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第40話 好敵手


 それは一瞬の出来事だった。


 誰かの悲鳴で硬直が解けた私は、咄嗟に鉾を舞台に向けて突き立てる。

 ちょうど板材の間に埋まったそれに必死で捕まり、半ば放り出されかけた体の重心を引き戻した。


「ハァッ、ハアァッ!」


 心臓が痛い。

 目がチカチカする。

 頭の中で火花が散ってる。


「フッ、フゥ――!」


 助かったのは、咄嗟の判断がよかったとかじゃない。

 運がよかっただけ。

 だって、もし鉾が板材の隙間以外に当たってたら弾かれて終わってた。

 下手をすれば……下手をしなくても死んでた。


「落ち着いてください! 多少の揺れはあっても観覧席が落ちるようなことはございません!」


 キーンとする耳鳴りに混じって声が聞こえる。

 呼吸を整えながら顔を上げると、観客に向かってブルクハルトが声を張り上げてるのが見えた。


「外から来た皆様は特に驚かれたようですが、今の巫女様の動きは演出の一環ですのでご安心ください」


 ――な、に言ってんの……?


 明らかに何かがおかしい。

 でも村の人はおろか、外から来た人たちも口にはしない。


「その証拠にほら、我が村の村長はいつでも再開できると言わんばかりでしょう?」


 演奏席に目を移す。

 何か言い合ってる後ろの奏者たちには目をくれず、村長さんが私をじっと見てる。

『早くしろ』

 皺の刻まれた目が告げてくる。


「……ぅ」


 鉾を握ったままの強張った両手を引きはがす。

 眺める手のひらから伸びる指は冗談みたいに震えてた。

 心も体も恐怖に冒されて、言うことを聞いてくれない。


「――っ」


 早く、再開しないと。

 鉾を引き抜き、笑う膝を叱咤する。

 ふらつきながら立ち上がった私を見て、石笙の音色が再び響き始める。

 流されるように、また踊り始めるけど。


「はぁ……くっ」


 延命だけを考えた神楽は、自分でもわかるくらい悲惨なものだった。


 舞台の端を避け、歩幅は狭く。

 足元が揺れるたび体はぎくしゃくと強張り。

 激しい疲労も重なったそれは、躍動感の欠片もない。


『まるで下手な人形劇ね』


 冷笑するドロテアの視線が突き刺さって、届くはずのない声が聞こえる。


「……ッ」


 こんな醜態を晒すために今日まで頑張ってきたわけじゃないのに。

 そう思っても、凍える背筋が体の制御を渡してくれない。

 縮こまった腕で斬りつけた錫杖は、的を外して鈍い音を小さく鳴らすだけ。


『処刑の可否はヤト様が龍の姿で戻るかどうかにかかっていて、あなたの舞が影響する余地はあまりないでしょうね』


 ……大事なのは、ヤトが戻ってくるかどうか。

 どうせ、私の神楽に意味なんてない。

 目の前に突き立つ数本の錫杖が、檻の中にいた頃の気持ちを呼び戻す。


『もともと踊りとは何かを表現する手段なのでしょう。ならば、これ幸いとばかりに今まで自分の足を引っ張ってきたバカどもに、怒りでも恨みでも嘆きでも好き放題伝えてやればいいのです』


 死ぬ危険を冒してまで伝えたいことなんて、私にはない。

 乗り越えたはずのものがまた四肢に絡みつく。

 音色に置いていかれる。


「……」


 また床板を壊し自分の命を削る場面が近づいてきて、ついに。


 私は自ら、惰性で振り付けをなぞってた手を止めた。


 ……何もないなら。

 私が今ここで頑張る意味って――


「――キリノッ!」


 私が俯くよりも早く、誰かに名前を呼ばれた。

 キンキンと耳障りな声だった。


「あらライヒ。今までどこにいたの?」

「ハァ、誰も来ないと思ったら……ハアッ、そういうこと、ですの……」


 どこからか現れたライヒ様が、敬愛する母親の質問には答えず荒い息とともに何かを呟いた。

 そしてすぐに整わない呼吸を無理やり噛み殺し、汗で張りついた前髪を誤魔化すようにかきあげて平気な風を装うと、彼女は私を睨みつける。

 そして、声高に叫んだ。


「キリノ! そのおざなりで縮こまった舞と、自分に負けて諦めようとしてる情けない姿――あなたのお母様が見ていたらどう思うのでしょうねぇッ!」


 たった一言。

 それだけで体がカッと熱くなる。


「あなたはわたくしたち貿易家系と同等の権威を持った、誇り高い巫女家系の一人娘なのでしょう? なら当代巫女として、果たすべき責任があるのではなくて?」


 本当に。

 貿易家系の人間は、嫌なとこを突くのが上手い。

 何があったかも知らないくせに。


「あらぁ、その目はなんですの? もしかして今まさに逃げ出そうとしていた駄目巫女の分際で生意気ですわよ」


 血が沸騰する。

 氷みたいに冷たい指先を焼き溶かし、鉾を強く握らせる。


「わたくしの両親にわざわざ特別な舞台まで用意してもらっておいて、……何よりわたくしの見ている前でっ! 情けない姿を晒すような真似は絶対に認めなくってよ!」


 嫌いな相手の挑発に。

 足裏から伝わる危険に。

 心が反発し始める。


「悔しいのなら、毎日飽きもせずお稽古してきたその神楽で、わたくしの鼻を明かしてみせたらどうですのッ⁉」


 ……よく言うよ。

 自分の方こそ慌てて走ってきたのか知らないけど汗まみれだし、ドレスの飾りは裏返ってるし、いつもの優雅なお姿が台無しじゃん。


『今日の神楽にキリノ様が胸の内に抱えているものすべてをねじ込んで――観ている奴らにぶつけてやればいい』


 やっぱりユリさんが正しかった。

 意味がないなんて知らない。

 こんなところで終わりたくない。

 せっかく今日まで頑張って生き抜いてきたのに、自分から幕を下ろすなんて嫌だ。


 そんなの、くやしい。


「……っ」


 神楽は中盤。


 英雄が敵に囲まれる窮地の場面に差し掛かり。

 眼前には、私を追い込むように並び立つ錫杖。

 背後に迫る雲海と無限の闇。

 足元は頼りなく、死の気配がチリチリと背筋を焼く。


 だから、なに?


 私はまだ、諦めたくない――!


「ッ!」


 追い詰めようとするすべてを無視して、私は隣に手を伸ばす。


 その先にあるのは――風にゆらめく黒い千早。


『誇れ、キリノ。おまえは間違っていない』


 何かあっても。

 きっとヤトが助けてくれる。


 袖を掴み、風に遊ばせながら引き寄せる。

 くるりと体を回して裾を咲かせながら羽織る。


『これからすべてが変わるぞ』


 彼は嘘を吐かない。

 待ってろって言ったなら、必ずヤトは来る。


 体を回転させた流れのまま膝を曲げる。

 鉾を床板の隙間へ撫でるように突き立て、そのまま転がる二本の錫杖を両手に掴み取り――



『――俺が変える』



 ――渾身の力を以て、その二本で舞台を刺し貫いた。



「――ッ!」


 きっと、もうすぐヤトは来る。


 派手な音とともに崩れた床穴と一際大きな揺れ。

 姿勢を低くして掻い潜り、伸びあがるように鉾で斬り上げる。



 キイィィン――……



 澄んだ音が、夜空に透き通った。



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