(待って。どうしてこうなった……。)
本来であれば春の討伐戦が無事に終わり街を挙げての祝祭と繁農期への栄養会もかねての肉祭りとなるはず……と、聞いていた。のに。
(大犬、小犬、どころか大牛、大兎の氏族長がいる上にあの上座のど真ん中で座ってるご老人は誰!?)
まさかの事態に困惑する天結である。
と、なる数刻前。
討伐も無事に終わった。今回は大きなけが人が出る前に決着したこともあり、いつもより早く山を降りれるとあって雰囲気は明るい。
いつもなら重傷者も何名かは出るし、下手をすると死者だって出るおまけに今回は主力と言える水の巫女がいないのだ。今回は3日三晩確定かもしれないとしょうも戦を覚悟していた騎士は一人や二人ではなかっただろう。
それなのに天結というイレギュラーな存在が出てきたのである。もちろんそれは嬉しい誤算であるには違いない。
下山する最中に討伐した魔物を運びをする者たちからは、今回は魔物自体を運ぶ回数が少ないからありがたいし、天結が払った魔物は落とし物としてすでに捌かれていたり素材そのものになったものなので軽いと喜ばれた。
騎士たちはこのまま解体に参加する者と治療を受けるものとで別れ、護衛としてそばにいた藤右衛門の班も本来の仕事へと向かっていった。
が、これに手放しで喜べないのは國を守り先頭に立つ指導者達である。
お気楽ゴン太くんよろしく意気揚々新出に向かった少女たちの後ろ姿に疑念と一抹の不安を覚えたのは仕方のない事だった。大きな力とはそれだけ人々には脅威であり畏怖の対象なのである。たとえそれが魔物から街や人々を守った者であっても……。
街に戻ってきた巫女たちは、ひとまず今日は役目が終了のため解散することになった。本来なら終わりの式典のようなものがあるのだが、いつもより数が少ないとはいえ、それでもかなりの量の魔物を解体しなければならない。解体せずにそのまま放置すれば新たな魔物を寄せてしまう。つまり式を行うほどの余裕がないのである。
どのみち明日は祭りの片付けもあるため人は集まる。それならば片付けのついでに終了式を行う。と、言うのが例年の流れらしく、今回の功労者である天結は是非とも参加してほしいとお言葉をいただ後に帰宅することになったのだが、登山前に会食の約束をしているので藤右衛門の家を訪ねるのは忘れないでほしいとしっかり確認という釘をされた。
もちろん天結はそのつもりだったので意義はないが……。
何はともあれ、汗を落とすために一度帰宅しようということになった。椿は麗の家に泊まる予定だったのでそちらで汗を流すらしい。三人の娘たちは互いの活躍を話しながら賑やかに歩き出した。
天結はすっかり馴染んだ定宿のさつま亭に戻るとそれぞれ三つ子たちを抱いた女性狸特有の愛嬌のある模様、低い位置で結まとめた髪にむっちり洋梨体型を包んだ着物と羽織はいかにも老舗の女将といった風情。とその夫の大将に迎えられた。
「天結ちゃんおかえり!怪我はない!眠気は?お腹は空いてない?」
暖簾をくぐるなり矢継ぎ早、女将に聞かれて天結は戸惑う。三つ子を抱いてない方の手で体中をペタペタと触られる
「大丈夫です。」
「本当に?!嫁入り前の娘が怪我なんていたら承知しないんだから!」
なぜこんなに心配されていのかわからなくて固まっている天結に苦笑した大将が答えてくれる。
「随分気をもんでいたんだよ。お客さんに天結ちゃんが巫女様方と一緒に山に入ったって聞いたもんだから。」
「それなのに今回は晴れてるのに何度も雷鳴がしちゃうんだもの!何かあったかもって心配になっちゃうじゃない!」
まさかその犯人は私です。とは言えずに遠くを見つめる。なんかごめんなさい。
「ひとまず天結ちゃんお風呂でしょ?浴槽洗って溜めてあるからゆっくり入ってらっしゃい。」
「ありがとうございます。あ、今日は藤右衛門さんのところで巫女たちと一緒にお招きされてご飯を食べることになりました。」
「そうなの?まぁ、年の地下もの同士交流も大事だものね。わかったわ。」
夫妻は天結の無事を確認して安心したのかそれぞれ仕事に戻って行った。天結も自分の部屋へと引っ込むと、荷物を早々に下ろして見慣れたキャンバスに神通力を込める。
「あびぃちゃん、聞いて聞いて!どうやって小犬氏族長に会おうかと思ってたんだけど、今日これから会って話できることになっちゃった!ラッキーじゃない?」
コロンと絵から出て来た緑の毛玉ことあびぃは聞いているんだかいないんだかわからないがそっらまめのようなつぶらな瞳をまっすぐに天結へ向けていたがぴょんと飛び上がって宙に浮かぶとそのままぴょんこぴょんこと風呂に向かう。
「あ、そうだ。さっさとお風呂は入っちゃわなきゃ。」
着ていたものを脱いで、いつのように桶に入れて持ち上げるとそこにあびぃちゃんが着地する。しばらく洗濯物の上で上下にバウンドしていたがまた飛び上がると、今度は湯船の中にチャポンと飛び込んだ。
「あびぃちゃんもすっかり温泉の虜だねぇ。大好きじゃん。」
そう、この毛玉は殺魔にきて天結が絵画から呼び出してからというもの朝に晩にと温泉三昧なのである。これには温泉が好きな天結も最初は驚いていたが今となってはすっかり見慣れた光景で今では呆れ半分である。
人のことばかり構ってもいられないのでさっさと身を清めてついでに選択だって終わらせて自分も温泉に浸かると、ふわりとお湯が発光する。
「あ、傷が。」
特に大けがなんてしていない。でもさすがに山の中で大立ち回りしたのである。多少の擦り傷や打ち身くらいはあった。
「あびぃちゃんとお風呂入るとちょっとしたケガならすぐ治っちゃうな……。これってあびぃちゃんの力か何か?」
問うたところであびぃちゃんからの返事はない。なにしろ鳴かない食べない歩かないの絵画生物。長年一緒にいる天結にもわからないことの方が多いのだ。
「まぁ、いっか。でも、ありがとね。」
そう言って湯船をぷかぷか浮いている毛玉を撫でた。
「会ったら話をしなくちゃね。殺魔でどれくらい正しく口伝されているかわからないけど、こればかりはどうしようもない。」
湯船のお湯を両手ですくい、その掌の小さな水面に夕暮れのオレンジが映りこんだ。指と毛皮の隙間からこぼれたちょっとの水はあっという間に手からなくなってしまい、柔らかな肉球の上に数滴残っただけだ。
「このぬるま湯のような生活も、もう終わりかもしれないな。結構楽しくて気に入ってはいたんだけど。役目は果たさなきゃね……。」
空になった手をぎゅっと握りこんで備え付けられたベンチに転がって茜色の空を見上げた。
「あー。星は今日も燃えている。」
いつからか口癖になったそれを呟きながら、まどろみに身を任せるようにそっと瞳を閉じてそよ風に吹かれる。
慈しんでもらえる心地よさを知った。年頃の娘らしく他愛のない会話で心から笑いあえた。自分の描いたものを喜んでくれる人がいた。
おはようと言われ、行ってらっしゃいと送り出されておかえりと迎え入れてくれる温かな場所を知ってしまった。
こうしている場合ではないとわかっていても、もう少しここにいたいと心が悲鳴のように鳴いている。
これまで一度も味わったことのないその感覚に戸惑いながらも、己を叱咤するように顔をあげて立ち上がる。
今この一時だけ、ただ裸の心のまま自分でいられたそれだけで十分だ。
サイドと後ろだけ長くなったチューブトップにホットパンツ、ボレロジャケットにニーハイ丈のトレンカを履いて腰にはいつも欠かせない画材や絵が入ったいつものウェストポーチ。
トレードマークの淡い花紺青の髪は二つに分けて三つ編みに結ってキャスケットを被る。見た目や防御力よりも動きやすさを重視したいつもの服装。
持ち物に不足はない確認しふと、ボレロの隠しポケットに絵の仕込みを確認する。ここのポケットは少量はハガキ程度の大きさの絵が三枚しか入らないもののしっかりとした空間ポケットだ。とっさのときに身を守れるよう盾の絵と矛の絵に鳥の絵を入れているが、今は戦いに行く予定はないので矛の絵を抜いて別のものを一枚入れておく。
階段を降りて厨房に寄る。
「大将、女将さん行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってらっしゃい!楽しんでね!」
純粋に今日の祝勝会か何かだと思っている夫婦はにこやかに天結を送り出した。所詮は宿の主と客。わざわざ声をかける必要などないが、前に仕事の邪魔になるだろうと黙って出て言ったら「行ってらっしゃいくらい言いたいから声をかけてくれたらうれしい」と言われてしまったので、それから出かけるときは必ず二人の顔を見てから出かけるようになった。
こんな子としてたらますます離れがたくなってしまうというのに。
そんな後ろ髪を惹かれる思いで暖簾を通り抜ける。すっかり慣れてしまった道を麗の家へと向かって歩き出せば向こうから歩いてくる二つの長い影に視線を上げる。
「わざわざ迎えに来てくれたの?通り道なのに?」
「すれ違ったら困るし。」
「だって待てなかったんだよぉ。氏族長と話をするってことは天結ちゃんの事きけるでしょぉ?」
「気になってたの?」
「ん~。気になっていたっていうか。」
「同じ巫女ってことはわかるよぉ。私たちって共鳴しちゃうからぁ。」
「でもどうして四人目の巫女がいるのかとか、なんでそんなに強いのかとか気になってはいたけど。」
「そういうのって話したくなったら聞けばいいかなって思ってたからぁ。」
どうやら二人なりに気を使ってくれていたらしい。言葉の端々で天結の生い立ちが複雑だというのも察していたようだ。だからこそ聞きにくかったのだろう。
「聞かれないから気にしないのかと思ってた。」
「天結ちゃんだって何も聞いてくれないじゃないぃ。ききにくいよぉ。」
「きかれなくても麗は勝手にしゃべるじゃない。そうなんだけどぉぉ~!」
ぷくぅっと頬を含ませる姿がおかしくて天結はクスクスを笑みがこぼれる。
「私はこれまで人に関わった経験が少なくてききたいことが浮かばないからきいてくれると助かる。気が利かなくて申し訳ないとは思うんだけど。」
「じゃぁ、これからいっぱい聞くねぇ。で、聞いてほしいことはいっぱいしゃべるねぇ!」
「……それっていつものことじゃん。」
やっぱり娘たちはどこであっても姦しい。でもそれはけして不快なものではない。気が付けば三人は狛犬邸の前にいた。
春分の夜ともあって近所の者たちが集まっているのであろう。広い庭に何人もの人が出入りしせわしなく動いている。その人たちを如才なく狛犬家の女帝ゴールデンレトリバー種の桃香が指揮を執っている。
門前で勝手に入っていいものか戸惑う三人にもいち早く気づくと手近な人を呼びつけると二、三何かを言いつけて天結達にひらひら手を振るとまた采配に戻る。
「あれは待てということなのかはいれということなのか……。」
「会食の話は通ってるはずだから帰れってことはさすがにないと思うけど?」
「だよねぇ。」
そんな娘たちの会話はすぐに遮られた。
「お待たせしました。庭は近所の者が出入りして落ち着かないので道場に。」
「道場ですか?」
「予定していた人数より大幅に増えて応接室では入りきれなくなった。すまない。」
「それは構わないんですけど。」
思わず二人を視れば両名とも肩をすくめる。
「大方父上と麗のおじい様が飛び入り参加してその護衛もってなったから入りきらなかったのね。」
「それだけでもないが……。まぁ、見ればわかる。だが先に誤らせて欲しい。こんなことになるとは思っていなかったんだ。すまない。」
「はぁ。」
何とも要領を得ずに案内されるまま道場に足を踏み入れることとなった。
今まさにここである。
土間の道場には篝火が規則的に並べられ、ほの暗く照らされた向こうは以前家族が集ってモデルとなった場所。
その一段上がった板間に長机が置かれて、威厳たっぷりに七人の男が着座している。さらにその後ろには側付きだか護衛だかが直立不動で立っている。
それはさながら……。
(圧迫面接ですかね!?)
と、叫び出さなかった天結は自分をほめたかった。
(聞いて無い聞いて無い。なんでこんなことになってるんだか。)
アウェイ感が半端ない。
「椿と麗はこちらに。」
威厳あるその声に二人は眉を下げつつこそっと天結に追い抜きざま声をかけた。
「大丈夫だから。」
「いざとなったら私たちがぶっ飛ばすからぁ。」
ぽん、と肩までたたかれたもののぶっ飛ばしたら話が余計こじれるのでは?と何処か他人事のように考えたことで自分が落ち着いていたのだと気づく。
「狛犬東郷藤右衛門、そなたもこちらに。」
「必要ありません。私はこちらで結構です。」
わざわざフルネームで呼ぶということは公式な場だと言いたいのだろう。本来なら藤右衛門は殺魔側のはずだ。それなのに頑として動こうとはしない。
「なんで……。」
他に聞こえないようにぽつりと見上げれば、ただ篝火に照らされた柔らかな笑みだけが返ってきて、思わず天結はその顔に呼吸することすら忘れて見入ってしまった。