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第75話 蝋人間

 「うっ……」


 かびくさい臭いが鼻に付いて目が覚めた。


 「ここは……」


 薄く開けられた視界に、見慣れない部屋が広がっている。


 頭の整理もつかない中、重たい身体を起こそうとした時、自分を覆う陰に気付いた。


 「キャッ」


 驚いて、思わず女の子らしい声が漏れ出した。


 自分を覆うそれは、白い化け物だった。


 それはギルドのデータベースにもない、見たこともない未知の魔物。


 一瞬混乱するも、陥ることはせず、平静を取り戻す。


 小雛は自分が今までどれだけ未知の危険に遭遇してきたかを思い出せば、こんなもの大したことがないと、自分に言い聞かせた。


 「「搾㋶……Theキ……coffee7」」


 白い化け物が、何かを呟くが、意味は聞き取れない。


 小雛は咄嗟に忍刀─【艶色】─を抜き放つために腰に手を伸ばしたが、肝心の腕が動かない。


 「どうして……!?」


 そこで初めて、自分の身体が、その白い化け物の大きなてに拘束されていることに気付いた。


 「くっ!」


 ドロドロと溶けたような白い手は、五本の長い指で、小雛の全身を強く縛り付けていた。


 小雛はどうにか逃げ出そうと身じろぎを繰り返すが、化け物の手は緩まるどころか、より強く小雛の身体を締め付けてしまう。


 おもちゃの人形を握る子どものような手に、淑女に接する紳士のような配慮はなく、小雛の色々な所を無遠慮に締め付けている。


 太ももや腹はもちろん、小雛の大きな胸も、指と指の間に挟まれている。


 手に力が入る度に、小雛の胸が押し出されるような形になる。


 「変態!マスターにだって触られたことないのに!!」


 化け物にセクハラを訴えるが、当然、聞く耳など持つわけもない。


 それどころか、白い化け物はそんな小雛の反応を見て、口のような穴をにんまりと広げて楽しんでいるようにも見えた。


 ニギニギと、手の中にあるゴムボールの感触を楽しむように、化け物が小雛の身体を揉んで弄び始めた。


 「うぐっ」


 セクハラだと非難している余裕はなく、全身を襲う圧力に小雛が呻く。


 白い化け物が一つ加減を間違えるだけで、自分の身体が握り潰されかねない。


 そう感じた小雛は、これ以上化け物を刺激しないように、大人しくすることにした。


 視線を逸らし、目を合わせないように。


 知能の低い獣に有効な手段だ。


 反応を見せなくなった小雛を不思議に思ったのか、化け物の顔が小雛の顔の間近まで接近し、じろじろと観察を始めた。


 ぎょろぎょろと動く目玉のような黒い点が不気味で、小雛は自分の口から漏れ出そうになる悲鳴を抑え込むのに必死になっていた。


 気持ち悪さを堪える中、化け物の口が大きく開く。


 小雛は自分が食べられてしまうのかと、身構えた。


 しかし、化け物は自分の口に小雛を放り込むこともなく、頭を齧ることもしない代わりに、暗い口腔の奥からピンク色の器官を小雛へと伸ばした。


 だらりと粘液を垂らしながら、伸びたソレは、ネロリと小雛の頬を舐った。


 「────ッッッ!」


 それが舌であると認識した瞬間、小雛の全身に鳥肌が立った。


 悲鳴は何とか堪えることは出来たが、小雛のその顔を見て満足したのか、舌を宙に躍らせながら、白い化け物が楽しそうに嗤った。


 趣味の悪いその化け物に、強い怒りを募らせる小雛だが、一瞬化け物の手が緩んだ瞬間に、腰の小太刀を握ることに成功した。


 小雛は小太刀を腰から抜き、化け物の手のひらに突き立てた。


 「「医大ぃぃぃいぃいいいいい」」


 痛みに手から小雛を落とした化け物が、情けなくその場にのたうち回る。


 小雛は化け物から距離を取るようにその場から飛び退いた。


 幸い部屋には十分な広さがある。


 強みの機動力は十分に活かせるはずだ。


 小雛は武器を構え、化け物の反応を伺う。


 痛みに悶えていた化け物が急に、スンッ、と静かになると、敵意の籠った目で小雛を睨んだ。


 「「五度も者寝んダ~」」


 何を言っているのか、相変わらず理解はできないが、声色は大きく変わっていた。


 その落ち着いた態度に、小雛は余計厄介になったのだと悟った。


 化け物が品定めするような不躾な目で、小雛をじろりと見る。


 「「吾存de殺るyo」」


 声に落ち着きが現れても、変わらず言葉は聞き取れない。


 小雛は化け物が動き出すことを感じ取り、その場から大きく飛び退いた。


 いつの間にか伸びいていた白い手が、小雛がいた床を砕いた。


 「「飯癇氏TEL姉」」


 弾け飛ぶ木片が頬を切りつける。


 小雛は化け物の一撃に、冷や汗を掻いた。


 まともに貰えば、ただでは済まないだろうと。


 遊撃や奇襲攻撃が領分である小雛の【職業クラス】は、本来、正面からの一対一を得意とはしていない。


 今までソロでやって来れたのは、単に基礎の肉体能力の高さと、本人の高い戦闘IQがあったため。


 そして、そこに湊から貰った、忍刀─【艶色】─が加わり、今や次期上級探索者筆頭候補とまでの評価を得るに至っている。


 しかし、それは職業適性の範囲外でも問題ない程度の魔物が相手。


 つまり、格下とばかり戦ってきたと言う事。


 明らかに、今までの魔物とは、力も知能も一線を画す目の前の化け物は、小雛にとっては荷が勝ちすぎる相手。


 一人で初めて相対する、格上の魔物であった。


 それを理解した途端、小雛は緊張感を覚えた。


 手は既に震えていた。


 頭でそれを理解するよりも早く、身体はその事実に震えていた。


 「大丈夫……避けられない攻撃じゃない。勘も上手く働いている……勝てる。勝てる。勝てる」


 小雛は自分にそう言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返した」


 「「乾稲」」


 小雛を取るに足らない存在だと判断している化け物は、無警戒にずいっと身体を小雛に寄せた。


 隙だらけの動きに、小雛が思考よりも早く、身体を動かした。


 一瞬で潰れる両者の間。


 小太刀が宙に銀線を描いた。


 刃が白い身体を捉え、すんなりと切り裂いていく。


 小雛は手に伝わる感触に、確かな手応えを感じた。


 「「医大xtu手」」


 「うそっ……」


 小雛の小太刀は振り切る直前で勢いを失い、化け物の手に捕まってしまった。


 化け物の声に僅かな苛立ちを感じた。


 「────ッ」


 小雛の直感が警笛を鳴らす。


 動かない小太刀を手放すより早く、化け物の拳が小雛を殴り飛ばした。


 「ガッ──────ハッ……」


 ボールのように転がる。


 木造の壁を突き抜け、外に飛び出した小雛が、呼吸もままならない状態で立ち上がる。


 あのまま寝転がっていては、命はないからだ。


 立ち上がってすぐの小雛に、化け物の追撃が襲う。


 空いた壁の穴から迫る伸びる手を、横にステップを踏んた小雛が躱す。


 空いた穴のすぐ横の壁に隠れると同時に小さくしゃがむ。


 小雛の思惑通り、壁を突き破った白い手は、彼女の頭上を過ぎ去った。


 危機をやり過ごした小雛が大きく息を漏らした。


 呼吸が満足にできない中、動き回ることの出来なかった小雛は、最小限の動きだけで、呼吸を整える時間を稼ぐ必要があった。


 遮蔽に隠れることで、自分が立ったままだと思わせ、攻撃を誘発することができた。


 咄嗟の機転だったが、それが上手く活きたことに、小雛は胸を撫で下ろした。


 ズキリと身体は痛むが、動きに支障はない。


 でも通じることが分かっただけでも、大きな成果だった。


 小雛は白い化け物をじっと見た。


 集中力を高め、迫る腕を回避し続ける。


 もう一度喰らえば、戦闘は終わる。


 これだけ、直視され続ければ、【忍者】のスキルの殆どは効果を発揮できない。


 格下ならば強引にでもいけたかも知れないが、目の前の敵にそれが上手くいくなどとは到底思えない。


 なんとか避け続ける小雛だが、その体に無数の傷が刻まれていく。


 痛みに堪えながら、隙を待つ。


 雨のように降り注ぐ攻撃を続ける化け物が、遂に痺れを切らした。


 「「猪口マカ十」」


 距離を潰して接近してきた化け物に、小雛の目が光った。


 「【異剣・虎切】」


 小雛が【スキル】を解き放った。

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