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第39話 比翼現人神の舞


 再びの舞台上。

 その中心に立ち、私は観覧席に向かってお辞儀をした。


「……」


 舞台の四隅で燃える松明が、私の周りの不規則に置かれた錫杖を照らしてる。

 それらが頭の中にある配置図と寸分の狂いもないことを確認。

 風で舞台が揺れるたびにカタカタと音を立てるけど、平たい飾りのおかげで転がることはなさそう。一つ心配事が消えた。

 右手に鉾、左手にはさっきまで身に着けてた黒い千早を巻きつけた錫杖を握ってる。

 一応休憩はできたから、呼吸も落ち着いてる。

 大丈夫、準備は完了。


「すぅ、はぁ」


 これから始まる『比翼現人神の舞』はさっきまでの『神楽龍神式神楽』よりもさらに激しく、舞手に――そして舞台にも大きな負担を強いる。

 妨害を抜きにしても、私はこの恒例行事を一度も成功させたことがない。

 その原因の大半がこの比翼現人神の舞にある、といっても過言じゃなかった。

 私にとっての壁。

 だから、ここからが本番。


「ふう……」


 正直にいえば不安は尽きない。

 依然として足場は不安定。

 不衛生な寒い牢屋で幽閉されてたから、体調もあまりよくない。


 ――けど、やるしかない。


 ヤトに頼らずとも。

 この神楽を成功させ、注がれてる視線すべてを虜にし、私は自分の力で生き延びてみせる。


「……やるよ、私」


 最後に一言呟いて。

 私は左手の錫杖を両手に持ち直して高く掲げた。


「――」


 巻きつけた黒い千早がとぐろを解き、風にたなびいた。

 数秒姿勢を保ち。

 武器を振るうように空を一閃、その錫杖を体の周りを巡らせ、時に回転を交えながら風切り音を侍らせる。

 最後に渾身の力で、鋭い先端で床を刺し貫く。

 舞台が大きく揺れるとともに。


 リィィィン――……


 錫杖についた連なる金輪の飾りの擦れる音が魔鉱石によって増幅され、幻想的な音が響く。

 心が洗われるようなその音を合図に、奏者たちが楽器を奏で始めた。

 先ほどまでの緩やかなものと似て非なる、どこか勇ましさが感じられるような音色。


「……よし」


 少しだけ間を空けて、私は突き立てたものとは別の錫杖を一本拾い上げ動き出す。

 先刻の龍神式神楽にも似た、穏やかな振りつけ。

 守護の象徴である鉾と、権力の象徴である錫杖を用いて、在りし日の生活や英雄の為人を説くものだ。

 でもこれは物語でいえば序章みたいなもの。

 徐々に激しくなっていく動きが、整えた呼吸を乱しにかかる。


「――っ、――く、はぁ……っ」


 龍神式神楽から始まり比翼現人神の舞へと続く一連の踊りは、神話時代の出来事――地上で起きた人間と魔物の戦いを表してるらしい。

 特に、後半にあたるこれは人間側の英雄譚的なもので。

 龍とともに在ったという英雄の勇ましくも華麗な戦いぶりを再現する舞だ。


 ――鉾は英雄、錫杖は敵……っ。


 序盤で祭具に込めた意味を転じて表現するのは、彼女がまだ一騎当千の英雄になる前の初陣。

 舞台上を舞い回りながら両手の祭具を振り回し、風を切り、切り結び、火花を散らす。

 大きく、速く、苛烈な動作が大半を占める。


「ふっ!」


 両手のそれが交差させるたび、音鉱石が振動を伝え、観る者に臨場感を与える。

 少しでも加減すれば、鉱石が反応するほどの衝撃は伝わらない。

 だからまるで本当に切り結んでるみたいに消耗させられる。

 序盤との落差で時間が加速してるような感覚に陥る。

 でもまだ全体の半分にも満たなくて、本当の山場はこの先にある。


「――!」


 初陣を越えた英雄はこの後、一騎当千の活躍を見せる。

 つまり一対一じゃなくて、たくさんの敵との戦いになる。

 それを、どうやって表現するか。


 私は振り回してた錫杖を、始めにそうしたように足元へと突き立てた。


「っ」


 貫かれた板材が割れる音とともに舞台上は大きく揺れる。

 枝震にも似た揺れのなか、私は続けて足元に転がる新たな錫杖を掴み取り、勢いを殺さぬよう体を半回転させながら再び足元を刺し貫いた。


「――っ」


 不穏な舞台の揺れは織り込み済み。

 這い寄る不安を切り裂くように、たった今突き立てた二本の錫杖のうち片方めがけて鉾を振るう。


 キイィィン――……


 上質な刀剣を引き抜いたような、凛とした音が響き渡る。

 この音は先端部の装飾、中心にはめ込まれた音鉱石を正確に捉えた証。

 返す刃でもう一方を斬りつけ、同じ音を再現する。


「おぉ……」


 観覧席からかすかに聞こえた感嘆に喜ぶ余裕はない。

 足元に置かれた錫杖を新たに拾い、突き立てた。


「くっ」


 さっきよりも大きくなった揺れに眉根を寄せながら、一閃。

 三度目の音を響かせる。


「あの揺れでも成功させるのか……?」


 成功、じゃない。

 内心歯噛みする。


 ――これ、まずいかも……。


 想定より激しい揺れで狙いを修正したせいで演奏から一瞬遅れたのもそうだけど。

 思った以上に足場が脆い。


 今、舞台に突き刺さってる錫杖は、千早を被せた最初の一本を含めて計四本。

 当然いずれも容赦なく床板を破壊し、割り貫いてる。

 毎年舞台を使い回すのではなく、造り直す理由がこれだった。

 別にいつもだったら、なんの問題もない。

 けど、今回は――


 拾い上げた一本を突き立てる。

 さらに増す揺れと同時に足の裏側で床板が緩み、たわむ感覚。


「ひ――」


 本能が上げようとした悲鳴を無理やり噛み殺す。

 ふらつきながらもなんとか平静を装って鉾を振るう。

 けど誤魔化しきれない動揺が、白刃を音鉱石のすぐ横を滑らせた。

 指で押さえつけたような濁った音が、中空を伸びきれずに落ちていく。


「は、は、はっ!」


 悲鳴を飲み下したせいで呼吸が乱れる。

 自分でも露骨に動きが硬くなったのがわかる。

 一瞬で焼きつけられた死の気配が平静を返してくれない。

 前後不覚のまま、次の錫杖を掴み取る。


「ぐぅ……っ」


 重心を移動するたび床板がたわむのが伝わる。

 わかる。

 これ以上は本当にまずい。

 今すぐ中止すべきだって。


 ……けど。


 ――今さら、止まれないっ!


 躊躇を振りほどいて、遮二無二錫杖を突き立てた。

 その時。


 前に出してた左足、その下。

 無理な力を加えられた床板が浮き上がる。


「ぁ――」


 この少しのたわみが。

 ちょうど体を引く動きと重なって。

 私をそっと、押し出した。


「――!」


 内臓が浮き上がるような浮遊感。


 咄嗟に手を伸ばしたその先。


 広がる夜空に、待ち望む姿はまだ見えない。



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