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第59話 名乗りを上げる

 「苦労のわりに喜びがささやかすぎるよぉ~。」


 独特の間延びした口調で抗議するのは麗である。


 「いあやぁでも、その内側にいるとそれが当たり前になっちゃってるとうか。」


 生まれる前からる流れなのだ。いまさらその中で育ったものが違和感など感じるだろうか。否。それがあるべき形なのだと刷り込まれているのだからたとえ個人としてどんな感情を持とうともどうしようもないとしか言えないのだ。


 「そのようなことをして何も問題が起きないのか?」


 「昔は何かとあったようですが最近はそういった話は聞きません。それが当たり前だと聞かされて育つことが影響してるのか薬の影響なのか、それとも番を無視して生まれた娘ばかり血をつなぐのです。本能が薄くなっているのか。私は学者じゃないので細かいことはわかりませんが。」


 「そういえば、椿殿には三人パートナーが決まっているし、麗殿にも一人パートナーがいたな。天結殿はそういった相手はいないのか?」


 「どうでしょう?」


 「は?」


 「一族の業なのかそれとも神通力の高さゆえか私自身にはそういったことがよくわかりません。他人の慶事は素直に祝福しますし憧れはありますが、小柴で伝わっている話の中に神通力の高い巫女には番と申し出る男性が複数人いたそうです。」


 「番が複数……?」


 「祖父は私もそういう事態になるかもしれないとは言ってました。ほんとうかどうかはわかりませんが。」


 「なるほど。それなら納得ですね。……統治王様、天結殿。」


 口を開いたのは狛犬家の若き当主である。


 「わたしの次弟は天結殿を番として反応している。」


 「え!?」


 反射的に藤右衛門を見上げれば柔らかく細められた紺碧の瞳に見つめ返された。


 「藤さんが番?一体、いつ……から?」


 「初めから。天結が関所に来たその時から私はあなたを番だと感じていた。」


 「今までそんな素振り……。」


 「なかったと本当に思うか?」


 「え?」


 困惑している天結を置いて藤右衛門の甘さは増すばかりだ。ついでに椿と麗はニマニマしながら天結から離れて置いて行った。物理的に。この事態を一番良い席で眺めると決めたらしく元の位置に戻ってしまったのだ。


 (あの温もりが!今!切実に恋しい!)


 どうしたものかとおもいながら現実逃避のように考えていると、寂しさを感じた手がそっと、壊れ物を扱うような優しい力加減で指先を握られた。


 「自分で言うのもなんだが、私は割とわかりやすかったように思うが?」


 「は……?」


 「私の家族はもちろん、騎士団の皆もそこにいる統治王様まで気づいていたが。」


 「え!?」


 あまりにも初耳すぎて思わず壇上に視線をあげれば、老齢のコザクラインコが満面の笑みで手をひらひらさせているし、藤右衛門の兄と父は頷くばかりである。


 「なん、だと……。」


 何に衝撃をうけたらいいのかわからない。これまで周囲はどんな思いで見ていたというのだろう。 


 (恥ずかしすぎる。私そんなに鈍かったのか。)


 「だが、こうして存在を知ってもらえたわけだし。」


 言葉と同時に握られていた左手を視線の高さまで持ち上げられる。何事なのかと目線で負えばその向こうに見える真剣な男の顔にドキリと心臓がはねた。


 「もう遠慮はいらないな。」


 視線を外すことなく手の甲にそっとキスを落とされて悲鳴を上げなかったことを天結は誰かに褒めてほしいと内心絶叫する。


 まぁ、天結が叫び出す前に黄色い悲鳴を上げる娘たちがいたおかげで叫ばずに済んだのでちょっと顔がスンってなるのは許してほしい。


 許してほしいが、そんな捨てられた小犬のような目で見つめるのはやめてもらいたい。なんだか悪いことを……。


 「わりぃな副団長、番なのはおめぇだけじゃねぇんだわ。」


 言葉とともに肩に掛けられた手に引かれるまま後ろに倒れる前に背中に当たった感覚。


 顔を見なくても声だけでもうわかってしまうくらいには親しくなった。いつの間に護衛席からここまでで移動していたのか。


 「蓮犬さん?」


 「嬢ちゃん、わりぃが今日からは蓮犬じゃなくて大介って呼んでくれねぇか。こいつだけ名前呼びで俺だけ苗字なんて納得いかねぇ。」


 こいつ、と藤右衛門を顎でしゃくりながらトレードマークのハットをあげてニヒルに笑う。


 「まってください。蓮……大介さんも番なんですか!?」


 反射でいつものように呼ぼうとしたら睨まれた。


 (なぜだ。)


 慌てて言いなおせば、にやりと笑った蓮犬が天結の頬に自分の顔をよせてきた。


 「ふぇ!?」


 さすがにこれは声が出ても許してほしい。


 合わさった頬を数回擦り付けるとふわりと柑橘の香りがした。『良い香りだな』と思うのと同時に普段口調の荒い蓮犬からこんな香りがするのだと思うとなんだかかわいい人なんだな。と思っていたから油断した。


 かぷっ


 「なっ!」


 「ふぁぁーっ!」


 『きゃーっ!』


 とっさに噛まれたうなじに手を添えた。痛くはない。ただ皮膚を撫でるような、じゃれあいのような甘噛みだ。残念ながらじゃれあったことないけれど。


 おまけに離れていった横顔はぺろっと口を舐めた後に親指で唇を拭う仕草に大人の余裕と色気がにじみ出ていた。


 「あー!自分たちばっかり狡いっすよっ!」


 突然道場に響いた声は何処かで聞き覚えのあるものだった。


 音もなく気配もなく目の前に落ちた影。護衛たちは突然現れたそれに護衛対象を守る動きを見せたものの、その反応速度ではこの男が本物の暗殺者だったら手遅れだったろうな。などと何処か他人事のように思っていると、口を開いたのは狛犬家の当主だった。


 「申し訳ありません、あれは当家の御用聞きをしている男で問題ありません。」


 その言葉に統治王あ頷くと護衛は元の位置に下がる。


 「まさか、お前もなのか和氣家。」


 「そうっすよ。」


 「だから彼女の護衛に名乗りを上げたのか?」


 「もちろんっす。自分の番を守るのは当然っすからね。」


 立ち上がるとずいぶん視線が高い。さすがは大型種。顔を向ければ、それはいつかの朝見た金春色の髪に秘色の毛皮、碧の瞳が人懐っこく無邪気な笑みを向けていた。


 「和氣家さんも番なんですか……?」


 元々青褐色の毛をさらに青ざめさせたものの一歩引くのは失礼なことだと分かっているのでそこは何とか踏みとどまった。


 これはあれか?いつだったか旅の空で聞いた人生には三回モテ期がくるってやつか。いや、待て。落ち着け自分。犬氏族にモテ期なんて存在するわけがない。本能が求めて定める番は生涯たった一人なのだから。相当頭やられてるな。と自覚しながらも無駄とも思いつつも諦めずにはいられない。


 (頼むから違うと言ってくれぇぇぇぇ。)


 「そうなんす。俺も番っす。もちろん初めて会った時からわかってたっすよ。」


 (あぁぁぁぁぁぁ~!)


 抱えたくなる頭を何とか回転させ長良状況の把握を努めようとする。ショートするのはもうすぐかもしれない。なんせ今日は雷神までその身に降臨させてるわけだし。


 「大丈夫っす。天結が料理できなくても自分が料理洗濯掃除まで身の回りのお世話をするので、天結は好きなだけ絵を描いてて欲しいっす。」


 「いいの?」


 「もちろんす。」


 にっこにこでそう言生きる姿に後光が見えた。自分の苦手なことを補ってくれる上に、面倒な日常のあれこれを引き受けてくれる上に好きなことをしてても良いなんて、なんと魅力的な提案だろう。


 「あ、ついでに自分のことは銅って呼んでほしいっす。歳も近いから呼び捨てで気軽に接してくれるとありがたいっす。」


 「わかった。銅。」


 「やるわねあのゴールデン。」


 「天結ちゃんの的確なポイントついてるぅ。」


 「そこ!外野うるさい!」


 何処かの実況解説も顔前で分析し始める巫女の発言に思わず現実に立ち返る天結である。


 「失礼ですが、発言をよろしいでしょうか。」


 言葉とともに片手をあげたのは大犬氏族長の後ろに控える男だった。


 「なんだ。白露おまえもか。」


 主人であろう大犬氏族長が顔だけ振り向くと一歩前に出た男は小さく「そのようです」と答えたのが遠くにぼんやり聞こえた。

 もちろんその場のすべての目がその男に向けられたのは間違いない。


 男は優雅な動きで長机を回り込み壇上から降りる。細身の長身はボルゾイ。アルビノだろうか抜けるような白さに篝火さえも霞んでしまいそうだ。まっすぐに向けられた瞳は桜色と淡藤色のオッドアイの美丈夫で片眼鏡をつけている。柔らかく微笑む姿に目が離せない。


 「お初にお目にかかります。大犬氏族長の側近を務めておりました犬古木白露と申します。どうぞ白露とお呼びください。」


 「あ。えっと。小柴天結です。」


 まっすぐと天結の前に来て跪くと左手は後ろに、右手は天結の左手の平を持ち上げその甲を自身の額に押し付けた。


 初対面で跪くことは犬族ではそのコミュニティや群れに入りたいとか従属を示すことになる。番だと言っていた当たりここでは天結に侍りたいという表れで、相手の手の甲を額につけることは出会えた喜びと敬意を表す。また、左手を後ろに隠すのは敵対しないという意思を示す。


 遠くから「あいつ側近て過去形で話しやがった辞める気満々じゃねぇか。」とか「あんな仕草見たことねぇ必死が過ぎるだろう。」とか聞こえるがそれは誰のぼやきだったのか。


 もちろんそんな中にこだまする黄色い悲鳴は健在である。


 (今日は外野が賑やかだなぁ。)


 やはりどこか遠い場所の物語でも聞いているような心地になる天結である。


 「わたしも天結と呼んでもいいでしょうか。」


 「どうぞ。」


 この流れで初対面だからご遠慮願います。とは言わない程度には空気が読める天結である。さすがに下の名前で呼ばれたかといって何かあるわけでもないので断るより話がスムーズにいくと頷いておく。


 (どうするんだこれ。)


 事情説明をする気はあったがまさか番と引き合う見合いのような状態になるとは思ってもみなかったのでほとほと途方に暮れてしまうのは致し方ない事だった。


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