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密約

 ――時は、チーム〈ファイア・マカロンFM〉襲撃後のカシーゴ・威療士枝部レンジャーネクサスへ遡る。


「――反対しますっ」


 ただでさえ山積みの作業が待っている中、部下たちにそれを無理やり押し付け、枝部長ネクサスマスター室を訪れたのは、他ならぬジョン・ハリス枝部長本人の呼び出しがあったからだ。

 整備担当の多忙ぶりを熟知しているハリスは普段、自ら格納庫へ足を運んで用件を伝えてくる。

 そのハリス直々の呼び出しとあっては、何か重大な用件があると考えるのが普通だ。となれば、整備長として無視するわけにもいかず、こうして彼の部屋で向かい合うことになった。

 が、実際に切り出された用件と、それに伴う要望を聞かされた今となっては、数分前まで思い詰めていた自分が道化に思えてくる。

 そんなストレートに言い切ったピケットの反応に対し、応接エリアのカウチで前屈みになったハリスが、「理由を訊かせてもらえるかい」と大真面目な表情で尋ねてきた。


「第一に、これは――〈ジョン・K・ハリス〉の建造は、ネクサスメカニックの仕事ではありませんっ。あの機は、マスター・ハリス、貴方の私物ですよっ? 『稼働を急げ』など、公私混同ではありませんかっ」

「もっともな意見だがね、P。その件に関して言うならば、お互いとっくに承知したはずじゃないか。って」

「では、その時が来たのですかっ?」

「いいや。いっそ永遠に来ないでほしいさ。あんな物騒な代物をネクサスの旗艦フラグシップにしなければならない状況なんて、想像したくもないね」


 吐き捨てるように言ってのけたハリスだが、を想定しているからこそ、かの次世代機着工に踏み切ったのだ。

 あのときのやり取りが頭をよぎりかけ、ピケットは急いで振り払った。これ以上、頭痛のタネを増やしたくはない。


「ともかくですっ。スペクターの増加に伴う出動件数の急増で、整備場は既に火の車。次世代機に回す人員は人っ子一人、いませんっ」

「おかしいな。ついこの前、うちの整備長チーフから『残すは塗装と試験飛行だけ』って聞いたんだがね。先週のことじゃなかったっけ、整備長?」

「……貴方のそういうところ、オペレーター・カニンガムに躾けてもらうべきですねっ」

「首輪ならもう付いてるさ。……それで、だ。ピケット整備長、きみが反対する理由はそんなことだからじゃないはずだ。きみは、が心配なんだろう?」


 図星だった。

 そして、そのためにわざわざハリスは呼んだのだろう。

 直接、自分を説得するために。


「……当然ですっ。あの次世代機は、プロトタイプですらありませんっ。は言うに及ばず、駆動系に組み込まれた感情感応型AGエンジンに至っては、理論発見後の初実装ですっ。パイロットに一体、どのような影響が出るか、誰にもわかりませんっ」

「だからこその彼女たち、じゃないか」

「貴方は一体、何を考えているのですかっ! レンジャーを失うことを何より恐れている貴方が、何故、このような危険を冒すのですっ!」

「信じているからだ、ピケット整備長」

「……信じて、いる?」


 即答した枝部長の言葉をオウム返しすると、同じ言葉をハリスはもう一度、繰り返した。


「ああ、そうだよ。僕は彼女たちを信じている。無論、きみもメカニックの諸君もね」

「それだけですかっ? 命を賭けることになりかねないを、本人に黙って実行しようとしている言い訳が、信じている、ですかっ!」

「それが僕の仕事だからね。僕には、スペクターと命がけで向き合う勇気もなければ、彼らを救命するスキルもない。僕にできるのは、死ぬかもしれない――いいや、ことだ。その相手を信じられなかったら、平気な顔で指図できやしない。しては、いけないんだよ」


 それは、自身へ言い聞かせるような口調だった。

 祈るように握り合わせていたハリスの手が震えていることに、ピケットは初めて気が付いた。


「……ひとつ、条件がありますっ」

「いいとも。カネならいくらでも出すよ。どのみち、血縁のいかがわしい事業を継いだカネなんだし」

「前言撤回しますっ」

「冗談だよ、P。ネクサスマスター室でネクサスマスターが買収されるなんて、洒落でも笑えないさ。で、きみの条件って?」

「試験飛行前の整備と飛行中、双方に彼の協力を取り付けてくださいっ。彼が、レイモンド・バークがゴーサインを出さなければ、テストは中止しますっ」

「P。それ、一つじゃなくて二つじゃないかな?」

「マスター・ハリスっ。条件を受けいれるのですかっ、却下するのですかっ」

「わかった。僕が説得するよ。だから、くれぐれも彼女たちには内密に頼む」

「わが輩はメカニックですっ。顧客の機密保持は常識ですっ。――それからマスター・ハリスっ」

「条件追加は勘弁してくれよ? P」

「その呼び名、そろそろ卒業してくださいっ」


 立ち上がり、踵を返す。

 直前に見えたハリスの表情を思い出しながら、ピケットは急ぎ足で格納庫へと戻っていった。

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