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第63話 空猫と海猫

 朝の騒動がひとまず落ち着いた後は、マグじーじの出番だった。

 深いしわが刻まれたいかついお顔をしているが、お船の年寄り三人衆の中では、一番小柄だった。にゃんごろーからすれば、それでも見上げる大きさなのだけれど、マグじーじ本人は、ナナばーばよりも背が小さいことを気にしているらしい。これは、お部屋でふたりきりの時に長老からこっそり教わった話だ。「本人は、そのことをすごく気にしておるからな。他の誰にも話してはいけんぞ? 巡り巡ってマグ本人の耳に入ったら、ショックを受けてしまうでな」と長老に言われて、にゃんごろーは「うん、うん」と神妙なお顔で頷いた。自分のことは何でも話してしまう癖のあるにゃんごろーだけれど、こういうことはちゃんと秘密にしておけるのだ。長老が、にゃんごろーの可愛い悪癖をそのままにしておいたのは、そのことをちゃーんと分かっていたからでもあった。


「うぉっほん」


 マグじーじが、わざとらしい咳ばらいをして、みんなの注目を集める。

すっかりとだらけていたミルゥとクロウが、心持ち背筋を伸ばした。食事の最中もずっと、しゃんとした姿勢を保っていたカザンには遠く及ばないが、それでも一応背筋を正した。三人の顔が、マグじーじへと向けられる。

 にゃんごろーはこの時、三枚重ね座布団の上から、ミルゥの膝の上へと移されていた。ミルゥにポンポコリンのお腹を撫でまわされながら、三人よりもワンテンポ遅れて、ゆっくりとお顔をマグじーじの方へと動かす。少々、お行儀が悪いが、マグじーじは無作法を咎めたりせず、むしろ相好を崩した。


「今日のお船見学会じゃが、にゃんごろーへの案内と説明は、このワシが行う!」


 崩れた顔をキリキリと引き締め、マグじーじは、えへんと胸を張った。

 にゃんごろーは、よく分かっていないながらも「おー」と感心して、肉球のお手々をぽふぽふと叩いた。

 子ネコーの関心を引けたことに満足して、マグじーじは、嬉しさで再び崩れそうになるお顔を何とか保ちながら、話を続けた。


「……というのもじゃ。このお船は、魔法のお船じゃ。今はもう、空を飛ぶことは出来んが、それでもまだ、魔法は生きている。その魔法の力があるからこそ、ワシらクルーは、このお船で快適に生活し、仕事に励むことが出来るのじゃ」

「ほーう。……しょれれ、クリューってにゃあに?」


 ミルゥにゆったりともたれかかっただらしない姿ではあるが、にゃんごろーは突然始まったマグじーじのお船講習に興味を持ったようだ。途中、初めて聞く言葉が出てきて、ポロリと疑問を零れ落とす。

 話の途中ではあるが、もちろんマグじーじは、それを取りこぼしたりはしない。すかさず、両手で拾い上げた。


「クルーとは、お船で働く人やネコーのことじゃ」

「へーえ。クリューかぁ。ミルゥしゃんたちも、お船のクリューなんりゃね」

「そうだよー」

「ちなみに、ミルゥたちのように、お外で働くことが多いクルーは“空猫”。昨日一緒にお昼を食べたタニアやムラサキのような魔法整備班のメンバーや、食堂なんかで働いている、お船の中で働いているクルーのことは“海猫”と呼んでおる」

「しょらねこと、うみにぇ……きょ?」


 にゃんごろーの言葉にミルゥが頷くと、それまで大人しく聞き手に回っていた長老が話に入って来た。

 長老から、また新しい言葉がもたらされた。にゃんごろーはお目目をパチパチしながら、聞いたばかりの言葉を繰り返す。気持ちは落ち着いているが、お腹がいっぱい過ぎて集中力が緩慢になっており、食事中や大泣き中よりはマシとは言え、発声魔法はホワホワしていた。

 長老は、何かを愛おしむような、懐かしむようなお顔になって、にゃんごろーの疑問に答えていく。説明役を奪われてしまったマグじーじだったが、むっつりとしたお顔をしつつも、何も言わずに長老に説明役を譲っていた。


「空猫と海猫は、のう。マデラが考えた言葉なんじゃ」

「おばーにゃんが!?」

「そうじゃ。それを、ナナも気に入ってくれてのう。その内、クルーたちみんなも使うようになったんじゃ」

「そーらったんらー」


 マデラというのは、にゃんごろーが生まれるちょっと前にお空に旅立ってしまった、長老の連れ合いのことだ。人間ならば、妻と言うのだろうが、ネコーたちは“連れ合い”という言葉を好んで使うことが多い。

 “空猫”と“海猫”の名付け親の話は、クルーにとっては周知の事実なので、驚いているのは、にゃんごろーひとりだけだった。

 マデラを知る年寄りたちは、長老同様マデラがいた頃のことを思い出して、しんみりしていた。直接はマデラを知らない若いクルーたちは、マデラを思い出している長老にしんみりしていた。しんみりしつつも、子ネコー親衛隊の面々は、子ネコーの口からもたらされた「おばーにゃん」という言葉の破壊力に心を震わせてもいた。


「れも、なんれー、しょらねこと、うみ……ねこ、にゃの?」

「んー? 猫は、あれじゃ。この船は『青猫号』という名前じゃからのう、そこからじゃ」

「ふみゅふみゅ。しょれれ、しょらと、うみは……?」

「空猫たちは、小さいお船に乗って、空を飛んでお仕事に向かうから、“空猫”じゃ。海猫は、まー、あれじゃ。お船は砂浜にあるし、海の近くで働いているからってことからじゃなの。あとは、あれじゃ。“空”と対になるから、“海”にしましょう、とか言っておったの」

「にゃるほろー……」


 長老の口ぶりからすると、空猫はすんなり決まったけれど、海猫の決定には紆余曲折があったのかもしれない。

 その話は、初めて聞いたのだろう。若いクルーたちは、にゃんごろーほど大げさではないが、「へえ?」と言う顔で、お胸の長い毛を撫でまわしている長老を見つめた。カザンも、顔には現れていないけれど、長老の話を興味深く聞いているようだ。


「ま、まー、それで、あれじゃ。マグはのー、お船の魔法関係の責任者……んーと、あれじゃ。お船の魔法の一番えらい人なのじゃ。それで、今回、お船の見学会の案内をしてくれることになったのじゃ!」

「…………それ、ワシが自分で言いたかったのに……」

「あ。す、すまん」


 すっかり、しんみりしてしまったことに自分で気づいた長老は、それを誤魔化すように慌てて言葉を繋いだ。慌てすぎて、どうやらマグじーじの見せ場を奪ってしまったようだ。恨みがましい目でマグじーじに見つめられ、長老はきまり悪げにお胸の毛をわしゃわしゃとかき混ぜた。

 今回の件については、わざとではないと分かっていたので、マグじーじは長老の白くて長いお胸の毛をわっしゃわっしゃにかき混ぜさせてもらうことで許してあげることにした。

 長老の長い胸毛をかき混ぜることで心を慰めつつも、見せ場を奪われたマグじーじは、しょぼんと肩を落としている。

 居心地の悪い長老としょんぼりじーじに、そんなつもりはなく救いの手を差し伸べたのは、にゃんごろーだった。


「んー……。おふねのまほーの、えらいひと……。ちょーろーは、もりでいちばん、まほーがりょーるなネコーらけろ、マグりーりは、おふねでいちばん、まほーがりょーるってこちょ?」

「…………! そ、そうじゃ! つまりは、そういうことじゃ!」


 すこーし、考え込んでから尋ねてきたにゃんごろーに、マグじーじは勢いを取り戻した。お船で一番魔法が上手なのはマグじーじなのかという子ネコーの質問に、胸を張って答える。その瞳には、生気がみなぎっていた。

 長老は「よくやったぞ!」の眼差しを子ネコーに送ったが、子ネコーは気づかなかった。真っすぐにマグじーじのお顔を見つめて、感心したようにこう言った。


「ちゅまり、マグじーじは、おふねのちょーろーってこちょ?」

「う……それは……その、そのぅ。……………………うむ。そうじゃ。ワシは、お船の長老なのじゃ」


 にゃんごろーにキラキラとしたお目目を向けられて、マグじーじは言い淀んだ。長老とは長い付き合いであり、悪友ともいえる間柄のマグじーじにとって、「お船の長老」呼ばわりされることは、あまり嬉しくない。けれど、にゃんごろーにとっての長老は、尊敬すべき相手なのだろう。キラキラのお目目が、それを物語っている。

 長老と同格扱いは不服だが、子ネコーからの尊敬は勝ち取りたい。

 悩んだ末、マグじーじは苦渋の決断をした。

 答えを聞いた子ネコーは、さらに目を輝かせた。その輝きの中に、尊敬と信頼が垣間見える。

 大事なものを失う決断となったが、代わりに得たものは大きかった。

 自らの決断に満足していると、にゃんごろーは素朴な感想でマグじーじの心を抉ってきた。もちろん、にゃんごろーには、そんなつもりはない。


「しょっかぁ。らから、しゃべりかちゃも、ちょーろーと、にちゅえるんらねぇ」

「う、いや、そういうわけで、は…………いや、うむ。まあ、そういうことじゃ。ワシのことは、お船の長老だと思って、にゃんごろーもいつでも頼っていいからの」

「うん! ありあちょー!」


 その言い方だと、まるでマグじーじが長老の喋り方の真似をしているように聞こえる。そんなことは断じてないと声を張り上げたかったが、そんな反発心は、子ネコーにキラキラ見つめられたら、霧散した。

 子ネコーのキラキラ攻撃の威力は絶大だった。

 マグじーじは、あっさりと陥落した。

 けれど、そのおかげで。

 とても素晴らしいものを手に入れることが出来た。

 お目目の輝きの中に垣間見える……どころではない。


 尊敬と信頼に彩られた、にゃんごろーの心からの笑顔。


 それに勝るものなんて、存在しない。

 少なくとも、マグじーじにとっては。

 つまらないプライドや反発心なんて、もはやどうでもいい。

 脳内でピンク色の花びらを舞い踊らせながら、幸せに浸るマグじーじ。

 長老は緩んだ友のお顔を横目で見ながら「やれやれ」とお胸の毛を撫で回した。それから、目線を前に戻して、長老も幸せそうに笑う。

 幸せそうなのは、お年寄り組だけではない。

 にゃんごろーも両方のほっぺに肉球のお手々をあてて、ワクワクとお花を飛ばしていた。


「まほーのおふねのまほーけんりゃく……ちゃのしみ。うふふ」


 いよいよ、子ネコーの魔法のお船見学が始まるのだ。



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