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第115話 尻尾係は卒業しました。

 ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっと眉間に力を込め、にゃんごろーはヨレヨレにヘロヘロなクロウを見つめていた。

 幽霊と見間違うほどに具合が悪そうなクロウのことを可哀そうだと思うし、助けてあげたいとも思っている。

 でも、どうしても。

 抱っこは嫌なのだ。


 長老は「やれやれ」と深く息を吐き出すと、掴んでいる尻尾をクルクル回転させて子ネコーの注意を引いた。

 長老は尻尾クルクルを続行しながら、泥になって崩れ落ちる寸前のクロウを救出すべく口を開いた。


「にゃんごろーよ。自分で歩くのもよいが、クロウに抱っこしてもらって、高い所から通路を見渡すのも、悪くないと思うぞ? 自分で歩いていたのでは、気づかない何かを発見できるやもしれんぞ?」

「………………みゅ、みょ、れも…………」


 長老の言葉で少しは心が動いたようで、眉間の「ぎゅ」が、一つだけ消えた。けれど、心を変えるまでには至らない。にゃんごろーは、しゃがんでいるクロウと立っているカザンを見比べた後、俯いてしまった。

 長身のカザンに抱っこされるならともかく、クロウでは高さが足りない――――と言わんばかりだ。視界も思考も虚ろなクロウが子ネコーの素振りに気づかなかったのは、不幸中の幸いだった。

 作戦失敗かと思われたが、これは前哨戦にすぎなかったのだろう。長老は余裕のお顔で「たゆたゆ」と尻尾を引っ張ったり緩めたりしながら決定打となる一撃を放った。


「にゃんごろーよ。魔法の通路は、にゃしろーが戻って来てから、もう一度見学させてやるわい。その時に、ふたりで一緒に歩けばよい」

「え? ほんちょ? まちゃ、ちゅれてきちぇもりゃえりゅにょ? にゃしろーも、いっしょに?」


 にゃんごろーは「はっ」と長老にお顔を向け、それから確認するように振り返ってマグじーじを見上げた。見つめる先で、マグじーじは禿頭をツルツル撫でながら大きく頷いてくれた。にゃんごろーの眉間の「ぎゅ」が「ほわっ」と緩んだ。

 長老が放った本命の一撃は、子ネコーの心にクリーンヒットしたのだ。

 そして、子ネコーの心が緩んだ気配を察したクロウが、このチャンスを逃してはならないとばかりに、プライドをかなぐり捨てたトドメの一撃を決めた。


「にゃんごろー……先生。お願い……します…………」

「ほにゃっ!? い、いみゃ、クリョー、にゃんごろー、せんしぇいっちぇ…………」


 にゃんごろーは、お目目をこれでもかと見開いて、信じられない思いでクロウを見つめた。

 これまで、あんなに頑なに『師匠』も『先生』も拒んできたクロウが、にゃんごろーのことを『先生』と呼んだのだ。

 それだけではない。

 クロウが、にゃんごろーのお名前をちゃんと呼んでくれたのは、これが初めてだった。それまでクロウは、にゃんごろーのことをずっと「ちびネコー」呼ばわりしていた。

 なのに、初めて「にゃんごろー」とお名前を呼んでもらえた。

 それは、「先生」と呼ばれるよりも、嬉しいことだった。

 ひとりの子ネコーとして、ちゃんと認められたような気がするのだ。

 心の中に、明るい陽ざしがサッと差し込んだ。良質の茶葉を思わせるスッキリ爽やかな香りの風が吹き渡り、心の淀みをすべて攫って行った。

 にゃんごろーに笑顔が戻った。


「にゃへへ。じょしゅにおねがいしゃれちゃっちゃら、しかたらにゃいよね! にゃふふ! いーよ! はい!」


 にゃんごろーは笑顔満開のお顔で、クロウに向かって「はい!」と両手を上げた。

 抱っこしてもいいよのポーズだ。

 この機を逃してはならぬ!―――――とばかりに、クロウは具合が悪いとは思えない素早い動きで「がしっ」と子ネコーの両脇を掴んだ。そのまま、「ぎゅっ」と抱きしめる。

 一拍置いて、クロウは子ネコーを抱いたまま、危なげなく「スッ」と立ち上がった。


「おまえ、すっげーな。ぐるんぐるんに気持ち悪かったのが、一瞬で消えたぞ?」

「むふん! せんしぇいらからね! ほめちぇも、いーよ?」

「うん。すごい。ありがとう、にゃんごろーセインセイ」

「ふ、ふみゅ? にゃふふふ」


 調子にのるにゃんごろーを、クロウは素直に褒め称え、またしても「にゃんごろー先生」呼びをした。よほど具合が悪かったのだろう。今までの攻防戦は何だったのかと言いたくなる手のひらの返しようだった。

 とはいえ、それは明らかに棒読みだった。

 子ネコーの機嫌を損ねて「抱っこはお断り」宣言をされては堪らぬと、今この時この場限りの先生扱いなのは明白だった。

 けれど、まだまだ経験の浅い子ネコーは、クロウのセリフの固さには気づかなかったようで、照れくさそうに嬉しそうに笑った。


 尻尾係をめでたくお役御免になった長老も、分かっていなそうな子ネコーを見上げて「にゃふっ」と笑った。

 それは、「ちびネコー呼び復活騒動」を期待する、いたずらな笑いだった。


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