衝撃的な正男の死から1週間が経った。この間、辺見家にはマスコミを中心に様々な人が訪れる。一躍、これまでのことが全国に知れ渡った。
正男の行動については評価する声が多いが、一定数、否定的な声やロボットとの共生の社会に対する不安もある。同様の状況は他のことでも見られるので、そういう意味では評価が分かれることは想定内だ。
だが、それを他人事としてはそういうことを口にしても、自身に関わることになれば当人的には精神的なダメージにつながる。具体的には不審電話やネット上の不適切な投稿などだ。相手にしなければ良い、という人もいるが、当事者にしたら堪ったものではない。
もちろん、田代は正男がいなくなった後も辺見家を訪れ、里香や家族のサポートをやっている。今回のことは自分が辺見家を選んだことが原因と考え、強い自責の念を持っている。だからこそ、できるだけ辺見家の家族に寄り添い、正男の衝撃的な最後に遭遇した精神的なショックの軽減と悪い評判に対する盾となっているのだ。
この1週間を振り返ると、最初はマスコミも同情的で、その流れで全国的にも一緒に悲しんでくれるのではと思われたが、あるSNSの投稿がきっかけになり、流れが変わってきた。
『制御されなくなったロボットの暴走。私たちは止められるでしょうか? AIが私たちの社会をコントロールし、人間が奴隷になる。私はそんな社会はご免です。機械化することで人間の仕事が奪われ、生活できなくなる、そんな社会は望みません』
言っていることは仮定の部分が多いが、懸念として分からないわけではない。田代が勤務する研究所でも同様の懸念があったからこそ、今回のプロジェクトを組み、ロボットと人間の共生を図る研究をし、人間以上に人の心を持った正男が誕生した。この経験をシステム化し、隣に優しく頼れるロボットがいる社会ができるのではないかと考えていたところに、一件の投稿が流れを変えた。
そのことは研究所でも話題になっていた。
投稿の次の日から、研究所には投稿から後の流れを注視している職員がいた。東海林というスタッフだが、数量的に正男の件に関し肯定的な意見と否定的な意見の発現の様子をチェックしていた。問題の投稿が出たのは正男のことが報道された次の日からだが、3日目になるとその比率は拮抗してきた。
それに呼応して辺見家に関する中傷も増え、中には一郎の会社のことにまで言及した投稿もあった。正男が預けられた経緯を何も知らずに邪推する内容だった。一郎の会社の業務とは無関係のことが変な理屈で結び付けられ、会社の方にも問い合わせの電話が増えているという。ネット社会の怖いところで、真実が妄想の中で膨らみ、事実と異なることが無責任に拡散される。辺見家は今回のことでそういうことに直面したのだ。
田代や辺見家にとってはこれまでの充実した毎日が瓦解する感じだった。
でも、そんな中で救いがあった。里香の言葉だった。
「里香ね、正男君のことが好き。一緒にいたこと、とても楽しかった。いないことが寂しい。また一緒に遊びたい。サブちゃんやモモちゃんも一緒だと思う」
そう言って2匹の方を見ると、「そうだ」と肯定しているように見える。その様子は両親や田代も確認している。正男がいなくなった後、田代は辺見家にお世話になっているので、そういう様子は毎日見ている。
「やっぱり、正男君は人に希望を与える存在だったんだ」
田代は思わずそうつぶやいたことがある。純粋な心を持つ里香に理解してもらっていることが救いだった。
辺見家を訪れる近所の人は正男のことを知っている分、好意的な人ばかりだ。
最初は変な態度だった沢田も以前の反省と事実を知って今では辺見家の味方になり、良い話を周りにしている。こういう時、スピーカー的な人の存在は有難く、少なくとも生活圏の範囲内では何も問題はない。
ただ、困るのは誰か分からない人物から勝手なことを言われることで、少しずつ精神的に疲れてくる。里香にはそういうことは知られないように周りの大人は気遣っているが、どこで何を耳にするかは分からない。だから里香の様子には周りの大人は気遣っており、幼い心が傷つかないように留意している。
幸い、普段はサブやモモに話しかけ、これまでと変わらないような様子が見える。
だが、何かの拍子に正男のことが言葉に出る。
先日、モモが庭の木に登って降りられない時があった。
「モモちゃん、降りてきて。危ないよ」
一生懸命声掛けをするが、モモは降りてこない。様子を見ていると怖がっているようにみえるのだ。そんな時、里香が無意識に正男を呼んだ。
「正男君、モモちゃんを下ろしてあげて」
以前そのようなことがあったので、里香の口から思わずこの言葉が出たのだ。
しかし、すぐに正男がもういないことに気付く。里香の頭の中で事故で正男がいなくなったことは知っているが、心の中では今も生きているのだ。
現実を改めて理解した時、里香の表情は一瞬曇る。正男の喪失感が出てくるのだった。
この時はたまたま田代が近くにいたので、正男の代わりにモモを木から優しく下ろした。
「ありがとう、お姉ちゃん」
ニコッと笑いかける表情はこれまで通りだが、どこか悲しみを含んでいた。何かあった時に頼りになる正男の存在が今でも大きいのだ。
この時、正男が最初の予定通り、1年間で研究所に戻った時も、里香にとっては同じような喪失感に襲われるのではないかと考えた。そして、それが現実化した時、里香の心を傷付けることになったのでは、ということを考えていた。