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第223話 選択肢

 宗田そうだ千尋ちひろは、精霊ノームの目の前にいた。

 ……と、いうのは正確性に欠ける表現になるだろうか。


 千尋が立っているのは、『ノームの影骸えいがい』と呼ばれるものの心臓部、その巨大な肉体の中でも核となる場所だった。

 この場所は土地の外部どころか内部の者にも厳重に隠されており、外国人観光客がおいそれとたどり着けるものではない。

 だがしかし、『わかる』のだ。あることにきちんと注目し、解像度高く事実を捉えることが出来ていれば、わかる。


 その『あること』とは──


「この場所への立ち入りは、限られた者しか出来ぬようになっているはずですが」


 背後から声がかけられた。

 千尋がゆっくりと振り返ると、そこにいたのは……


 金髪に碧眼。

 小さい丸いメガネをかけた、アンダイン人──狐の特徴を耳と尻尾に備えた人物。

 原色系の、浴衣によく似た服を身にまとったその女性は、


「ノーム公の直接のお越しとは、光栄だなァ」

「セプトラ様と情報を共有していた──というよりも、『気付いていること』を隠さなくなった、というものなんでしょうね」

「まァ、あからさまだったのでな」

「わたくしの正体についてはそうでしょう。けれど、この場所についてはきちんとした情報がなければわからないはずです」

「ふむ? もしかして、俺がここにたどり着くのは意外なのか?」

「……と、おっしゃいますと」

「いや、てっきり、俺にこの場所を教えるために、あちこち回らせたのかと思っていた」


 千尋の発言に、フォクシィ・ノームは眉根を寄せる。

 そのようなつもりはなかった──という顔だ。


 千尋は笑う。


「なるほど、こちらの推測に少しズレがあったようだ。てっきりそちらは、俺にノームの遺骸発見まで含めて期待していたものと思っていたが」

「……どのようにたどり着いたので?」

「あちこち回った。歩く時には頭の中で地図を描かんか? 『医療』『農業』『温泉』の本部……まあ組合事務所がな、だいたい等間隔で配置されているだろう? その中心に何に使われているかわからん土地がある。であればとりあえず当たる。そういう程度の話だ」


 当たり前の話だが、三つの異なる点を線で繋げば三角形が形成される。

 その三角形の中央によくわからない、道も続いていない、人も向かわない場所があれば、気になるというものだ。


「とはいえこれは逆に、女にはわからんのかもしれん。いわゆる『精霊の血管』をたどったわけではないのでな。そういう道筋であれば、恐らく、この場所にはたどり着けんのだろう。実際、乖離かいりが場所の察知に窮していた」

「……」

「この領地はな、女に曰く、『どこに立っていても強く精霊らしき気配を感じられる』らしい。シルフ領で水賊どもは精霊の血管の位置からシルフの遺骸の場所を割り出していたらしいが、ノーム領ではそういう手段が使えん。どうしてそうなるのか、推測を話すべきか?」

「聞きましょう」

「恐らく、このが、精霊ノームの遺骸なのではないか?」

「……」

「精霊の血管をたどるまでもない。ノーム領に入ったその瞬間から、我らの足元には精霊ノームがいる。……あるいはノーム公爵の治める土地のほとんどすべてが精霊ノームだったりしてな」


 ギリシャ神話において、ガイアという女神の死体が大地になったとされている。

 その例に限らず、『まず混沌があり、混沌の中に大地母神が発生し、その死体が大地となり、その上に生命が生まれた』という類型の神話は多い。


 ただしそれは、この世界の者にはわかりにくい考え方なのだろう。

 何せウズメ大陸の天女も、アンダイン大陸の精霊たちも、もともとあった大地に『降り立つ』という形で神話を始めている。この世界の価値観だと大地というのは『神とは別に最初からそこにあったもの』という考え方が一般的であり、神そのものが大地になっているというのは、外なる世界の神話なのだ。


「あなたが推測したその情報は──」ノーム公フォクシィは正解とも不正解とも明言することを避けたが、その態度が答えだった。「──『商人』にも把握されていると思いますか?」

「いや、わからんだろう」

「その心は?」

「シルフ公爵領での事件があいつの手引きだったとすれば、あいつは精霊の血管の気配をたどるのはうまい。また、サラマンダー領の様子から、どこからか監視して、事が動き始めれば機先を制するように兵器を投入することも出来る。……だがな、あいつは『人の生活』に興味がないのだ。恨みと僻みを以てしか他者を見つめることが出来ん。だからまあ、人々がどういう道をたどり、どういう場所で暮らし、どういう道を通って職場に通っているかなどは、興味を向けることが出来んだろう。ゆえに、この場所はわからん」


 まず、人というのは大抵の場合、愚かではない。

 人というのは単体で、なおかつなんの負荷もない状態では大抵賢い。


 だがしかし、『責任』『緊張』、それに『恨み』『欲望』などが加わると、思考が鈍り、目が曇る。

 人を人と見ることが出来ず、『自分は弱者である』という被害者意識を強く持ち、自分以外を報復対象としか見られないでいる者に、人をつぶさに観察することは出来ない。

 だからこそ『商人』は、人の暮らし、人の通り道を解像度高く認識しなければわからないこの場所は、きっとわからないだろう──と千尋は見立てた。


「そして、ノームの遺骸はあまりにも巨大だが、やはり心臓部は存在する。それが、ここ──あの石の社の中なのであろう?」


 千尋の視線の先には確かに、この広大な土地に『ぽつん』と作られた、綺麗だが豪華ではない石の社が存在した。

 ……だが、夜中である。

 月明りがあるとはいえ、視界は相当に悪い。夜目が利くとしても限度がある。特に、己の視界を魔法で確保出来ないはずの男にとっては。


 ノーム公は、話題が逸れるものと理解しながら、驚きを言葉にせずにはいられなかった。


「よく見えますね」

「見えてはおらん。そこに石のような硬さの塊が存在するのがわかるだけだ」

「……」

「暗闇で目を閉じていても、目の前に壁があればなんとなくわかるだろう? そういうものだ」

「もはや、魔法です」

「ところがこれは魔法ではない。神力だの精霊の加護だののない人間でもわかることなのだ。……人というのはな、案外、色々なことが出来るものだぞ。普段は必要がないのでやろうとも思わんだろうが、必要性に駆られれば、本当に驚くほど様々なことが出来る。……得意・不得意は誰しもにあるがな。不可能というのは存外、少ない」

「男の身で女を斬る方が言うと、説得力がありますね」

「女だけではなく、精霊も斬れるぞ」

「…………」

「俺たちに『新しい風』を期待していると言ったな。であれば、二つの選択肢を提示しよう」


 千尋が指を二本立てている。

 ノーム公フォクシィは、どちらの指からもイヤな雰囲気を感じて、生唾を呑み込んだ。


「一つ」千尋は暗闇の中で微笑んでいる。悪魔のような、精霊のような、美しい笑みだった。「そこにある心臓部に、俺が腰の刀を突きたてる。すなわち、今ここで、俺が、ノームの遺骸を殺す方法」

「……その選択をあなたがするとして、理由をうかがっても?」

「そもそも、俺たちの目標は『商人』の殺害だ。だからこそ、『商人』の転移や製造といった魔法を弱め、可能であれば止めるために、精霊の遺骸を破壊して回るのは目的に沿う。俺たちの動機はそのようなものだな」

「わたくしが実力であなたを止める、とは考えないのですか?」

「考えているが、それが何だ?」

「……」

「俺とて狼藉のための狼藉を働くつもりはないがな。精霊の遺骸の破壊は、俺たちがウズメ大陸から出て来た目的に沿うものだ。であれば、やり遂げる大義名分──まあ俺たちなりの理由がある。当然、現地にとって重要なものであるから、その破壊活動には『待った』がかかるだろうし、その場合、公爵領そのものが敵になる可能性も充分ある。そもそもにして、公爵というのはどうにも、すべてが曲者で手練れだ。ただ一人が相手でも……ははは。『男の身』には余る敵であろう」

「であれば」

「つまり、全力で殺し合える『敵』だ」

「……」

「こちらは本気でやる。そちらも本気でやる。すると殺し合いになる。しかも、俺にとっては強大な敵との殺し合いだ。これに滾らぬは人斬りではない。なので、精霊の遺骸の破壊を妨害をするならば、準備を待つ。整えば斬りに参る」


 ここに来てノーム公フォクシィはようやく、『商人』が千尋への警戒を呼び掛けていた理由がわかった。

 男にしては腕が立つ──では、ないのだ。

 公爵をも倒した強い剣客──でも、ないのだ。


 千尋らの本質は、その強さではなく人格にある。


 独特の基準で動き、その基準に沿う限りにおいて、誰の死も──敵の死はもちろん、己の死も厭わない。

 一見すれば決まりに従い、人命や人生を重要視するようでありながら、生活をして、しっかり見つめて、笑い合いながら言葉を交わした相手の『死』さえ、踏み越えていく。


 その精神性。

 到底理解の出来ない異次元の生物こそが、人斬り。『商人』がただの男一人、女一人をこうも警戒する理由の本質だった。


「……もう一つの選択肢をうかがいましょう」


 フォクシィは今のやりとりだけで一気に重苦しい疲労が腹の底に堆積するのを感じた。

 人である。男である。……その前提から脱却出来ていなかった。今改めて、暗闇の中で薄く微笑む男が、違う生き物に見え始めている。


「ノームの遺骸をエサに『商人』を釣り出し、殺す」

「……」

「あいつは精霊の遺骸の破壊というのを目的にしている。それはわかるか?」

「……王の側近のような位置にありながらまことに不可解なことではありますが、これまで『やったこと』を調べさせるに、そうなのでしょう」

「だからな、ノームの遺骸をエサにすれば必ず食いつく。そこを殺す」

「どのように?」

「出現位置を絞れたならば、出た途端に斬るのみだが──果たしてあいつの『転移』は弱体化しているのかどうか。相変わらず剣が届くより早く転移されるようだと、少し厳しいか。精霊の遺骸が壊れても、さほどの弱体化を感じられぬのが現状ではある」

「……そういう理解でなお、一番目の選択肢として『遺骸の破壊』を挙げたのですか?」

「弱体化させられる可能性もあるのでな。まあとりあえず試しておくに損はなかろう」

「……多くの人が、迷惑を被ります」

「だったら治安を守る側が止めればいいではないか」

「……」

「俺たちは俺たちの視点で試せることを試す。あなたたちは、あなたたちの正義に従って行動をする。多くの者の視点に立って物事を考えることの重要性は否定しないが、それは『自分の目的』を見失ってもいいことを意味せんのだぞ。客観的視点は己の目的を達成するために利用するものであって、より多くの者が損しない道を、自分の道を阻まれても呑むために持っておくためではない」


 倫理観がない。社会正義に反している。

 ……『悪』だ。

『悪』とは本来、『強いもの』を指す。社会正義、多くの人の安全な暮らしに反する、強いもの。目の前の人斬りは、人だとか、男だとか、そういう話以前に、『悪』だった。


 ハッタリではない。駆け引きでもない。

 ここでノーム公が『精霊の遺骸の破壊を目指してみろ。止めてやる』などと言えば、『そうか。ではやるか』とあっさり殺し合いを始めるだろう。これは、そういう生き物なのだ。


 そもそもこちらに選択肢を与えている時点でおかしい。


 ……だまし討ちがありうる、とは考えないのか。

 協力する選択肢を選んでおいて、こちらが後ろから斬りかかるとは考えないのか──


(──いえ、違いますね。まだ、常識的な考えから抜け出せていない。この者は、『だまし討ちはされたらされたで』と思っている。あるいは、思ってさえいない。どのような文脈の途中であろうとも、刃が向けば即座に対応する。『殺し合い』に移るまでに心の準備が必要ない生き物。……『人斬り』ですか)


「で、どうする?」


 フォクシィは考える。

 チヒロとカイリ。……殺してしまうべきなのだろうと思う。

 そしてきっと、ノーム領を一丸にすれば、圧し潰すように殺せるとも思う。所詮は二人。セプトラ、トーコまで含めても四人の勢力だ。被害は甚大に出るとは思う。だが、自分が詠唱魔法まで用いれば殺せない敵ではないとも、思う。


 ……だが。

『ノーム領を一丸とし、戦いの過程で出る被害を呑み込めれば』。


 それが出来れば、ノーム領は今のような状況になっていない。


 一丸と出来ない。被害を呑ませることが出来ない。

 そのせいで、四人対公爵領で、『同等の戦力を背後に控えた者同士の交渉』が成立してしまっているのだ。


 だからすべき決断は……


(わたくしが一念発起し、ノーム領を一丸とするか。あるいは、チヒロの選択肢を呑んで、『商人』を釣り出すために、精霊ノームの影骸を……エサとして差し出すか)


「己で選べぬ者は、どんどん選択肢を減らされるのだぞ」

「……」

「今はまだ二つもある。だが、そのうち一つもなくなる。自分で選ばぬというのは、そういうことだ。俺はを選んでも構わんぞ」


 どれ。

 ……選択肢は二つではない。『選ばない』という選択肢もあるのだ。

 選ばない。決めない。責任をとらない。行動しない。待つ。白馬の王子様が来てくれるその日を。すべてが外部から吹き込んだものによって都合よく動くその日を。──来ることはないであろう、夢のような日を待つことも、出来る。


 待った結果、今のノーム領がある。


 フォクシィは、


「……いいでしょう。選びます。わたくしの責任において」


 チヒロが笑っている。

 フォクシィは決断を口にする前に、まじまじとその顔を観察した。


 エキゾチックで美しい面立ち。

 天女のつまような──と喩えるのがウズメ大陸風だろうか。美しい男だった。若い男だった。だが、今はもう、不気味で強大な異生物にしか思えない。


 悪魔との取引だ。


 乗る方がどうかしている。


 だが、フォクシィは──


「──わたくしは」


 ──選択を、した。

 領の命運を決める決断を口にするのは、本当に久しぶりのことだった。

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