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老警備員


「位置情報をオフ、っと」


 私服のモスグリーンのパーカーの袖に通した左手を掲げ、腕時計型端末リストコムから浮かんだ立体映像の設定を切り替える。これで、リストコムから自分の現在地がルヴリエイトに届くことはない。ルヴリエイトならすぐに気が付くだろうが、『まったく、もぅ』と呆れるくらいだろう。何せ、よくやることだからだ。


「あたしは、もう子どもじゃないんだってば」


 そう独りごち、リエリーは愛車キックグライダーに乗せた体を傾ける。地面からわずかに浮き上がったフットフロアが傾いで、右折の指示を再現した。

 気分的には、リストコムに搭載したコントローラーのアクセルダイヤルを目いっぱい、噴かしたいところだったが、目的地のことを考えると、今は大人しくしているのが賢明というものだった。

 そうして寄せた眉の下の目を上げると、その目的地が視界に映り込んでくるところだった。

 カシーゴ・シティを見下ろす丘、バリーヒルズ。その高台の頂に聳え立つ、闇青ロイヤルブルーの威容。眼下の街から見上げると、太陽光を反射する壁面が横長のスポーツサングラスのように見えるが、その実、立体の六角形を模した巨大建築だ。


「あいっかわらず、デカいなー、ネクサス」


 威療士レンジャーたちからそう呼ばれている巨大建築の正式名称は、カシーゴ・威療士枝部レンジャーネクサス。いわゆる、司令本部である。

 カシーゴの威療士の大半が枝部に詰めている場所であり、ここから緊急出動スクランブル巡回パトロールに向かうチームも多い。もっとも、それは設備が整っているために利便性が高いというだけの理由で、規則ではない。だから、自分たちCLのように、用事があるときだけ出向く威療士チームも少数だが存在する。


「てか、あんだけハイテクなのに、なんで書類は対面提出オンリーなわけ?」


 答える相手のいない疑問に首をかしげつつ、リエリーのキックグライダーは、枝部へ通じる専用道を駆け上っていく。目的地は、正面玄関の横手にある、威療士専用出入り口だ。

 飛行タイプの救助艇ではない機体が通るこのルートには、複数のセキュリティゲートが設置されている。その最初の一つのゲート横、警備室にグライダーを横付けすると、期待した通り、黄色い『SECURITY』の文字が刻まれた制服姿の老年男性が顔を覗かせてきた。


「ごきげんよう、レジデント・リエリー」

「やっほー、ジム。調子どう?」

「おかげさまで絶好調ですよ。今日はまだ、どなたもここを通っていない。こういう日が続けばと、つい思ってしまいます」

「まぁね。じゃ、あたしたちが廃業したらさ、いっしょにコーヒーショップやる? ジムの淹れるコーヒーは、カシーゴいちだから」

「ほっほっ。この老いぼれを褒めたところで、なにも差し上げられるものがないのは残念です。それとも、レジデント・リエリー。わしのオリジナルブレンドの他にご用件が?」

「やった、サンキュ」


 警備室の窓から差し出された、湯気が立つマグカップ。そこには、カシーゴ・レンジャーのマスコットキャラクターで、仔狼をモチーフにしたパルスカイのイラストが刻まれ、可愛らしい出で立ちとは対照的な、背丈を超す巨大な針をクールに掲げている。

 数口で飲み干せる量が注がれたマグカップを傾けると、芳醇なコーヒーの香りが鼻を満たしてくる。ブラックな外見とは裏腹に滑らかな舌触りを持ち、程よい甘みが、香ばしい独特のスパイスと口の中で和音ハーモニーを奏でていた。


「ふぃー。ごちそうさま。やっぱ、ジムのブレンドはサイコー」

「ありがとうございます、レジデント・リエリー。貴女の口に合うスパイスを苦心して探し当てた甲斐があったというものです」

「カシーゴ・レンジャー全員の好みをおぼえてるんだよね。すっご」

「ええ。これくらいしか、みなさんに返せるものがありませんので。……特に、レジデント・リエリー、貴女と御養父上おちちうえには」

「ジムががんばったからだよ。あたしとロカは、ただ仕事しただけ」

「ほっほっ。ではそういうことにしておきましょう。……おや」


 穏やかな微笑みを湛えたジムの白眉が動き、警備室内へと向けられる。ほとんど同時に、リエリーの耳は救命搬送を報せるサイレンを聞き取っていた。


(これはノーマルパターンじゃない……。てことは!)


 マグカップを一息に呷ると、リストコムに指を押し当て、グライダーのエンジンを切った。

 そうして、手早く折り畳み、ジムへ手渡す。


「預かっといて、ジム。即応チームも呼んで。あと、こっから避難したほうがいい。ちょっと加減できないかも」

「40秒でチームが到着します。備品はお預かりしますが、わしは避難しませんよ」

「けど……」

「こんな老いぼれでも、わしは栄えあるレンジャーネクサスの警備員です、レジデント・リエリー。貴女は、貴女の職務を存分に発揮してくだされ」

「わぁった。いつもサンキュ」


 キャラクターマグを返却し、リエリーは、レーザー格子が消えたゲートを大急ぎで駆けくぐる。

 眼前、残す2つのゲートも解錠され、さながら枝部への“滑走路”が完成する。


(あのエンジン音は、AL-6800H。てことは、搬送口まで約14秒、ってとこか)


 脳内のデータベースと電卓が自動的に値を弾き出し、リエリーは経験則から取るべき手段を組み上げる。

 自然と、口角が吊り上がっていた。

 装備がない状況での救命活動は、久々だ。


立て、波風ウィンドボーンッ!!」


 昂揚感が全身を駆け抜け、反動から踵が浮き上がる。

 そうしてリエリーは、猛スピードで突っ込んでくる救助車の真正面へと、体を躍らせた。

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