クロウは、にゃんごろーの前で平伏していた。
にゃんごろーは、「むぐぅ」と難しいお顔で、床スレスレで平伏しているクロウの頭を見下ろしている。
「ちび……ネコー…………。頼……む。抱っこ……させ、て…………くれ」
「う、みゅ、みゅぅぅうん…………。いやにゃぁー……。にゃんごろー、もうしゅこし、じるんで、ありゅきちゃいみょん…………」
「ほんと、に、頼む……。この、通り…………」
「う、うぅ~~。らっちぇえ~~」
必死に頼み込むクロウと、難しいお顔を半泣きに歪めて、駄々っ子のようにお断りを続けるにゃんごろー。
どうして、こんなことになっているのか?――――と言うと。
話は少しだけ遡る。
魔法の通路の床・壁調査の後、数々の脱線を経て、見学会御一行様は、ようやく魔法の通路を進んでみる運びとなった。
まずは、若干乱れてしまった隊列を元通りに整えた。
先頭はマグじーじで、その後にカザンとクロウが並んで続き、その後ろににゃんごろー、最後尾は長老だ。長老は、しっかりと子ネコーの尻尾の先を掴んでいる。
マグじーじは、チラチラと後ろを振り返りながら、ゆっくりと足を進めていった。
ワクワクキョロキョロちょこまかと、みんなの後を追いかけるにゃんごろー。
マグじーじは、かなりゆっくりめに歩いているのだが、にゃんごろーの足が短いせいで、油断しているとすぐに間が空いてしまう。それならば、いっそ――――とマグじーじは、少し先で立ち止まって、にゃんごろーが追い付くのを待つことにした。にゃんごろーが追い付いたら、また少し進んで立ち止まり、にゃんごろーを待つのだ。これならば、立ち止まってゆっくりとにゃんごろーを見ていられる。それに、後ろを気にしながら歩くよりも安全だ。
こっちの方がいいのぅ――――とデレデレホクホクしながら、にゃんごろーの到着を待っていると、マグじーじ似合わせて立ち止まっていたクロウがスッと片手を上げた。
「すいません、なんか、グルグルしてき…………た……」
そう言って、クロウはその場にしゃがみ込み、膝の上に両手を重ねてのせ、顔を伏せてしまう。
追いついたにゃんごろーは、急にしゃがみ込んだクロウにびっくりして、「何事か!?」と言うお顔でちょこっと首を傾げた。しゃがんでいるクロウと、隣に立っているカザンの間をちょこちょこすり抜けようとしたので、カザンは壁の方へと避けてやった。その隙間を通り抜けて、にゃんごろーはクロウの前に回り込む。尻尾を掴んでいる長老が、その隙間へぬるんとうまいこと収まった。
「クリョー、ろーしちゃの?」
「うむ。魔法酔いじゃなー」
「ふむ。クロウよ、にゃんごろーを抱っこするとよいぞ」
にゃんごろーの質問に、マグじーじが答え、長老が解決策を述べた。
しゃがみ込んで膝の上にうつ伏せていたクロウが、ノロノロと顔を上げた。壁の中から出てきた幽霊ではないかと言うくらいに血の気が引いて真っ白シロすけな顔だった。虚ろな目が、亡霊みをアップさせている。あまりのやつれぶりに、髪の毛までボサボサしているように錯覚しそうな有様だった。
「ちびネコー……を…………?」
「子ネコーにそのような効果があるのですか?」
「子ネコーというか、ネコーには、じゃのぅ。にゃんごろーを抱っこして密着すれば、無意識にクロウの体に働きかけて、魔法的なアレがいい感じになるはずじゃ」
ヨロヨロとクロウが尋ね、カザンが質問を重ね、長老が何となく意味が分かるほどほどに適当な説明をしてくれた。
心配そうにクロウの顔を覗き込んでいたにゃんごろーは、それを聞いて安心するよりも狼狽してしまった。
お手々をわちゃわちゃ動かしながら、にゃんごろーは心の内を長老に訴えた。
「え!? しょ、しょれは、ちょーろーじゃ、らめにゃの? にゃんごろー、もうちょっと、じぶんで、あるきちゃい」
「うむ、ダメじゃな。長老がクロウに抱っこされたら、にゃんごろーの尻尾係がいなくなって、にゃんごろーが野放しになってしまうからの。クロウに抱っこされるのは、にゃんごろーの役目じゃ」
「ええー! いやにゃー! にゃんごろー、ひとりれも、だいりょーぶらみょん」
「ダメじゃ!」
にゃんごろーは、両手を上げて長老に抗議した。尻尾係がいなくても、ひとりで大丈夫だから抱っこは嫌だと一生懸命訴えたが、長老は譲らなかった。
睨み合う長老と子ネコー。
事態はこのまま膠着状態に陥るかと思われたが、話の主役でありながら蚊帳の外に置かれていたクロウが動いた。
か細い声で「ちびネコー」と呼んだ後、クロウは床に膝をついて深々と頭を下げた。
そして、冒頭へと繋がるわけである。
「みゅぐぅうううん……」
にゃんごろーは、眉間にギュギュっと力を込め、葛藤の唸りを上げた。
具合が悪そうなクロウのことは心配だし、助けてやりたい気持ちは、もちろんある。
でも、どうしても。もう少し自分の足で魔法の通路を歩いてみたい、という気持ちを抑えることが出来ないのだ。
ここが、いつでも気軽に入れる場所ならば、間違いなく二つ返事で請け負った。でも。
『でも』なのだ。
ここは青猫号の海猫クルーたちがお仕事に使う大事な場所で、普段は勝手に入ったらいけない場所だ。今日は見学会だから、特別に入れてもらえたのだ。
今日だけ特別に入れてもらえた、特別な場所。
入り口付近で、床と壁の調査はした。でも、だけど。まだ、少ししか歩いていない。
もっと、自分の足で、この不思議で特別な通路を歩きたい。
その気持ちを。
子ネコーは、どうしても抑えることが出来なかったのだ。