぇにゃもったいねぇよ」

「それで、どうするおつもりですか」

「好きにする」

「……好きにするとは、どういうことですか」

「あんたは千尋と乖離に何を?」

「……『させたくない』?」

「ぼんやりと正義の──ハンッ。『馬にまたがり悩みを聞いて優しく相槌を打ってくれて、そんでもって解決してくれる、見目麗しい男性』を待ってたんだろ?」


 十子が途中で笑ってしまったのは、千尋の見た目と実績が、実情を知らない者からすると、あまりにも『それ』すぎたからだ。

 当事者視点ではない情報だけ集めて千尋という人物を見たら、なるほど、いかにも困りごと全てを解決してくれる理想の王子様にしか見えない。


 だが、アレは人斬りだ。


「千尋は『そう』じゃねぇんだよ。理想的な解決なんざしてくれねぇよ。だから、何をさせたくないかを聞いてみた。あいつらにやらせるとな、必ず血が流れるぞ」

「……それは避けたい。我らは流血を望みません」

「そうか。じゃあそうなる」

「……」

「とはいえあたしも一応、常識人側だからな。なるべく血が流れないようには言ってみるよ。けど期待はすんな。あいつらを制御出来たことなんざ、一度もねえんだ。……解決するぞ、この領地の問題は。ただし、あんたの望まない形でだろうがな」

「チヒロが……『理想の王子様』ではないと言うのであれば、それでも領地の問題を解決してくれる理由は、なんでしょう?」

「認識が違う。領地の問題を解決してくれるんじゃねぇ。イラついたから斬るだけだ」

「……」

「千尋と乖離を兵を挙げて討伐するなら今だし、あたしらを人質に取るのも今が最後だぞ。ここで決めろよお嬢さん。十秒ぐらいなら待ってやる」

「………………」

「…………」

「…………………………」

「そうかい。じゃあな」


 十子はキトゥンを連れて去って行く。

 それをノーム公は見送り──


 止めない。

 何も言えない。だから、ノーム公の兵たちも、何も出来ない。


 彼女たちは、何かを逃した。

 それは十子か、キトゥンか──


 あるいは、『機会』という、形のないものかも、しれなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?