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第26話 ちゃっかり者の美羽は、瑠星の味方です?

 自宅に帰ってきて、どっと疲れが出た。

 なんでそうなったのか、夏休みの間は先生の自宅に行くことになった。さすがにそれは迷惑だろうと思って、一度断ったけど、なんだかんだ先生に押し切られたというか、丸め込まれたというか。

 訳がわからない。


 蒸し暑い部屋のエアコンを入れ、ベッドにどさっと横になる。

 じわじわと汗が滲んできた。


「……まさか、新桜台に住んでるなんて」


 新桜台駅は家賃も安いし、美浜大の学生も多く住んでるって聞いたことがある。考えてみれば、特におかしいことはないんだよな。

 意外と近いところに住んでいたことに、嬉しくなった自分もいた。迷惑かけちゃいけないと思いながら、勉強に付き合ってくれたら心強いと思う。でも、家庭教師ってそこまでしてくれるものなのか。


 買ってもらった手帳を紙袋から引っ張り出し、まだ予定の書かれていないそれを開いてみた。


 先生の家に行くようになったら、この月間予定が先生の名前でいっぱいになっちゃうじゃないか。いや、遊びに行くわけじゃないんだし、勉強とでも書けばいいのかな。

 ああ、でも俺から「先生のアパート行っていい?」っていわなきゃ、行かなくても良いんだよな。


 ぐるぐる考えていると、スマホの通知音が鳴った。

 見れば、美羽から「デートどうだった?」と短いメッセージがきていた。


 だから、デートじゃないし。呆れながら「特に問題なし」と返せば、もっと詳しくと書かれたスタンプが返ってきた。

 通話を繋げば、ほぼゼロコールで出た美羽はハイテンションに「進展は!?」と尋ねてきた。


「進展ってなんだよ……」

「だから、家庭教師のお兄さんと仲良くなった?」

「質問の意図が理解できねぇ」

「そのままなんだけど。じゃあ、次のデートの約束ぐらいしたんでしょ?」

「だからデートじゃねぇって。次はまた来週の火曜日、部屋で勉強!」

「お家デートってことね」

「……お前、話聞いてる?」

「そんな怒んないでよ~。なんか元気ない声だから、冗談いっただけなのに」

「別に元気ないって訳じゃないけどさ……ちょっと困ったことになってな」


 美羽の悪びれない様子が聞こえ、思わず深々とため息をついた。こいつなら、学校で俺のことを吹聴する心配もないしと思い、今日のことを話してみた。


「別に困らなくても良いんじゃない?」

「いや、だって、迷惑じゃね?」

「迷惑なら呼ばないと思うし、例えば恋人と会うとか遊びに行く日なら断るでしょ?」


 恋人という単語にどきっとした。

 そうだよな。あんなにカッコいいんだし、気遣いだって出来て優しいんだから恋人くらいいるよな。


「……あー、まあ、そうか」

「星ちゃんってさ、時々、変な気を遣うよね。まあ、そこが星ちゃんの優しさなのかもしれないけど。相手は年上なんだから、来て良いっていうなら、行けばいいじゃん。あたしなら行っちゃうな」

「お前、気楽でいいよな」

「星ちゃんが考えすぎなの!」

「そうかな?」

「そうそう。あたしが星ちゃんだったら、将来の参考に見に行っちゃうよ」

「将来の参考?」

「大学生の一人暮らしを覗けるチャンスじゃない!」

「……お前って、本当に前向きだよな」


 昔からそうだ。美羽はいつも俺の出来ないことを簡単にやってのけるんだよ。

 勉強だけじゃない。初めて泥団子を作った時も、水泳教室に通った時も、かけっこに、初めての裁縫に──なんでも俺より先に上手くなっていったし、俺よりも出来るようになるのが早かった。それって全部、俺よりも先に新しいことに飛びついていたってことなんだよな。

 新しいことに恐怖を感じないのかな。


「悩んだって、やること変わんないじゃん?」

「けどさ、怖くないの?」

「何が?」

「……何がって」


 失敗して笑われたり、負けて悔しい思いしたり、場の空気を悪くしたり。

 淳之輔先生は、めっちゃいい人だと思う。あんなにカッコいいのにチャラチャラしてないっていうか、いい加減じゃない。変に真面目なとこもあるから、俺も真面目に頑張んなきゃって思わされる。一緒に頑張ろうって。


 先生の部屋に行ってみたいって気持ちだって、あるにはある。でも、そんな気持ちを知られたら気まずくなるかもしれないとも思ってる。それも怖い。なんていうか、こう……距離感を間違えてないか心配なんだ。


「星ちゃん、もしかしてマイナス思考になってぐるぐるしてる?」

「悪かったな、後ろ向きで」

「うーん……今日、楽しかった?」

「は? まあ、楽しかったよ」

「じゃあ、それでいいじゃん」

「何だよそれ」

「家庭教師のお兄さんだって、楽しかったから、星ちゃんといたいって思えたんでしょ? じゃなかったら、わざわざ自分の部屋貸さないってば!」

「……そうかな」

「そうだよ。だって、家庭教師代って、先生が家に来た時にしか発生しないでしょ?」

「だから、申し訳ないんだろうが」

「星ちゃん、バカ? 嫌々だったら、そもそもそんな提案しないって。お兄さんは、やりたくてやってるんでしょ? 甘えときなよ」


 甘えときなといわれても、それが申し訳ないって気持ちは、美羽には分からないようだ。つい深々とため息を零して、髪をかき乱していると。


「それより、何着ていくの?」

「は?」

「夏休み中ってことは、制服で行くわけじゃないでしょ?」


 そういわれ、はたと気付く。俺って、ジーパンにTシャツとスウェットしか持ってないじゃないか。


「……別に、遊びに行くわけじゃないから、ジーパンにTシャツでもよくないか?」

「まあね。でも、ワンパターンだよね」

「……ぐぬぬぬっ」

「今日のカーゴ、そのまま貸しておこうか? お礼はリーベルの山盛りベリーパンケーキ。勿論ティーセット付きでいいよ!」

「高くねえ?」

「等価交換よ。ほぼあげるようなもんだし」

「……わかった」

「やったー! それじゃ、来週行こう。その時、星ちゃんの服も探してあげる」


 なんだかんだで、上手いこと美羽が美味しい思いをしているような気がしてきた。だけど、センスのいい服とかわからないし、美羽だったら流行りの服とか知ってるだろうから失敗はないだろうし。母さんと行くよりはマシだろう。


 自分を納得させながら、ふと思う。誰かの家にいくのに、新しい服を買うっていつぶりだろうか。


 思い出したのは小さい頃のこと。お盆だったか正月だったか、親戚の家に行くからと洋服を新しく買ってもらうことがあった。

 勿論それとは違うけど、なんだか既視感を感じてそわそわしてきた。


 通話を切ったスマホをベッドに投げて、天上を眺める。いつの間にか部屋はすっかり涼しく、居心地のいい状態になっていて、汗も引いていた。

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