――手も足も羽みたい。
あれだけ苦しかった呼吸が、まるで肺へ新鮮な空気を吹き込まれてるみたいに軽い。
ごちゃごちゃしてた頭もすっきりとして、すべきことがまっすぐ綺麗に伸びて並走していく。
舞台の上はすでに何本もの錫杖で穿たれた損傷で、もはや下手なところを踏んだ瞬間抜け落ちるような状態だけど。
私の足取りに不安も迷いもない。
――見える。
視線の先。
キラキラしてる場所。
そこを選べば安全だって直感で理解できる。
「ハァ――ッ」
呼吸は鋭く。
自分を縛りつけてた、あらゆるしがらみから解き放たれたような万能感。
必死なあまり狭まっていた視野が広がっていくのが自分でわかる。
目の前に並び立つ錫杖を次々と打ち鳴らしながら、どんどんテンポを上げていく。
「すごい……っ」
誰かの声が聞こえる。
私に集まる視線が強く、熱狂的なものに変わっていくのを感じながら。
生涯一度も成功できていないこの神楽。
その本質をようやく掴み始めていた。
――細かいことにこだわる必要なんてなかった。
敵に見立てた錫杖を剣に見立てた鉾で斬り踊る比翼現人神の舞は、神話時代の戦いを現代に再現するもので。
つまりこの舞は、生きるために足掻いた誰かの歴史。
そしてその生き様を見た別の誰かが、それを後世に伝えるべく作ったもの。
命のやり取りを描くこの苛烈な神楽の前において。
振りつけの正しさなんて最低限でしかなくて、音色とのずれすらも予定調和。
大事なのは伝えることで、他はすべて表現を盛り立てる材料でしかない。
「お、おい巫女! 落ちちまうぞ!」
「――!」
ふらつき、踏み外した右足。
咄嗟に手に持ってた錫杖を引っ掛けて無理やり崩れた体幹を引き戻し、私は神楽の中へ舞い戻る。
「……今、死ぬとこだったんだぞ。なんであいつ平気な顔で続けてんだよ……」
粗末な舞台すら、手に汗を握らせる臨場感へとつなげ。
「ああくそ、もう我慢ならねえ!」
「おい、やめとけ! 他の枝の事情に首突っ込む気か⁉」
「龍を呼び戻したいってのを手伝ってやるってんだからこの村の奴らも文句ねえだろ! ……おい誰か舞台を下から支えてやれるようなもん知らねえか! 手ぇ貸してくれ!」
「んなこと言ってもよ、そんな都合のいいもんなんか――」
「あらヤタロウさん、これはたまたま偶然ちょうどいいところに来たのでは?」
「そうだな。これを使え」
「あんた、鍛冶屋の……? ああ、助かる!」
吹き始めた追い風に舞を加速させ。
「――……ッ!」
「こら! 勝手に一人で演奏を変えるんじゃ――」
「いいからお父さんも! 村長さんじゃなくて巫女様が鳴らす音に合わせて!」
「だ、だが……」
「このままなんて、悔しいでしょ⁉」
「ッ!」
立ちはだかる障害すらも巻き込む嵐となり。
この場すべてを支配し、手中に収める。
荘厳な静けさと、相反する奇妙な熱気が作り出す独壇場。
でも、私は貪欲に手を伸ばし続ける。
まだ足りない。
まだ届かない。
――このままじゃ終われない。もっと先がある。
前までの私は、一時間近くに及ぶこの神楽の長さに辟易としてたけど。
本当は逆だ。
誰かの人生を表現するのに、この程度じゃあまりにも短い。
だからこそ舞手の巫女は彼らの思いを汲み取り、自身の死生観を重ね、この短い時間のなかでどう伝えるかを考えなければいけなかったのに。
「……っ!」
幼い頃は母に追いつこうと思うばかりで。
母を失ってからは巫女という職務をこなすことにばかり囚われて。
私は一度も、本当の意味でこの舞踊に向き合おうとしていなかった。
そんな心構えじゃ、上手くできるわけなかった。
……けど、今なら手が届くかもしれない。
キイィィン――……
流れる動作でまた一つ響かせる。
突き立てた錫杖は敵を表していて。
打つたびに鳴る澄んだ高音は、すなわち命の散る音。
キイィィン――……
殺し合いを美化してる。
言ってしまえばそれまでで、私自身前までそう穿った目で見てたところもあった。
けど、今は少し違って見える。
これを作った誰かが伝えたかったのは、もっと単純で純粋な何か。
キイィィン――……
この音は、敬意の表れ。
必死に生き足掻き、戦った敵の散り際をも美しい音へ昇華する。
これは敵も味方もなく、戦うすべての者たちへ向けた讃美歌だ。
キイィィン――……
遠目に眺める有象無象を虜にすべく。
道半ばに斃れゆく者の血潮に代わり、剣閃の音を反響させる鎮魂歌。
「ハッ、ハッ、フッ!」
今ならよくわかる。
この神楽に込められた意味。
生きるために死ぬ危険を冒し、明日を目指す誰かの願いが。
形は違えど命を懸けて戦う今と重なっていく。
キイィィン――……
生きるため。
生きたい誰かを鼓舞するため。
もっと苛烈に。
もっと華麗に。
指先一つ、袖の動き一つですら魅せつけて。
――ただ夢中のなかを舞い踊り。
燃ゆる須臾の命よ、刹那に咲き誇れ――ッ!
◇ ◇ ◇
――1時間4分32秒。
比翼現人神の舞を終えて。
夜闇を遠ざけ、ぼんやり光る提灯の明かりのなか。
私は、しんと静まる観衆に頭を下げた。
麻痺してた疲労が、いっせいにのしかかってくる。
「はっ、はっ、はぁ、はぁ、ふぅ……っ!」
ああ……。
もうからだのかんかくもないけど……。
「いじょ、はぁっ……もちまし、て……かぐ、……はしゅうりょ、……」
はじめて……さいご、まで……。
「ごかん、らん……っ、いた…………して…………」
あと、は。
いちれい……して……。
ありがとう……ござい……ま……し…………」
おわ……り――
バキンッ。
……なんの、おと?
「……ああ、間に合わないかと思って柄にもなくヒヤヒヤしたわ」
どろてあ?
「出来損ないなりに頑張ったようだけど、残念だったわねぇ」
「バカな……⁉」
「な、なんで固定具が壊れて――⁉」
けしきがまわる。
からだをうちつける。
「巫女さん早く掴まれ! 落ちちまうぞッ!」
だれかのこえがする。
うごけない。
「くそ……ッ」
「ヤタロウさん駄目! 風がッ!」
とっぷうにあおられて。
そのままずるずるころがって。
わたしのからだは、よるのなかにほうりだされ――
『――よく頑張ったな、キリノ』
おおきな。
すごくおおきなてに、うけとめられた。
『見事な舞だった』
ほら、やっぱりきてくれた。
かすんだめにうつる、しろとあか。
「……いがいと、はやかった、ね」
『ふ、案外余裕そうで何よりだな』
「ふふ……」
『キリノ、よく今日まで耐えた。少し休め』
「――ぅん、ありがと……っ」
「おい、あれ――!」
「龍神様……っ⁉」
「そんな、バカな……!」
「龍だ! 本当にあの巫女さんが龍を呼び戻したぞ」
したのほうから、たくさんこえがきこえる。
『騒がしいな。少し離れるか』
「ん……」
やさしいかおりのなか。
わたしはわらって、おおきなてのひらにみをゆだねる。
「おかえり、やと」
『……ただいまだ、キリノ』