(なんですかねぇ。その溶けるような笑顔。)
あまりにも場違いな笑みを向けられて引き締めたはずの気合いが何処かに出かけてしまいそうなので、天結は慌てて正面を見つめなおした。
低い長机なにで壇上にいても座っている目線は高くないはずなのにもともとが大柄なせいなのか目線があまり変わらない。
「入り口では寒かろう。もう少しこちらに。よく顔も見せてほしい。」
中央に座る鳥獣人の翁がそういうと、藤右衛門が前へと促す。土間を半分からさらに半分過ぎたところで足を止めて改めて並んだ面子を眺めてみる。
正面中央に座るのは鳥氏族の小柄なコザクラインコの翁である。小柄な老人と侮るなかれ。その目に宿したものは猛禽類にも似た威圧感があった。口は笑ってるのに目は笑っていない。間違いなくこの男はただの氏族長などではない。
(だとしたらその上にいる男は殺魔にたった一人だけ。)
向かってその後人の右側には小型の犬獣人がいるのでこちらが小犬氏族長と容易に想像がつく。さらにその隣に見慣れた狛犬家の新旧当主が並んでいる。
その反対側には大型の犬獣人と大牛、大兎の氏族長。その間に椿と麗が着座している。麗は改まった場が苦手なのか何処か極まりが悪そうな面持ちでもじもじしている。
思わず見つめていたらあちらも視線気づいたらしくへらりと笑ってので天結は他の人に分からないように口パクだけで伝えてみる。
[トイレならはやくいっとけ。漏らすぞ。]
[ブハッ!]
[ちがうよぉ~!天結ちゃんひどいぃ!]
[我慢は体に良くないし、迷惑かける前に自首しなさい。]
[そんなんじゃないってばぁ!ばかぁ!]
ちなみに噴き出したのは牛の親子である。麗は静かに怒るという器用なジェスチャーをしたがいかんせんジェスチャー自体が大きいので周囲に分からないようにした天結の気遣いは無駄になっていた。心配事が杞憂だと分かって正面を向きなおすと皆一様に肩を震わせて明後日の方向を見ている。
(我慢せずに笑えばいいのに……。)
だが、そこは年長者の経験。ぐっと腹筋に力を入れて耐えている。特に口元を隠すことなどしなかったので声出さずに伝えるという気遣いは全く役に立っておらず、正面の男はもちろん着席した面々どころか、その後ろに控える側近や護衛にも丸見えだったのだ。
むしろ危険人物かと警戒している相手がまさか巫女様にトイレを半眼で促すなんて思ってもみなかったし、言われた巫女様は恥じ入るどころか立ち上がらんばかりのリアクションで反応してるのだからこれが笑わずにいられるだろうか。警戒していただけに落差がひどい。
この状況がわからないのが藤右衛門。天結の隣に立っているせいで、なぜその場がそんなことになっているかわからず頭の上にはクエスチョンマークである。
「ふ……んん!さて。儂は殺魔の統治王、早瀬という。」
(まぁ、予想通り。)
なぜか統治王の仕切りで座っている面々を紹介すると、統治王は両手を組んで机の上に肘を乗せさらにその手に顎を乗せて前のめりになった。
「それで。キミは何者かな?」
どうやら下手な腹の探り合いはする気がないらしい。ならば、と天結は流れるような所作で右手でボレロの左胸を撫でてから体の前で両手を重ねた。
途端、今度は周囲が息をのんだ。
先ほどまで何ともないどこにでもいる少女だったというのに、動作一つでその服装は朱襟の白衣、上指糸のついた緋袴、鳳凰柄の透かしが入った千早、頭には銀の簪といつの間にか一つに結ばれた髪には紅白の水引熨斗の飾り。右手にはいつの間にか檜扇をもちそっと左手を添えるている。
それは誰がどう見ても最上位の巫女の姿。
その衣装に負けぬすっと伸びた背筋に、屈することないまっすぐな眼差しで淀みなく天結は口を開く。
(まずは場をつかむ!)
「私は、カムコシバユノアユゥビメ。駿河より300年前の盟約を守るため殺魔に戻ってまいりました。」
立位最上礼の直角のお辞儀をして頭を下げたまま微動だにしない。
この名乗りに動揺したのはその意味を正しく理解できる長たちで、一方の側近たちはこの所作の美しさと神秘的な雰囲気に息をのんだ。
「真名を持っている巫女だというのか。」
「ただの真名ではない。カムの名を冠するということは神降ろしの出来る巫女ということだろう。」
「では山で見たあれは神降ろしだったと?潔斎場でもないのに神降ろしをやってのけたのか?」
「そんな巫女近年聞いたことないぞ。」
「大犬、小犬これはどういうことだ。」
「可能性としてはホデリ様とともに大和に渡った付き人の者であろうが……。」
「それは我ら小犬氏族の役目だった。だが50年以上前から連絡がつかんし、小柴なる家門は知らん。」
敵意むき出しではっきりとそういう父ほども年の離れた男に、頭を上げると天結は臆することなく、そしてよどみなくよく響くアルトの声でのたまう。
「そうですか。ですが安心してください。私もあなた様を知りません。」
なんの悪びれもなくはっきりそう言い切るものだから、敵意を向けていた小犬氏族長は牙を抜かれたかのようにぽかんと目の前の少女を見つめた。
その空気を破ったのは大牛の男。
「ちょっと待て。盟約とはどういうことだ。」
「大牛は忘れすぎじゃないか?古き約束の一つだぞ。」
「そういわれればあるような、ないような。」
「父上……。」
「先に聞いておきたい。今日の山でのあれは神降ろしだったのか?だとしたら彼のお方はどちらの神さまだ?」
「今日降臨していただいたのはタケミカヅチさまです。」
そういいながら所々焼け焦げた金と黄色に橙色が目を引く絵を取り出して見せた。雷を纏った割と若い龍神の姿だ。その柄をしばらく眺めてから統治王は口を開く。
「すまないが300年の間に伝承が途切れた部分もあるようだ。最初から説明が欲しい。そなたの一族は何なのだ。」
「最初から……どこから話せばいいものか。」
暫し考え込んでから天結は口を開く。先に継承は省きますと周知したうえで。
「まず、小柴家は300年前にホオリにまけたホデリが大和に東征するために付き従った小犬氏族、地柴家の分家に当たります。」
「地柴か。それなら記録がある。」
「地柴は東征従軍の際密かな命をいただいていました。それは命じたイサハヤ両家に犬氏族と三巫女を輩出する大牛、大兎、小竜の氏族しか知らないことだと伝承されています。」
「その命令とは?」
「ヒノカグヅチが施した封印が破られるその時までに三巫女以外の新たな巫女の血統を作り、来るべき日に備えその血を強化することです。だから我らの祖は【チシバ】と名乗りました密命を忘れぬために。」
「だがそなたは小柴だろう?」
「はい。それを説明するためには、まず地柴の足跡を説明します。地柴は元々ある神の流れを汲む家門で犬鳴もあわせると三巫女と遜色ない能力を保有する一族でした。その素養を見込んで、第四の巫女をつくべく選ばれた家門です。東征の際に命じられたのはその血の神通力を強化し封印が説かれる時のために血を守り殺魔に帰ることです。」
「第四の巫女を作る……。何処かにそんな記述があったな。」
「そこで地柴は家門で一番の神通力を持った娘を選び、各國の神の流れを汲む男と結婚させることにしました。」
「だが、そんなにうまくいくものなのか?」
誰もがその疑問は頭にあった。
「今でこそ殺魔以外の國は長子男系相続ですが、当時は末子女系相続とされており長子どころか男子は後継に関われないため特に重要視されていなかったのです。」
「は?そんなことになってるのか?」
「殺魔では祭祀王はホスセリ様から連なる女系、統治王はホデリ様からなる男系の二系で定めて天道を守っていると小柴では学びました。」
「いかにも。殺魔はそうやって守ってきた。」
「天道は女祭祀王が神の意志を受けて反映し治めてこそ長く平和な世が約束されるとあります。ただこれには問題があって、統治王は祭祀王が指名する形となっていて相手は兄弟でも配偶者でも構わない。統治王となったものは次第に自分こそが正しき王とはき違え血で血を洗う争いにまで発展しました。そして代を重ねて祭祀王の力も落ちてゆきました。それも争いに拍車をかけたのでしょう。だからこそ、殺魔では天道を守るため今の形にしたのでしょう。」
「まて、そうなると祭祀王の血はどこへ流れた?」
「それこそが、わが一族の好機でした。」
「どういうことだ?」
「大和にて忘れられたからこそ密かに取り込めるチャンスと考え、祭祀王の一族と婚姻を結ぶためその足跡を追いかけて出雲に渡しました。」
「出雲!?なぜそんなことになった。」
「どうやら同じことを考えていた者が出雲にいたようで、先を越されてしまいました。そこでひとまず地柴は一族の娘と出雲王の血縁で血をつなぐことにしました。その間にも大和祭祀王の血は出雲王家に流れそのうち血統を強くした巫女様が誕生しました。名をカグヤヒメと申されました。」
「まさかその姫と番えたのか?」
「いえ、姫様は大事の育てられましたが政治的問題で出雲から東に逃れて駿河へ渡られました。その時の動乱で地柴は散り散りとなり何とかその痕跡をたどれたのが地柴の分家である小柴でした。駿河にてどうにか目的を達成することができました。」